キレイハキタナイ

キレイハキタナイ ―1話

何が美しく、何が醜いか。

それを決めるのは、評論家じゃない。

世の中のブーム、流れだ。

バロックも印象派も、今となっては評価されているが、昔は侮蔑の対象だった。

今、何がブームで、世の中の流れがどうなっているのか、それを知らない者は、時代に振り落とされる。


――そのことに気づいたのは、振り落とされた後だった。


俺の運命が決定的に変わったその晩。

俺はSHIᗺUY∀の中心街から少し離れた場所にある、閉館後の美術館にいた。

数々のアートが展示されている中、フロアの中央、来場者の注目を最も集めるスポットに飾られているのは油絵でも浮世絵でもない。


薄汚れたコンクリートに描かれた、グラフィティアートだ。

静謐な美術館には似つかわしくない作品だが、来場者の多くは、この作品をひと目眺めるためにこの場所を訪れる。


普通、グラフィティアートは街中に放置されるか、消されるばかりのものだ。

だがこれは、並の作品じゃない。

ある日突然ガード下に出現したその作品は、世界中から観光客を呼び寄せ、アート関係者や研究者がこぞって研究し、夜中に重機で運び出そうとする者さえ現れる始末だった。


無理もない。

このグラフィティアートは、時に数十億もの額で取引される伝説的なゲリラアーティスト――ハチの作品の一つだ。

SHIᗺUY∀の街を一変させたこのはた迷惑な人物の正体は

警察さえつかんでいない。

確かなのは、ハチの作品は絶大な利益を生むということだ。


ハチの作品を放置すれば、大きなトラブルにつながりかねない――

そう判断したSHIᗺUY∀の上層部により、グラフィティアートはガード下から削り出され、この美術館に陳列されることとなった。

「わざわざそんなことをせずとも、消してしまえばいい」

との意見も出たそうだが、却下された。

観光客を呼び寄せるその作品はSHIᗺUY∀にとって、メリットの方が大きかったのだろう。


だが、美術館に陳列されたからといって、安全が保障されるとは限らない。

実力ある窃盗団なら警備会社のセンサーをかいくぐり、防犯装置を破壊して作品を持ち出すことも不可能じゃない。


実際、そのような事件はこのところ相次いでいる。

個人のギャラリーや、企業の保管庫から美術品を盗み出す事件が続発したためSHIᗺUY∀署の幹部は、頭を抱えていた。

この上、ハチの作品までもが盗み出されたら、警察組織に対する信頼が揺らぎかねない。


そんな折。

ある窃盗団のメンバーを調べていた捜査官の一人が、恋人と思われる人物から、窃盗計画の手がかりを得ることに成功した。

「窃盗団を摘発するチャンスだ!」と幹部は色めき立ち、一大捕り物が計画された。


そうして俺――柴健太は非番ながら美術館の警護に駆り出されることとなったのだ。

「ふわ……」

今朝は明け方までひったくりの捜査や酔っ払いの介抱に追われ、ロクに眠っていない。

舌を噛んで眠気を押さえつけたものの、垂れ下がってくるまぶたは隠せず、本庁から派遣されてきた上長に睨まれた。

「どこの者だ、あれは?」

こちらに視線を送りながら、上長が部下に尋ねる。

「UD∀G∀W∀交番勤務の柴巡査、入庁三年目です」

部下の報告を受けた上長は、フンと鼻を鳴らした。

「他にいなかったのか?」

(いなかったから、呼ばれたんじゃないの)

内心、俺はつぶやいた。

上長の気持ちも、分からなくはない。

失敗が許されない状況なら、盗犯や警備のエキスパートを集めたいところだろう。

だが、窃盗事件は今のSHIᗺUY∀では珍しいものじゃない。

ハチに触発された多くのアーティスト(ハチのフォロワーである彼等はHACHIと呼ばれる)がこの街に集い、彼等の作品目当てに目利き(アートの扱いに長けた彼等はHANDLERと呼ばれる)が取引ルートを作り上げた結果、アートバブルが起こり作品の価格が数か月で数十倍にもなる事例が相次いだ。

そうした中、アート作品を狙う窃盗団は増え続けており、警察は常に、フル稼働状態だ。

所轄の下っ端だろうと、引っ張り出さざるを得なかったのだろう。


(まあ、やるべきことはやりますよ)

俺は深呼吸し、気分を切り替えた。

警察官の仕事に、そこまで強いこだわりがある訳じゃない。

だけど、この街に生まれ育った俺には、観光業を営む友人が多くいる。

今やSHIᗺUY∀のシンボルとなったハチの作品が奪われたら、彼等は悲しむだろうし、客足にも影響があるだろう。

友人たちの残念がる顔は、見たくない。


張り込み開始から二時間が経過したが、侵入者の気配はなかった。

神経をとがらせながら、俺は窃盗団の素性について思案した。

アートがお金になる現状なら、プロがチームを組んでいる可能性も考えられる。

以前は、美術品が狙われるケースは多くなかった。

盗み出したところで、取引ルートから足がつくからだ。

けれども現在、HANDLERが複雑な取引ルートを作り上げたため、作品の流通経路を調べる難度は跳ね上がっている。

警察としては困った状況だが、HANDLERがそのような仕組みを作ったのは、犯罪の手助けをするためじゃない。

数多くのアーティストおよびアーティスト志望者がSHIᗺUY∀に集ってからというもの、アートおよびアートのようなものが街にあふれ、SHIᗺUY∀の街は“汚れた”。

少し前に、その状況を快く思わない政治家や実業家、市民などが手を組み、街に氾濫するアートを消す活動を始めた。

CLEANERと呼ばれる彼等は、アートバブル以前のSHIᗺUY∀を取り戻すべく、アートも、アートのようなものも、ひっくるめて消そうとしている。

中には、アートの流通経路ごと消去しようとした者もいたため、HANDLERは取引ルートを複雑化させなければならなかった。


つまり、HANDLERはアートを守るために複雑な取引ルートを作り上げた訳だが、そのために、盗品の摘発も難しくなったのは皮肉な話だ。


張り込み開始から四時間後。

上長はジリジリした表情で、部下に目配せした。

「ガセネタを掴まされたんじゃないだろうな」と言わんばかりの顔だ。

(ガセネタであってくれた方が、俺は嬉しいが――)と、甘い考えを抱いた瞬間。

バチン、と弾けるような音が立て続けに響き、突然視界が真っ白に塗りつぶされた。

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