PROJECT8-プロジェクト ハチ-

永都 捌

春の初陣

春の初陣-第1話

【田舎者クリーナー少女がSHIᗺUY∀での初仕事に挑む!】


本当にラッキーとしか言いようがなかった。

現場に向かう足取りは、スキップを踏むように軽い。


ハルがSHIᗺUY∀に上京してきたのは、2週間前。

フリーのクリーナーとして看板を掲げてから、こんなにも早く、筋の良い依頼が舞い込むとは!


専門学校で基礎知識を学び、地元のクリーナー会社で実務的な技術を身につけること2年。若さと勢いで都心に乗り込み、この春、独立開業に踏み切った。


上司や同僚からは、「まだ早い」「考えが甘い」「女のクセに」などと言われ、中には「今謝れば、会社に戻らせてもらえるかも」と親切顔でアドバイスしてくる者までいた。


逆に、背中を押してくれるような人は、家族や友人も含めて、誰一人としていなかった。だからこそ、意地になったところもある。


ハルは元々、思い立ったらトコトンまで突き詰めないと気が済まないタチだった。専門での座学で、常に上位に食い込んでいられたのも、その凝り性でアクティブな生来の気質の賜物といえる。


そもそも、己の知識と技術を武器に、手強い“汚れ”を駆逐する、クリーナーという職業で身を立てるのが、子供の頃からの夢であり、目標だった。


それを叶える場所=戦場として、SHIᗺUY∀を選んだのも、そこが“日本一クリーナーを必要としている街だから”という理由だった。


それにしても、と思う。

お堅いお役所がなぜ、フリーのクリーナーとして街に事業者登録したばかりの自分に、仕事を振ってきたのか???


考えてみたところで理由に見当はつかなかったし、今はそんなことを気にして、せっかくのチャンスを逃している場合ではなかった。


実績を積んで、信頼を勝ち取り、激戦地SHIᗺUY∀で売れっ子クリーナーの仲間入りを果たす!!!


今回の仕事は、その第一歩だ! 上京を反対した連中を見返すチャンスだ!!

ハルの鼻息は荒かった。


とはいえ、SHIᗺUY∀の街は、上京したての田舎娘が、おいそれと馴染めるような甘っちょろい場所ではなかった。正直、都会の空気に圧倒されていた。


その日着ている服ひとつ取っても、

「田舎者とバレるんじゃないか」「ダサいと笑われてるんじゃないか」

……と毎日ビクついているし、あらゆる物を飲み込んで膨張してきた街自体が放つ、危険な匂いも感じ取っていた。


何より、クリーナーという職業上、否応なくかかわる相手であり、対峙することになる“敵対勢力”と接する際には、細心の注意が必要だった。


芸術家を名乗るアウトロー集団で、素行が悪い者もいるというハチ。

極道まがいの悪徳業者も少なくない闇市場のバイヤー=ハンドラー。

そして、ハルが身を置くクリーナーを含めた三者は、複雑な利害関係から、三すくみのような状態になっていた。

ただ、それさえも上手く利用して立ち回れないようでは、この街でやっていけないこともまた、ハルには分かっていた。



仕事現場は、人通りもまばらな、街外れのトンネルだった。

コンクリートの壁面に、2m四方の落書きがされている。

いや、落書きというより、ペンキのような液体塗料を壁に塗りたくっただけに見えた。


「これが、最先端アートってヤツ?」


芸術に興味のないハルは、吐き捨てるように独りごちた。

ハチという集団が、これをアートと呼んで喜んでいるようなら、感想は、

「しょーもなっ!」の一言だった。


ともあれ、大きさ的には昨日、役所の職員が電話で説明していた通りだった。

この2m四方の落書きを駆逐することが、今回のミッション。


早速、作業に取り掛かる。

まずはスカウターで、使われている塗料をチェックする。成分を即座に分析できる上、有効な溶剤の種類までガイドしてくれる頼れるツールだ。


ハルは、道具箱から数種の化学薬品を取り出すと、手早く混ぜ合わせ、目の前の落書きに適した溶剤を調合した。

混合割合に関しては、個々のクリーナーのセンスによるところが大きいのだが、「私はその感覚に長けている」という自負が、ハルにはあった。


カスタマイズした専用の霧吹きガジェットで溶剤を吹き付けていくと、問題の落書きは、みるみるうちに剥がれ溶けていった。


よしっ! 初の駆逐は楽勝!


