チープ・ビジネス―第2話

「誰から聞いた?」

「うちに入居してるアーティストたちが、噂してたんだよ」

「噂ねえ……」

「ただの噂なら、俺だってスルーしたよ。だが少し前に、ハチの作品のプロトタイプが取引されたらしいんだ」

「プロトタイプだって?」俺は耳を疑った。「偽造品じゃないのか?」

「鑑定士によれば、限りなく本物に近いそうだ。本人が売り出したんじゃないなら、ハチに近しい者が持ち出したと考えるのが普通だろ?」

「ふむ……」


キリヤの話が正しければ、ハチに近しい人間が現れたのは本当かもしれない。

(だが――)

「問題は、そいつが誰で、どこにいるかも分からないってことだな」

「そこなんだよな……」

キリヤは気まずそうに頭をかいた。


勘定を済ませ店を出た俺は、事務所兼自宅に向かった。

築数十年の、いつ取り壊されてもおかしくないビルだ。


最新のビルが備えているようなセキュリティはもちろんないが、奪われて困るようなものもないので、そこまで困ってはいない。

とはいえ、仕事上誰かに襲われる可能性もなくはないので、侵入者には気をつけている。


(おや……?)

ドアの目立たない部分に貼り付けたテープがはがれていることに、俺は気づいた。

風ではがれるようなものではないので、何者かが入り込んだのかもしれない。


(さっきの依頼人か……?)

なるべく恨まれないよう気をつけたつもりだが、根に持つタイプだったのだろうか。

傘立てに潜ませておいた護身用のスティックを手に取り、俺は足音を殺して奥に進んだ。

室内を見ると、物色した形跡がある。


(物取りなら、初心者だな)

このビルは入り込みやすいが、それだけだ。腕利きなら、狙わない。

いつも寝泊まりしている奥の部屋の扉を開けると、スースーという呼吸音が聞こえた。


ソファベッドの上に、誰かがいる。

幼い少女だ。

目を閉じ、寝息を立てている。


(誰だ……?)

過去の依頼人を思い返してみたが、このような子を持つ人物に心当たりはない。

荷物を調べてみれば身元が分かるかもしれないと思ったが、ずだ袋の中にはいくつかのスプレー缶があるばかりだった。

着替えさえ持たずに、飛び出してきたのかもしれない。


少女を観察していると、ふいに少女が目覚めた。

少女はバッと体を起こし、こちらに向かって頭を下げた。


「ごめんなさい……! 勝手に入ってしまって……」

「いや……」


おそらく、家出少女か何かだろう。目くじらを立てるほどのことじゃない。

根無し草は、こちらも同じだ。


「とりあえず、何か食べるか?」

「え?」

「腹が減ってるんだろう?」


俺はお湯を沸かし、インスタントラーメンを作った。

手製の煮卵を割り入れ、瓶詰のメンマを添える。


「ほらよ」

「あ、ありがとう……」


少女はおずおずと割り箸を手に取り、ラーメンをすすった。


「おいしい……!」

「それは良かった」

「何で、お腹が減ってるって分かったの?」

「部屋の中を見れば、分かる」


金庫やデスクには手をつけた形跡はなく、物色されていたのは冷蔵庫やストッカーだけだった。お腹が空いてたまらなくなった人間の行動だ。


「なんだか、探偵さんみたいだね」

「似たようなもんだが、少し違う」


浮気調査やペット探しなどを引き受けることも、時にはある。だが警察に届け出が必要な探偵とは違い、なんでも屋は警察に気を使う必要がないため、業務はより幅広い。


その分、自分の身は自分で守らなければならないが。

少女はあっという間にラーメンをたいらげ、両手をあわせた。


「ごちそうさまでした」

「ああ……」


(さて、どうするか――)

どうしてここに来たのか。何者なのか。訊きたいことはいろいろあったが、素直に答えてくれるとは限らない。

警察の世話になるのも、なるべく避けたいところだ。


「詳しい事情は聞かない。落ち着いたら、出て行ってくれ」

「……ありがとう」

少女は目を伏せ、お礼を言った。


(とりあえずは、これでいいか)

などと思いながら、食器を洗っていた時。

窓越しに、不審な人影が見えた。


(一人じゃない。五人――それ以上)

目立たない服を着た男たちが、このビルを取り囲んでいる。格好は一般人だが、所作に無駄がない。彼等の視線は、このフロアに集中しているようだ。


(なぜだ……?)

ここ数か月の仕事で、強い恨みを買った覚えはない。


(だとすると――)

カンカンカン、と金属の階段を昇る音が外から聞こえてくる。

俺はとっさに、少女に詰め寄った。


「おい……隠れろ」

「へ?」


少女の返事を待たず、俺は少女を奥の部屋に押し込めた。

次の瞬間、けたたましくチャイムの音が鳴り響く。

ドアを開けると、スーツを着た男が俺を見下ろしていた。


「どちら様で?」

「あんたに依頼があってね」


男は俺を押しのけ、事務所にあがりこんできた。

後ろから、複数の男たちが続く。


「悪いが今、立て込んでるんだ。新規の依頼は――」

俺の言葉を遮るように、男が言った。

「金なら払うよ」


男は小切手帳をテーブルに置き、その脇にペンを添えた。

「あんたは金次第でなんでもする、なんでも屋なんだろ?」


俺は長く息を吐き、男の向かい側に腰掛けた。

「まだ、依頼を聞いてない」

「人捜しだ」

男は一枚の写真を俺に見せた。少女が笑顔を浮かべている。


(さっきの――)

「この子を捜し出してくれたら、相応の報酬を支払う。このビルを一棟買えるぐらいの額だ。家賃収入で老後も安泰だ。悪くないだろ」

「理由を聞いても?」


男はくく、と笑い声をあげた。

「理由をベラベラ話せるようなら、あんたなんかに仕事は頼まない。そのぐらい、あんたも分かるだろ」


男はぐいと身を乗り出し、俺を見つめた。

「返事は一つしかない。分かるな?」

「断る」

「な……」

何を言っているのか分からないといった表情で、男は固まった。


「俺は安い仕事はしないんだ。自分の価値が下がるような、安い仕事は」

俺はテーブルを蹴り上げ、ストッカーを引き倒した。

巻き込まれた男たちが、悲鳴をあげる。


その隙に奥の部屋に入り込むと、俺は鍵をかけた。

だが、時間はいくらも稼げないだろう。


「一体、何が――」

戸惑っている少女を抱え、俺は窓を開けた。


「話は後だ」

身を躍らせ、階下のゴミ袋になんとか着地する。


「走るぞ」

「う、うん……」



          ―『チープ・ビジネス』第3話へ続く―

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