SHIᗺUY∀ HEART・BEAT ―2話

「さて、今日もやっちゃいますか」

 ニーチェの言葉とともに、チビ丸とオショウは、白いフードを深くかぶった。

 HACHIは『自由』がモットーで、すべての作品はゲリラ的に展示される。

 ニーチェたちは正体を知られたくないらしく、作品を展示するときは、揃いの白いパーカーに白いズボン、そして白いフードをかぶっていた。

 俺は、車のトランクのロックを解除する。

 チビ丸とオショウは外に出ると、トランクから大きな物体を取り出した。

 1メートルほどの真っ白なハチ公像。今回、展示するニーチェの作品だ。

彼女はSHIᗺUY∀のシンボルであるハチ公にこだわり、ハチ公をモチーフにした作品を創り続けている。俺が初めて見た作品も、彼女が創ったものだった。

「10分で帰って来るね」

「いつでも車を出せるようにしておくよ」

 ニーチェは笑顔で頷くと、フードをかぶり、外に出て、チビ丸たちと作品を運び始めた。

ビルの玄関にはコンクリート製のひさしがついている。彼女たちはそこに作品を展示しようと思っていたのだ。

俺は車から出ると、青い車体の全面を白いカバーで覆い隠した。これで見た目は真っ白な車になる。逃げている最中、車を特定されないためだ。もちろんナンバープレートも隠す。HACHIの活動は、若者を中心に大きな支持を得ているが、それを快く思わない者たちも大勢いるのだ。

ニーチェたちを待っている間、俺は用意していたエナジードリンクを飲む。サニーサイドアップの目玉焼きでは、やはり運気が上がらない。

PROJECT8のメンバーは全員で8人。彼らを車で運んで逃がすサポートメンバーは、俺ひとり。今回で4回目の仕事。あの憎っくき奴らに遭遇したことはまだないが、毎回緊張を強いられる。

「今日も何事もありませんように」

 俺は愛車のルーフをポンと叩くと、エナジードリンクを飲み干した。

「展示できたよ」

やがて、ニーチェたちが戻ってきた。

 見ると、ビルの玄関のひさしの上に、白いハチ公像が置かれている。

「今回はシンプルな作品なんだな」

「何言ってるの。まだ完成してないよ」

 ニーチェはニヤリと笑うと、持っていたリモコンのボタンを押した。

 ボンッ。

 乾いた爆発音と同時に、白いハチ公像の背後から何かが飛び出した。

 それは、様々な色をした風船だ。

 パンッ パパパパンッ

 白いハチ公像の上で風船が次々と割れる。すると中から、風船と同じ色をした液体が現れた。

 そして、その液体が白いハチ公像にかかった。

「おお~」

 真っ白だったハチ公像が、まるで生まれ変わったかのように、色鮮やかなハチ公像に変身した。

「さすがニーチェだね、にゃはは」

「計算では出せない色の融合。これこそアートだ」

「どう、ダットくん?」

「あ、ああ、何かよく分からないけど、すごい、最高だよ!」

 通りがかった若者たちも、みな、新しく生まれた作品に注目している。驚き、興奮、感動。ニーチェの作品は一瞬で彼らを虜にした。

「さて、帰りますか」

「ああ、そうだな」

 俺はニーチェたちを車に乗せ、いつもと同じようにその場から去ろうとした。

「そこまでよ!」

 突然、声が響いた。

 見ると、10メートルほど離れた場所に2台の漆黒のバイクが止まっている。

 黒いヘルメットと、黒いレザースーツに身を包んだ男女が乗っている。

 それを見て、ニーチェが声をあげた。

「CLEANERよ!」

 HACHIの活動を快く思わない者たちの筆頭で、憎っくき奴らーー、CLEANERだ。

 街の管理者が、景観、治安、秩序を守るために雇った掃除のプロで、フリーのエージェントたちだ。奴らは、違法に展示された作品の撤去だけではなく、HACHIそのものを捕らえることを生業にしていた。

「ダットくん、逃げて!」

「分かってる! 俺はそのためにいるんだからな!」

 13時40分。俺はアクセルを力いっぱい踏み込むと、愛車を猛スピードで発進させた。

「追うわよ!」

 女のCLEANERが、後ろにいる男のCLEANERに叫ぶ。

「え、あ、ええっと」

「どうしたの? もしかして初めてHACHIに遭遇して怖気づいた?」

「怖気づく? ……そんなことあるわけないでしょ。あいつらは必ず捕まえる。僕は、そのためにCLEANERになったんです!」

 男のCLEANERの言葉に、女のCLEANERは「そうね」と呟いた。

「それじゃ2人で彼らを捕まえましょう、――クイル」


                    ●

 

 8時。朝食を終えた僕は、兄のダットと一緒に家を出る。

 兄は車を止めている駐車場のある左方向へ。僕は大学へ通うために駅のある右方向へ。

 いつもと変わらない朝の風景。しかしこの半月の間、僕は兄に背を向けて歩きながら、何度も「ごめんなさい」と心の中で謝っていた。

 僕は、『絶対に家族の間で嘘はつかないこと』という我が家のルールを破っていたのだ。

 僕の行先は、大学ではない。

CLEANERの天空寺メアのもとだった。


「ほんとに大学に行かなくていいの?」

 13時。SHIᗺUY∀にあるバー・ネクロマンサーに、メアはいた。

CLEANERとして今まで何人もHACHIを捕らえる彼女は、僕より8歳年上で、このバーを拠点に活動している。

半月前、僕は兄と一緒にSHIᗺUY∀に買い物に出かけたとき、ひょんなことから彼女と知り合い、見習いCLEANERとして働くこととなった。

「大学なんて行かなくてもいいんですよ」

「卒業ぐらいはしてたほうがいいわよ。将来のためにも」

「将来、ですか」

 僕は日ごろ、バイトもろくに続かず、夢もなく、ダラダラと過ごしている兄のことを軽蔑していた。しかし、僕も兄と同じように、やりたいことがあるわけではなかった。

 ぼんやりとした不安。大学に通いながら、僕の頭の中はいつも靄がかかっていた。その靄を晴らしてくれたのが、メアだった。

「僕はあなたみたいな一流のCLEANERになりたい。だから、見習いとしてあなたの下で働いているんです」

 メアのスカイ・バイクの予備を借り、この半月の間、パトロールと称して運転テクニックを磨いた。スカイ・バイクは乗ったことがなかったが、メア曰くなかなか筋がいいらしい。

 HACHIたちが違法に展示する作品は、放っておくと人々の支持を集め、アートと認定されてしまう。認定されると撤去することができなくなり、CLEANERの敗北となる。

最近ではそんなアートとなった作品をブラックマーケットで売買するHANDLERという存在も現れ、SHIᗺUY∀の街は治安が悪くなる一方だ。

景観、治安、秩序を守るためにいちばん手っ取り早いのは、作品を生み出す元凶であるHACHIたちを捕らえること。しかし、僕は未だ彼らと遭遇したことはなかった。

今日、いつものようにバー・ネクロマンサーを出て、メアとともにパトロールをするまでは。

13時40分。僕の目の前に、白い車が見える。中には、HACHIたちが乗っていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る