春の初陣-第3話

【きな臭い事件を追っていたクリーナー少女がマジで一回終わる】


翌朝。落書きが消されたトンネル。

前夜、寿命が縮む思いをしたハルだったが、それでも生来の気質は折れなかった。

初めて手掛けた現場で、いったい何が起きたのか。

むしろ、確かめずにはいられないという心境にさえなっていた。


情報を集め始めた途端、堅気とは思えない集団が脅しを掛けてきた。

ということは、間違いなく、ここで穏やかならざる何かが起きたということだ。


コンクリートの壁面は、まっさらな状態に戻っている。

もはや、ここに2m四方の落書きがあったなんて、誰も思わないだろう。

ただ、目に見えなくなったとしても、すべての痕跡が消えたわけではない。


その朝、ハルはネットで取り寄せた特殊なグッズを持参していた。

それは、微細なDNAでも採取できるという最新式の化学ツール。

本来は、大学の研究室や民間のラボで実験用に使われるものだが、最近は浮気調査や痴漢の冤罪証明でも活用されているらしい。


とにかく、血痕らしきものが付着していた壁で、行方不明中のヒロという青年のDNAが検出されれば、警察も動かざるを得ないはずだ。


問題の壁に試薬を吹きかけ、説明書片手に測定器で計測する。

と、ディスプレイに『DNAの検出に成功』の表示が現れた。

ただ、予想に反して、同じ場所から二種類のDNAが検出された。


もしかして、これって、犯人のものじゃ……???


刃物で人を襲った場合、犯人も自らの凶器で負傷することが少なくない。

このDNAを警察に提出すれば、一気に事件解決!?


不安があるとすれば、田舎娘が勝手に集めた“証拠”など、警察がまともに取り合ってくれるかどうかだった。

「パトロールを強化しておきます」というお決まりのフレーズで、捜査などまともになされない可能性がある。


ハルが「どうしたもんか」と逡巡していると、またも背後から声を掛けられた。


「おや、アフターサービスですか?」


振り返ると、見覚えのある顔が並んでいた。景観管理課の二人だ。

若手職員の手には、小型のデジカメが携えられている。


「報告書に添付する写真を撮りに来たんだけど、キミは?」


年かさの職員に訊ねられ、ハルはこれまでのいきさつを説明した。

話している間、ハルは「これは渡りに船ではないか」と思った。

社会的な信用に欠けると自分と比べて、この2人には公務員という肩書きがある。彼らが話をしてくれれば、警察も無下には扱えないのではないか。


ハルは正直にその思惑を話した。

すると、杓子定規とばかり思っていた二人組が、意外にも話の分かるタイプであることが判明した。


「さすがに見て見ぬふりはできないなぁ」

面倒臭そうに頭を掻く年かさの職員に続いて、若手職員が言う。

「アナタが言う証拠っていうのは、それで全部ですか? だったら、それを持って、一緒に警察に行きましょう」


そう促され、ハルは彼らが乗ってきたセダンの後部座席に乗り込んだ。

初仕事から思わぬ事態に遭遇してしまった。さすが巻き込まれ体質。

そんなことを考えながら、ボンヤリ車窓を眺めていると、車はいつの間にか、ネオ山手ラインの高架下に滑り込んでいた。


そこは、SHIᗺUY∀繁華街のエアポケットとでも言うべき場所。

車通りはおろか、人影も見当たらなかった。


ん? こんなところに、警察署なんてあったっけ???


