ハチコーが踊る夜―第4話

野田がチームに合流してから数日。

希菜子が宣言したプロジェクションマッピングの開催予定日まであと数週間となった。

 

希菜子の知人が所有しているというSHIᗺUY∀の格安のレンタルスペースも抑えることも出来て、いよいよイベントが具体化してきた。


「ずっと息が詰まってたのよ」

学校のパソコンルームで机を並べて作業をしている時、野田が思わず柳花に言った。


芸術学科の生徒にかけられているプレッシャーは柳花の想像以上で、生徒たちはもちろん、先生たちも公認芸術家を輩出しろと学校に厳しく迫られているらしい。

そんな環境で創作を続ける苦しみというのは、柳花には想像もつかない。


「だからって許されるわけじゃないけれど」

「ごめんなさい」と、野田は小さな声で言った。


柳花は当初はなんのことだかわからなかったけれど、少し考えて、編入試験の時のことだと思い当たった。


「どうかしてたの。他人の不幸を見て笑うなんて最低だよね」

野田は顔を歪めながらそう言った。


その顔を見ただけでもう十分だ。

「大丈夫、忘れてたから」

柳花がそう言うと、野田は少し目を丸くした後、「ありがとう」と微笑んだ。

柳花はこの時、野田の笑顔を初めて見た気がした。


そうして二人がパソコンルームで作業をしていると、「た、大変だ!」とチームメイトの男子が教室に飛び込んできた。


「ど、どうしたの?」

柳花が思わず声を上げると、チームメイトは「学校から圧力がかかって、会場が使えなくなった」と真っ青な顔で言った。


「待って、どういうこと?」

「よくわかんないけど、公認試験前の芸術学科の生徒が参加しているのがまずいとかなんとか……」

「は?」

「俺だってよくわかんないんだって!」

柳花と野田に質問攻めにあい、チームメイトもパニックになっている。


「そ、それよりまずいんだよ!希菜子が……!」

チームメイトが言いかけた瞬間、柳花と野田は顔を見合わせ、「どこにいるの!?」と同時に尋ねた。


何をするかはわからない。

だが、希菜子は確実に怒っている。

最悪の事態になる前に止めなければならない。

柳花と野田はチームメイトから希菜子が職員室にいると聞き、一目散に駆け出した。


しかし、柳花たちの予想とは裏腹に、職員室の前で会った希菜子は至って冷静だった。


職員室に向かったのは、あくまで事の経緯を確認するためで、理事長からは「学業を優先すべくうんぬんかんぬんって言われたよ」というのが希菜子の弁だ。


「怒ってないの?」

柳花が恐る恐る尋ねると、希菜子は「まぁ、こうくるだろうなと思ってたからね」とケロリとした様子で言った。

そして希菜子は「ちょっと話そうか」と柳花と野田を屋上へと誘った。


「圧力をかけてきたのは親父だよ」

屋上に着くと、希菜子は言った。

希菜子のお父さんとは、以前聞いた宇多川安清、公認芸術家を選定する委員会の代表を務めている人だ。


「なんでお父さんが?」

野田が尋ねると、希菜子は「私に物を作る才能がないから」とまたあっさりと言った。


そして希菜子は子供の頃から今日までの、父親との関係についてゆっくりと話し始めた。


希菜子が子供の頃から、父のもとにはさまざまなアーティストが訪ねてきたらしい。

彼らは公認芸術家になるために、どうにか便宜を図ってもらおうとしていたという。


それ自体の是非はともかくとして、希菜子の父は厳格な人で、いくらお金を積まれても不正に公認芸術家を選出することはなかった。


「才能がない人間が芸術を志すのは、本人のみならず周囲の人間にとっても不幸だ」

それが希菜子の父の口癖だったという。

実際、HACHIの中には生活を犠牲にするように創作に没頭している人がたくさんいると聞く。


それらを見てきた実感から発せられた言葉だったのだろう。

一方、芸術に触れる機会の多かった希菜子は、幼心に自分も何かを作ることを自然と意識するようになったのだが、父は希菜子が絵を描いても歌を歌っても褒めることはなかったという。


一見するとひどい親のようだが、希菜子は「子供が道を踏み外す第一歩は、親のおべっかだったりするんだよね」とのんびりとした調子で言い、「そういう意味では、親バカなんだと思うよ」とも言った。


「実際、トラブルも多いんだ」

希菜子が言うには、公認芸術家になりたい人間は、金銭以外にも様々な手段で父に便宜を図ってもらおうとし、それで父がトラブルに巻き込まれることもあったらしい。


そして希菜子自身も、前の学校では他の生徒にどうにか父とパイプを作って欲しいと請われ、それが原因で転校する羽目になったということも教えてくれた。


「アートは人を狂わせる」

希菜子は屋上から街を見下ろしながら、ポツリとそう言った。

ひどく実感のこもった言葉だった。

希菜子は言葉少なにしか語らないが、多くのトラブルに巻き込まれてきたのだろうと柳花は察した。


「じゃあ、計画は中止?」

野田が尋ねると、柳花はケロリとした顔で「まさか」と言った。

その瞳に迷いはなく、最初にこの計画を立ち上げたときと同じ言葉を続けた。


「面白いことをしよう」

希菜子はそう言って、柳花と野田に新たな計画を伝えた。



         ―『ハチコーが踊る夜』第5話へ続く―

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る