鼻歌交じりのハルだったが、3の1ほど落としたところで手が止まった。


確かに、ベッタリと塗りたくられていた塗料は落ちている。

が、その下に“別の何か”が描かれていた。ペンキのような塗料は“元の絵”を塗り潰すために塗られていたようだ。


「なんじゃコリャ!?」


ハルは首を傾げたが、とにかく目の前の駆逐対象をキレイさっぱり消すことが、依頼主の希望であり、自分の仕事だ。と思い直した。


それからものの30分で、表面の塗料は落としきった。


現れたのは、スプレーで描いたと思われる、疾走するイヌの絵だった。

秋田犬だろうか。だとすると、モチーフは街のシンボルである、あの有名犬!?

作品の出来は、芸術に疎いハルさえ見惚れるほどレベルが高かった。

スプレーを吹き付けただけとは思えない、立体感や生物としての躍動感が表現されている。


これが、ハチとかいう集団の本来の実力だろうか?

では、なぜ、これほど完成度の高い作品が、わざわざ塗り潰されていたのか???


そういえば……。


ハルには思い当たる節があった。

ハチを名乗る集団には、派閥のようなものが存在すると聞いたことがある。

SHIᗺUY∀の街では、それらのグループが、あちこちで“アートバトル”と称する小競り合いを繰り広げ、不毛な陣取り合戦を行っているらしい。


とすると、疾走犬を描いたのとは別グループのハチが、作品を潰すためにペンキを塗りたくった……ということだろうか???


でも、まあ、だからといって、クリーナーである自分の仕事に変わりはない。


ハルは、気合いを入れ直すと、改めて疾走犬の駆逐に取り掛かった。

再びスカウターで塗料を分析し、持参した薬品を混ぜ合わせる。


今度の溶剤も、効果は上々だった。みるみる“スプレー汚れ”が落ちていく。

しかし、そこでまたもハルの手が止まった。


確かに、疾走犬は順調に駆逐できている。が、絵の中に埋もれるように点在していた茶褐色の染みは、コンクリートの壁にこびりついたままだった。


スプレーとは別成分の塗料でも使われているのだろうか?


ハルは眉根を寄せながら、問題の染みをスカウターにかける。

が、ディスプレイに表示された分析結果は『unknown』。


スカウターのデータベースには、この世に存在するありとあらゆる塗料が登録されている。つまり問題の染みは、少なくとも既存の塗料ではないということだった。

しかも、染みの量は、決して少ないものではなかった。


何かの液体が飛び散ったような。

そう。これは、まるで……。


ハルが腕組みで考えていると、不意に背後から声を掛けられた。


「どう? 進んでる?」


振り返ると、系統がよく似た二人の男が立っていた。

白いワイシャツに地味なネクタイ。ヘアスタイルは、どちらもピッチリ七三。

その画一化されたビジュアルから、二人の正体に察しがついた。


「お疲れ様です! ご依頼くださった、役所の方ですね? 景観管理課の」


若い方の男が、「ええ」と頷く。

年かさの方は、挨拶を返すこともなく、腰に手を当てて、クリーン作業中の壁面に目を向けている。


愛想の欠片もなかったが、それでもハルは、将来のお得意様を逃がすまいと、状況を説明した。


「作業は滞りなく! ただ、今、ちょっと気になる汚れが見つかりまして。二重になっていた落書きの方は、何とか落とせそうなんですけど、その中に塗料じゃない汚れが混ざっているようで。色とか付着状態から考えると、もしかしたら、これ……」


と言い掛けたところで、年かさの職員が話を遮った。

「ああ、いいの、いいの。そういう専門的な話は。ウチとしては、落書きさえ消してくれれば問題ないんだから」


若手職員が、補足を加える。

「スピード重視でよろしく。こういう些末な案件は、早々に処理したいんで」


いかにも、お役所仕事という応対だったが、文句を言うわけにはいかなかった。

二人の促すような視線を受け、ハルは慌てて作業を再開させた。


手早く残りの疾走犬を消しきると、気になっていた茶褐色の染みは、念のために持参していたウォータージェットで流し落とした。

それを見届けると、二人は「じゃ、請求書は景観管理課まで」と事務連絡だけを残し、「お疲れ様」の一言もないまま、そそくさと現場を去っていった。



           ―『春の初陣』第2話へ続く―

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