第21話 手

 少し戸惑いながら、コクっと小さく頷くアドニス様。

 クリス殿下と目が合うのを恐れているのだろう。

 ずっと地面を見ている。

 ポタポタと地面に涙が落ち、地面に小さなシミを作っていく。

 

 アドニス様の背中を摩りながら、なぜか切なくなる。


 ご懐妊されているなら、本来はこんなに地面に涙をこぼすことはないのに。

 大勢の人に祝福され、喜びに満ち溢れ、新しい生命の誕生を心待ちにする日々を過ごすはずなのに。

 いまは不安や自責の念に苛まれておられるのだろう。


 アドニス様のお腹の子は間違いなくペイトン様とのお子。

 そう推測されるのに、でも意外とわたしの心は凪いでいて冷静だった。


 クリス殿下がわたしのそばで心配そうにアドニス様を見ている。

 クリス殿下がアドニス様に声を掛けるといまは激しく動揺されることは間違いない。

 婚約者なのにただ見つめることだけしかできず、いまは声を掛けることさえもできない、その歯痒さが見ていて辛い。


 少し離れたところにいた微動だにしなかったペイトン様がわたしと目が合うとその綺麗な顔を歪めて気まずそうな顔をされ、瞳を逸らされた。


 そりゃ、そうですよね。

 婚約者と浮気相手が揃ってしまったんですから。

 さらに浮気相手の婚約者までいるのですから。

 クリス殿下に一発ぐらい殴られてもいい状況ですよね。


 クリス殿下は聡い方なので、言葉を交わさずともアドニス様の体調は察しておられる。 

 そして、自分の感情をグッと抑えておられ、決して暴力を振るわれる方ではない。


 いまはなにも言葉にするべきでないと言うことをクリス殿下もわたしも理解しているのに、ペイトン様は先ほどのご自分のアドニス様への乱暴な振る舞いを言い訳するかのように喋り出す。


「あ…アドニスが俺との子を妊娠したんだ。それなのに…別れ話をされて、ついカッとなってしまったんだ!」


 誰もいまは貴方の話しを聞きたくないのに、薔薇園に他に人がいなかったから良かったものの、大きな声で釈明をする。


 クリス殿下が小さなため息をつきながら、ペイトン様を見据えた。


「いまはアドニス嬢の体調のことだけを1番に考えましょう。わたしの側近がいま馬車の手配をしています。すぐにアドニス嬢をお屋敷に連れて帰ってあげてください」


 気付けば、キール様がこの場にいない。

 さすがはクリス殿下の側近をこなされることだけはある。

 雰囲気を察して行動されたのだろう。

 

 アドニス様の立ち上がりを支えるようにアドニス様の手を取った。

 指先まで冷たくて、震える手。


 少し先を歩き出した、クリス殿下とペイトン様はなにか言葉を交わしている。


 それに続くようにわたし達も歩き出す。


「アドニス様、自己紹介が遅れて申し訳ありません。わたしはシャンディ・ガフと申します。そして、ペイトン様の婚約者でもあります」

 そう告げると、目を見開き、幽霊でも見たかのような驚く表情をされ、握っていたアドニス様の手がますます冷たくなったように感じた。

 驚きに声すら出せないアドニス様を見ながら話を続ける。


「おそらく、お会いするのが今日が最初で最後だと思われますのでお話しをさせていただきますね。アドニス様はペイトン様を愛されていますか?」


 大きく見開かれたままのアドニス様の金色の瞳からはこの質問にどうしたら良いのか、困惑の色が見えた。


 「即答ができない」のね。

 少し悲しくなった。


「いまは身体もお辛くて、ペイトン様が悪いとか、意識していなくても被害者意識になると思います。でも、妊娠はひとりではできません。アドニス様、貴女の責任でもあるのです。厳しいことを言いますがそれをお忘れにならないよう、これからの未来を選択してください」

 わたしはそのまま言葉を続ける。


「ペイトン様はわたしとお茶をしていても、わたしを真っ直ぐには見て下さらなかったですよ。もちろん、心一つもくださいませんでした。ペイトン様はアドニス様を想っておられますよ」


 アドニス様の瞳から涙が溢れ出て、頬を伝う。

 ハンカチで拭いて差し上げようと、スカートのポケットに手を突っ込み、ハンカチを取ろうとしたが、ポケットの中でハンカチをギュッと握りしめた。


 わたしの感情が溢れそうになる。

(アドニス様はもっと泣けば良い)


 そのままお互い言葉はなく、沈黙のまま歩き続ける。

 わたしはこれ以上、言葉を紡げばアドニス様を傷つける言葉しか出てこない感情に支配される恐怖を感じていた。



 植物園の入口でキール様が待機されていて一台の馬車が待っていた。


 ペイトン様にエスコートされて、馬車に乗り込むアドニス様を見ながら、もうなにの感情も出てこない自分がいた。


 ペイトン様が馬車の中から不安げにわたしを見られる。


「お幸せに」


 なにも出てこない感情を総動員して、頬を持ち上げ微笑みを作り、声を絞り出す。


 わたしの今日一番の仕事をやり切った気分だった。


 ふたりきりにさせるとまた危険だと判断したキール様が一緒に馬車に乗り込む。


「クリス殿下、申し訳ありませんが適当に帰ってください」


 そう言い残すと3人を乗せた馬車は行ってしまった。

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