ハチコーが踊る夜

ハチコーが踊る夜-第1話

春が嫌いだ。


ハチコーことTOꓘYO私立SHIᗺUY∀第八高校普通科三年生、石波柳花いしなみりゅうかは心の底からそう思う。

春になると、ハチコーでは普通科から芸術学科への編入試験があるからだ。


SHIᗺUY∀に『オリジナル』と呼ばれる8つのアート作品が突如として出現してから数年。

町には『HACHI』と呼ばれるアーティストが溢れ、街の様子は様変わりした。


HACHIたちは法に縛られず、所構わず好きに作品を発表する。

作品自体の良し悪しはともかく、これは「走るのが好き」と暴走を繰り返す暴走族と変わらないと言う人もいる。


これを取り締まるため政府が『クリーナー』と呼ばれる『掃除屋』を全国から雇ったことで、渋谷では今、毎日いろんな事件が起きている。

そして政府はクリーナーに頼る以外にもHACHIを減らせないかと考え、ある制度を考えた。


それが、『公認芸術家』。

政府の依頼のもと、しかるべき場所で、しかるべき検閲を受け、しかるべき報酬を手に作品を発表する。

言ってみれば飴と鞭。クリーナーが鞭なら公認芸術家は飴。


「政府の指示に従って創作するなんてアートじゃなくてビジネスだ」と、一部のHACHIは未だにこの制度に強く否定的なスタンスを取っているけれど、実際問題創作にはお金がかかるし、HACHIの大半は『ハンドラー』と呼ばれるビジネスマンからお金をもらって作品を作ることを夢見ているわけだから、公認芸術家を夢見るHACHIも少なくない。


公認芸術家になるには政府が設定した試験を通過する必要があり、選考は各分野の権威と呼ばれる芸術家が担当している。

言ってみれば、芸大の受験のようなものだ。


そして政府は、この公認芸術家になることを広く推奨し、特にSHIᗺUY∀にある八つの高校には公認芸術家を輩出すれば学校への助成金を払うと約束した。

ハチコーはそのうちの一つであり、ハチコーの芸術学科の生徒たちの多くは公認を目指して日夜努力している。

 

子供の頃から絵を描くのが好きだった柳花は、特に迷うこともなくハチコーの芸術学科を受験した。

HACHIになって両親に心配をかけるのも嫌だったし、絵を描いてお金をもらえるなら公認芸術家になる方がいいだろうとも思っていた。

そして柳花は中学時代にハチコーの芸術学科を受験したのだが、結果は不合格。


それでも諦めきれず、「ハチコーには学科の編入制度がある」と周囲に勧められ、二次募集で普通科を受験し、合格した。


以来、普通科の授業も真面目にやりながら、寝る間も惜しんで編入試験の準備に明け暮れた。友人と遊んだり、恋人を作ったりする暇なんてもちろん無かったが、それでも絵描きになりたいという思いが強かったので、ひたすら絵を描いた。


そして、その結果が出るのが春である。

二年生の進級時に編入試験を受けた際には、箸にも棒にも掛からず悔し涙を流しながら一週間ほど寝込んだ。

そこからどうにか立ち直って、今年が二度目。最後のチャンスだ。

(春は嫌いだ)

思えば高校受験の頃から数えて、二年連続でハチコーの芸術学科には不合格している。


今度こそ、どうか、今度こそ。

文字通り祈るような思いで、柳花は正門に張り出されている編入試験の合格結果に目を向けた。

(114、116……)

何人かの生徒は編入試験を突破している。

同じく正門前で合否の結果を見ている級友たちが、弾けるような歓声を上げている。

悔し涙を流している子もいる。


柳花の受験番号は「119」。

なんだか縁起が悪い気がするけれど、きっと気のせいだと自分に言い聞かせ、柳花は引き続き合格結果を見た。

(118……120)

思わず手に持っていた受験票を落としてしまった。

119は無かった。不合格だ。

終わった。


ハチコーの先生たちは、公認芸術家の選定も担当している。

つまり柳花は、「プロになる見込みなしの生徒」と判断されたと言っていい。


改めて大学受験の際に芸大を受けるという手もあったが、数年間にわたって専門的な教育を受けてきた他の生徒に勝てると思うほどの自信は柳花には無い。

人は本当に悲しい時は思わず笑うものなのだと、柳花はこの時、初めて知った。


柳花が思わず乾いた笑い声を上げると、周囲からクスクスという笑い声が聞こえてきた。

振り返ると、三人組の芸術学科の女生徒が柳花を指差して笑っていた。


「あの子、知ってる。去年も落ちた子でしょ?」

「また落ちたんじゃない?」


彼女たちは柳花の気持ちなぞお構いなしと言わんばかりに、そんなことを言いながらケラケラと笑った。


反論する気力もないが、ただただそれまで堪えていた涙が溢れそうになった。

掴みかかってやろうかとも思ったが、それにどんな意味があるのだろう。

いや、意味なんかどうでもいいから殴りかかってやろうか?


柳花がそんな事を思った瞬間、見たこともない制服を着た彼女……宇多川希菜子が集まった人だかりを割るようにして彼女たちに近づいていき、リーダー格の女生徒、野田紀美のだきみの頬を思い切り張った。


「どっちも誰だか知らねぇけど、頑張ったやつのこと笑うのはダサくねぇ?」


これが、柳花が初めて聞いた宇多川希菜子うだがわきなこの言葉だった。



         ―『ハチコーが踊る夜』第2話へ続く―

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