チープ・ビジネス
チープ・ビジネスー第1話
「難しい仕事じゃない。こいつをひと月、預かってくれるだけでいい」
依頼人は、油紙で包まれた品物を俺の目の前に置いた。
「中身を確認しても?」
俺がたずねると、依頼人は噴き出した。
「密輸品でもなければ銃器でもない。好きに調べてくれ」
油紙の中から現れたのは、奇妙な動物の彫像だった。
「タニグチの新作だ。知ってるか?」
「HACHIの一人だろ?」
俺の質問に、依頼人はうなずいた。
HACHI――SHIᗺUY∀を一変させた伝説のアーティスト・ハチに感化され、この街に集ったアーティストたちの通称だ。
多くは新進のアーティストだが、中にはアートバブルの煽りを受けスターダムにのしあがる者もいる。タニグチもその一人だ。
その新作となれば、かなりの値打ちものに違いない。
「ただの像をしばらく預かるだけで大金が手に入るんだ。悪くない話だろ?」
依頼人はカバンから札束を取り出し、これ見よがしに積み上げた。
ため息をつき、俺は立ち上がった。
「すまないが、帰らせてもらう」
「何だと……!?」依頼人は目を白黒させた。
「何が気に入らないんだ? こいつは購入したもので、盗品じゃない。預かったところで手が後ろに回ることはない。金次第でなんでもする『なんでも屋』ならこのぐらい――」
「金次第で、だ。脱税の手伝いをするなら、この額じゃ割に合わない」
俺がそう言うと、依頼人の表情がこわばった。
表に出せない金をアートに換え、ほとぼりが冷めた頃に換金する――資産隠しの手口としては、珍しくないものだ。
金の延べ棒と違い、アートならかさばることもない。
アートバブルが続けば、値上がりさえ期待できる。
脱税と投資を兼ね備えた一石二鳥という訳だ。
戸口に向かおうとすると、数名の取り巻きが俺を囲んだ。
(面倒だな……)
掴みかかってきた者の指先をつまみ、関節と逆向きにひねる。
じん帯を傷つけないよう、力は繊細にコントロールする。
前方から殴りかかってきた者の足を払うと、背後にいた者に衝突した。
(このぐらいなら、それほど恨まれないだろう)
「心配するな。ここでの話は漏らさない。あんたが余計なことをしなければな」
そう言い残すと、俺はその場を立ち去った。
裏通りを抜け往来に出ると、人だかりが出来ていた。
どうやら、アーティストが沿道でライブペインティングを行っているようだ。
前列に詰め掛けた若者は写真を撮り、後列では中年がアーティストの経歴についてスマートフォンで調べている。
その作品に将来いくらの値がつくか、見積もっているのだろう。
「ふぅ……」
ため息をつき、俺はその場を通り過ぎた。
正体不明のアーティスト・ハチがSHIᗺUY∀を一変させてからというもの、この街には夢を追う若者と、鼻の利く大人たちが集まるようになった。
若者はアートと引き換えに資金を得、大人は手に入れたアートを元手に更に富を得る――そんな循環が形成された訳だ。
そのシステムにうまく入りこめた者は、若くして名を売ったり、あるいは資産を形成できたりするのだろう。
だが世の中は、そういう者ばかりじゃない。
行きつけのカフェバーのドアを押すと、まだ日も高いうちから顔なじみが赤ら顔でグラスを傾けていた。
アーティストが集まるシェアハウスなどを経営しているキリヤだ。
以前はしがないサラリーマンだったが、不動産業が軌道に乗り仕事をやめた。
ぜいたくしなければ一生食いっぱぐれないそうだ。
「よう、タロさん。もう仕事は終わったのか?」キリヤがニヤニヤしながら尋ねてきた。
「腹ごしらえに来ただけだ」
店員に定食を注文すると、俺はコップに注がれた水道水を一息に飲み干した。
「ここに来たってことは、今日は儲け損ねたって訳だな」
「どうかな」
俺はごまかしたが、キリヤの言う通りだ。
懐が温かい時、俺はお気に入りのステーキハウスに行く。
そうでもない時は、ここだ。
「タロさんは、難しく考えすぎなんだよ。もっと器用に立ち回ればいいんだ。今のSHIᗺUY∀は、おいしい話だらけなんだからさ」
キリヤはケラケラ笑いながら言った。
「あやしい話に飛びついて、落ちていった奴を何人も知ってる」
アートバブルに沸くSHIᗺUY∀には、きな臭い話も多い。
偽物を掴まされたり、投資が焦げ付いたりして姿を消した人間は何人もいる。
「火の中だろうが飛び込んでいかなきゃ、チャンスは掴めないぞ?」
「ほっとけ」
冷めたパスタをすすっていると、キリヤが俺の向かいの席に移ってきた。
「まだ食事の途中だが」
キリヤは周囲を見回すと、テーブルに身を乗り出しささやいた。
「あんたの懐が温まるネタを、たまには教えてやろうかと思ってね」
「結構だ」
「人の親切は、素直に受け取るもんだぞ?」
「不確かなネタに飛びつくほど、落ちぶれちゃいない」
「事の真偽は、話を聞いてから判断すればいい。俺の口車なんぞに、たぶらかされるあんたじゃないだろ?」
反論が思いつかなかったので、俺は黙々とパスタを食べ続けた。
沈黙をOKのサインと受け取ったのか、キリヤは意気揚々と話し始めた。
「上手くいけば、数百億の金が転がり込んでくるって案件だ」
「ウソにしては、スケールが大きすぎるな」
「だろ? だからかえって真実味がある」
「それはどうか分からんが」
「まあ聞きなよ。数百億って額には、根拠がない訳じゃない。伝説のアーティスト・ハチの作品の総額なら、そのぐらいになるだろ」
ハチはある日突然、SHIᗺUY∀に8つの作品を残した。この街を決定的に変えてしまったその作品群は「オリジナル」と呼ばれ、天文学的な価格で取引されている。
「……つまりその話は、ハチがらみってことか」
「そうだ。あの日以来、ハチは新作を発表していない。ハチに新作を依頼できれば、高値で売れることは確かなんだけどな。だから世界中の人間がハチを探している訳だが、正体も不明なら居場所も分かっていない。しかし――」
キリヤは赤ら顔をぐいと俺に近づけた。
「つい最近、ハチの居場所を知る者がいるとの情報が出回ったんだ」
―『チープ・ビジネス』第2話へ続く―
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