第17話 市井の討論会
「シャンディ嬢」
一瞬、間があってからシャンディが本から目線を外し、顔を上げた。
瞳だけを動かして辺りを見ている。
本棚の影から私を見つけたシャンディの瞳が大きく見開かれて、そして親しい者だけに見せるような、はじけた笑顔をした。
その笑顔を見た私は「同士」として、彼女に親しい者認定をされているんだと、なんだか少し嬉しくなった。
シャンディは、ハッと慌てて立ち上がると、綺麗でさりげない小さな会釈をする。
君にそんな他人行儀はされたくないのにな。
手で座るように合図をし、シャンディに近づいた。
「今日は読書を?」
「はい。今日は休日ですることもないので。クリス殿下もですか?」
シャンディがやや声を顰める。
公共の場でわたしの名を呼ぶことに躊躇したようだ。
その気遣いが目立つことがあまり好きでない私にはありがたい。
「こんなに天気のいい日なのに私も予定がなくてね。向かいの席を良いかな?」
「もちろんです。今日はキール様は?」
「休みだよ。我々も毎日一緒って訳ではないんだ」
「そうなんですね。いつもご一緒におられますので、セットのように思っておりました」
そう微笑むとシャンディは読みかけの本をパタンと閉じた。
今日の彼女の装いは、先日勉強した流行の形のワンピースを一切無視した、いつもの地味なワンピースでどこから見ても一般市民だ。
彼女の日常はきっとこんな感じなんだろう。
そういう私もラフなシャツにクタクタのズボンだけど。
「なにを読んでいたの?」
「砦の設計についての本です。帰ったら、修復しなければならない砦の改築をどうしようか考えておりまして。役立ちそうな関連の本を読み漁っておりました」
「やっぱり砦の修復なしには国境の警備は考えられないかな」
「それは………」
気づけば、シャンディと隣国との戦争について、熱く議論を交わす。
熱っぽく語るシャンディは、いつも「令嬢」をきっちりこなしている様子とは違い、政治的な話題でもはっきりと自分の考えを述べる。
「人質についてはどう考える?」
「隣国から我が国への人質も、我が国から隣国への人質もどちらもわたしは必要ないと考えます。特に我が国から隣国への人質は、隣国がいつ裏切るかわからない状況下なので、人質の命の保障がなく大変危険性です」
そのうち、シャンディと私の議論に興味を持って聞き耳を立てていた周りの市井の人達数人が我慢が出来ずに我々の議論に加わる。
さながら自由討論会のようになり、それでもそれを臆することなく、上手く取りなすシャンディ。
身分がどうとか、女性はこうあるべきとか、私の周りの貴族にはそんなことを言う方が多い中、彼女は一切そんなことは気にせず、対等に議論を深めている。
そんな彼女を見ていて好ましく思った。
私には眩しく、「同士」であることを誇りに思う。
「兄ちゃん、面白かったな。また、語ろうな」
「おまえ、彼女のために前髪切れよ」
(それは余計なお世話だ)
ポンと私の背中を叩き、一緒に議論を交わしていた人たちが満面の笑みで満足気に帰って行く。
シャンディが上手く私の身分を伏せて、進行を進めてくれたおかげで私も楽しめた。
こういうのは悪くないな。
むしろ好きだと思った。
「お疲れ様でした」
シャンディも楽しかったのか満足気な顔をして微笑む。
「急に討論会のようになってしまって申し訳なかったです」
「私はすごく楽しかった。良い休日だったよ。シャンディ、ありがとう」
シャンディがじっ、と私を見る。
「なんですか?」
「いえ、前髪を切れよと初対面の方に言われてましたね。クリスのアイデンティティなのに」
ゲラゲラ笑うシャンディはいつものふざけている時の私が知っているシャンディだ。
私は第3殿下という立場は何も主張することなく、目立たずに生きるのが良策だと幼い頃から知っている。
だから、ずっと前髪を長いままにし、伊達メガネを掛け、その表情を他人に読み取れないようにし、あえて主張しない雰囲気を作っている。
君は私がたった一度きり、この前髪が私のアイデンティティだと言ったことを覚えていてくれたんだね。
シャンディは帰り際に小さく消え入るような声でこそっと「ペイトン殿をデートに誘ったけど、屋敷でお茶会になりました」と報告してくれた。
悲しげに微笑むシャンディ。
再びシャンディの笑顔が曇った。
その表情に私の心がざわついた。
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