ハルが戸惑っていると、運転席を降りた若手職員から、外に出るよう指示された。

その手には、レーザー式のナイフが握られている。

ハルはとっさに、反対側のドアに飛びついたが、そちらにはすでに年かさの職員が回り込んでいた。


高架下の橋梁に追い詰められたハル。

頭上の真空チューブを、ネオ山手ラインの車両がひっきりなしに通過していく。

車内は多くの乗客で満たされているはずだが、助けを求める声が彼らに届く可能性はゼロに等しかった。


「参ったな。ここも掃除を頼まなきゃいけなくなる」

年かさの職員が、さも面倒臭げにつぶやいた。

それを聞いた若手職員が、批判めいた口調で返す。

「先輩が、しがらみの少ないフリーのクリーナーに依頼しろって言うから、わざわざこんな小娘を選んだんですよ」

「まあ、そう言うな。これまでと同じように処理すれば、問題ない」

年かさの職員はそう言ったが、ハルにとっては大問題だった。


わずかな隙を突いて、藪の中に逃げ込む。

前日、ガタイの良いスーツの男に脅しを掛けられてから、こういう事態をどこかで想定していた。その分、いざとなったら逃げるという心構えはできていた。

が、恐怖で足がもつれ、まともに走ることができなかった。

逃走劇はわずか数十秒。

あっという間に、元の高架下に引きずり戻されてしまった。


年かさの職員が、慣れた様子でハルを拘束する。

使われたのは、野生動物捕獲・保護のために開発されたという、空気で獲物を縛り上げる“地球にも動物にも優しいトラップ”だった。

ハルは、そのSDGsな最先端グッズのおかげで、立ったまま身じろぎひとつ取れなくなってしまった。

「何が動物に優しいだ!」と開発者に毒づきたい気持ちがわき上がったが、今のハルにはどうすることもできなかった。


「これ以上、手間かけさせないでくださいよ。この前なんて、ほら、こっちまで怪我させられちゃったんですから」

若手職員が、手のひらに残る生々しい治療跡を見せてきた。

壁に染みついていたもうひとつのDNAは、この男のものだったのか!!!


今さらそう気づいても後の祭りだった。

レーザーナイフが、首筋に近づく。

背後の壁に鮮血が飛び散るイメージがわき、ハルはギュッと目をつぶった。

せめて一瞬で!

切実な願いを神に伝える。


……が、いつまで経っても、痛みはこなかった。

恐る恐る薄目を開くと、見覚えのあるコワモテが、自分を覗き込んでいた。


「だから言ったろ。深入りするなって」


男の背後に目を向けると、彼の手下とおぼしき黒スーツが、景観管理課の2人を地面に這いつくばらせていた。


拘束を解かれたハルは、「あ……。ううっ」と声にならないうめき声を上げながら、その場にヘタリ込んだ。

男はそれを見下ろし、タバコをくゆらせながら話し始めた。


「近頃、ウチの縄張りを荒らす不届き者がいたんでな。探っていたんだ」


ハルは、男の風体と「縄張り」という言葉から、男たちがSHIᗺUY∀を根城にするハンドラー組織の構成員だろうとあたりをつけた。

ハンドラーの生業は、ハチのアートを闇オークションに掛け、上前をはねること。

つまり不届き者とは、彼らより先に作品に手を付け、横流ししていた者のことだろう。


「ブルーとかいうチームのヒロってヤツのブツには、ウチも目を付けていたんだ。これから高値がつくかもってな。だが、オレが接触する前に消えた。恐らく、不届き者の正体を知っちまったんだろう。才能のある若者が、運に見放されるってのは、よくあることだ」


男の口調はドライだったが、表情にはやり切れなさが混じっていた。

そこまで聞いて、ようやく茫然自失の状態から回復したハルが訊ねる。


「そ、その、不届き者っていうのが……」

「ああ、そいつらだ」


男は、景観管理課の2人をこなすと、吐き捨てるように言った。


「職務上の知り得た情報で、オレたちハンドラーを出し抜いていたんだろう。問題の連中が役人の中にいることは分かっていた。だが、特定できなかった。そこに迷い込んで来たのが、お前だ」


ハルは、男の鋭い眼光に射貫かれて、再び固まった。

それでも聞かずにはいられなかった。

黒スーツたちが引っ立てていく管理課の2人に視線を向けながら、おずおずと訊ねる。


「え~っとぉ、それで、この後、あの人たちを、どこに……」


男は間髪入れず、「決まってるだろ」とつぶやいた。

あの2人に“アウトローな制裁”が加えられるようなら、目撃者である自分にも同様の処置が下される。

ハルは、その可能性に思い至って戦慄した。

ゴクリと生唾を飲み込んで次の言葉を待つ。


すると男は、いつの間に管理課の2人から取り上げていたDNAの証拠を掲げながら、「警察だ」と言ってニッと破顔した。

ハルはそこでようやく、自分が礼のひとつも言っていないことに気づいた。


「あっ、あ、あの! 助けてくださり、ありがとうございましたっ!!」


懸命に声を張り上げたハルに対し、男が返したのは、そっけない言葉だった。


「んあ? 助けたつもりなどない。泳がせていただけだ。お前は、正体が掴めない不届き者をおびき出す、かっこうのエサになってくれそうだったからな」


「へっ、エサ……!?」


「連中に始末されるのは時間の問題だろうと踏んでいた。その時がチャンスだ。たが、お前が簡単に処分されちまったら、ヤツらの正体が掴めない。だから、警戒するよう忠告してやったんだ」


男は、そう言うと、タバコを踏み消し、悠然と去っていった。

ハルは、その後ろ姿を呆然と見送ることしかできなかった。


が、そこでハタと思い出す。

初仕事の報酬、まだもらってない!!!

管理課の2人が警察に突き出された後では、報酬を取りっぱぐれる可能性がある。

せめて2人に、トンネルの落書き駆除の事務処理をさせてから!


ハルは改めて“ここは戦場だ”と実感しながら、ハンドラーの男を追った。



            ―『春の初陣』了―

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