春の初陣-第2話

【クリーナー少女、SHIᗺUY∀の街でヤバい人たちに囲まれる】


その夜、ハルは、宮益坂から一本入った路地裏のショットバーにいた。

といっても、ひと仕事終えた自分を労うためでも、洗練された都会の女を気取るためでもなかった。


そこは、所属グループに関係なくハチたちが集まり、アートな議論を戦わせるという彼らの溜まり場。

危険な匂いが漂う、普段のハルなら絶対に来ない場所だった。


そんなデンジャースポットに単身足を踏み入れた理由。

それは、ハル自身の凝り性でアクティブな気質としか言いようがなかった。

現場で見た茶褐色の染みの正体が、どうしても気になって仕方なかったのだ。


成分としては分析できなかったが、ハルにはあの染みが“血しぶき”に見えた。

一度そう思うと、もはやそうとしか考えられなくなってしまった。

しかも染みついた“血痕”の量は、作業中のちょっとした怪我というレベルを超えていた。


地元の会社で“特殊清掃”を担当したとき、同じような染みを見たことがあった。

その場所は、凄惨な殺人事件の現場だった。と後で聞いた。


役所の職員二人が引き上げた後、ハルは通りかかった郵便配達ロボットに話を聞いた。

『街に溶け込むフレンドリーAI』をコンセプトに開発されたというその人型配達機は、軽い世間話にも応じるようプログラムされていた。


天気の話題から入り、問題の“落書き”に話を向けると、聞きたいことをペラッとしゃべってくれた。

最初はハチと思われる若者がこっそり、スプレーを使って犬の絵を描いていたという。が、それが完成した矢先、すなわち昨日の深夜から今日の未明に掛けて、ペンキのような塗料が上塗りされていたという。


ハチの縄張り争いは最近、先鋭化しているらしいが、まさか暴力沙汰が……。

もしかしたら殺人事件まで起きているのではないか!?


そう思い至ると、ジッとしていられないのがハルだった。

情報を得るには、“本拠地”に乗り込むのが手っ取り早い。と、危険を省みず、ここまで来てしまったのだ。


もちろん、自分が、ハチの“作品”を駆逐して回る、彼らの天敵ともいえるクリーナーであることは、重々承知している。

ゆえに、自分がクリーナーだとバレるミスを犯すハルではなかった。

服装や持ち物にそこはかとなく漂ってしまう“クリーナーっぽさ”は、注意深く消してきたつもりだ。


とはいえ、素人探偵の行き当たりばったりの捜査で、真相に迫れるとは思ってもいなかった。ハルにとっては、あくまで興味本位の冒険に過ぎなかった。


ただ、そのいっぽうで、自身が極度の“巻き込まれ体質”であることも自覚していた。

友人知人のトラブルに首を突っ込んでは、混乱をさらに助長させる。

本人が望んでいるわけではなかったが、それがハルだった。


今回も、そんな体質が悪運を引き寄せたのか。

カウンターの端でカルーアミルクを飲んでいるふりをしていたハルの耳に、ハチと思われるグループの話す声が聞こえてきた。


「おい、聞いたか? チーム・ブルーにヒロってヤツいたろ」

「ああ、オレらがキャンバスにしようと目を付けてたトンネルの周りをうろついてたヤツだ」

「今朝から、そいつと連絡が取れないらしい」

「ははん! アイツ、コソコソ目障りだったんだ。ざまぁ」


そう話す4人組に、別のグループが近づいた。

「おまえら、ヒロについて何か知ってんのか?」

リーダーらしき男が殺気立った声でそう問い掛けると、4人組はせせら笑いながら「だとしたら、どうだってんだ?」と立ち上がった。


3秒間のメンチの切り合いの後、4対5の乱闘が始まった。


盗み聞きしていたことが幸いして、いち早く不穏な空気を察することができたハルは、スルリとカウンターを抜け出し、出口に回り込むことができた。

カルーアミルク代は、グラスの下に置いてきてある。


暴力沙汰に巻き込まれるのはまっぴらだったし、この日はもう有益な情報を得られそうにないと見切りをつけた。

ハルは、グラスの割れる音や男たちの怒号を背に、その場を後にした。



やはり、グループ同士の諍いだろうか。

実際、連中は対立しているようだったし、行方不明者も出ているとなると、ますます事件が起きている可能性が高い。


グルグルと思考を巡らせながら歩いていると、背後に気配を感じた。

もしかして、尾行されてる!!??

素人探偵に気づかれるくらいだから、下手な尾行だ。


しかし、ハルには尾行者たちが、わざと自分に気づかれるように後をついてきているように思えた。

だとしたら、なぜ? 何の目的があって!?


半ばパニックに陥りながら、歩調は次第に早歩きになり、小走りになり、やがて全速力になっていた。


頭の中で交番の位置を検索するが、上京わずか2週間。

焦りや恐怖もあって、上手く見つからない。

スマホを取り出して地図アプリを開く余裕もなかった。


深夜の街を疾駆するうち、いつの間にかひとけのない路地に迷い込んでいた。

しまった! と思ったが、足音はつかず離れず追跡してきている。

引き返すわけにもいかなかった。


むしろ、路地を駆け抜けてしまった方がいい。

この道を抜ければ、大通りに出られるはずだ。

深夜とはいえ、そこには少なからず人通りがあるに違いない。


そう思った矢先、物陰からスルリと大きな人影が現れ、行く手を阻んだ。

ハルは急ブレーキを掛けると、とっさに踵を返したが、反対側には、ジッとこちらに視線を向けながら近づいてくる2つの人影があった。

挟み撃ちだ。


逃げ切れないと察したハルは、スマホを取り出そうと、鞄に手を突っ込んだ。

緊急通報すれば、数分後には、所轄のパトロールドローンが飛んできてくれるはずだ。

戦闘能力は皆無に等しいが、抑止効果には多少なりとも期待できる。


が、スマホを取り出した途端、物陰から現れた男に腕を掴まれ、唯一の頼みの綱である“蜘蛛の糸”は取り上げられてしまった。

ハルは震え上がり、悲鳴を上げることさえできなかった。


男が、スーツの懐に手を入れる。

取り出すのは、ナイフか、ピストルか……。

せめて痛みが少ないヤツ!

それが無理なら一瞬で終わるヤツにしてほしい!!!!!


死の予感から悲観的な想像を膨らませたハルだったが、男が取り出したのは凶器ではなく、白くて細くて長い、煙の出る嗜好品だった。


男は悠然と火を付け、一息吸い込むと、夜の街にふうっと白煙を吐き出した。

そして、呆然と固まったままのハルの耳元で、囁くように言った。


「十分怖い思いをしたろう? これ以上、深入りするな。つまらないことになるぞ」

男はそう告げると、2つの人影を従え、大通りの方に消えていった。



            ―『春の初陣』第3話へ続く―

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