第3話 ガーデン
『ガーデン』とは、このカルミア王国の大きな町や都市には必ず存在する世界樹を管理している施設の名称である。
公的に管理される役所の一つなのだが、その職務は一般的な役人のものとはかけ離れている。その主な業務は世界樹の管理と研究であり、具体的な内容は庭師や植物学者のそれと非常に近い。
世界樹は創世神話にも登場する事から、長年身近な信仰の対象として大切にされてきた。
『はじめにひとつの木が創られた』
そう記された神話の一説によると、その樹は全ての木でひとつの生命であり、この世界の始まりから終わりまでを見守る役割を与えられているという。
しかし素朴な言い伝えが信じられていた時代も終わり、人々の技術が進歩するにつれ世界樹も自ずと研究の対象となっていった。その結果、世界樹にはどうやらその土地の環境を浄化する作用がある事がわかったのだ。
土壌の荒廃、水質の汚染、大気の淀み、魔力の歪みに至るまで、自身の周囲で異常を察知すると世界樹はその土地をゆっくりと癒していく。その範囲は個体としての樹の大きさによるという。
まるで私たちの傷口を治すかさぶたのように、世界を治しているそうだ。
私たち人間が世界樹の近くに町を作ったのも必然だったと言える。
この研究結果が周知されると国王も議会も満場一致で世界樹の保護を決めた。それが世界樹の庭、ガーデンが発足した経緯だった。
アイビーに案内されてホルトのガーデンへ到着したサラとレイフは、その荘厳な門を見上げて呟いた。
「こりゃまた随分と」
随分と、の後に続くサラの言葉が誉め言葉じゃない事がわかるのはこの場ではレイフだけだ。
巨大な岩を切り出して作られた重厚な門には細かな彫刻が施されていた。神話の一場面を表しているのだろう。門には石の蔦が絡みつき、所々で花も咲いている。上部には命の種を蒔いたとされる二頭の白い鳥が彫刻されていた。
レイフはその細工の見事さに目を奪われていたが、同じものを見てもサラにとっては無用の長物、壮大な浪費に見えているのだろう。道具や建物には何より実用性を求める姉である。
アイビーが門番に用向きを伝えると重い扉がゆっくりと開いた。その向こうには頭頂部がはげ上がった白髪の小男が笑顔で待っていた。出で立ちからして彼がこの町の町長だろう。
「おぉ、アイビー。待ちかねたぞ」
「お待たせ致しました。サラ・クロエ様、レイフ・クロエ様をお連れしました」
簡単な挨拶を取り交わし、レイフは町長へ紹介状を渡した。
「確かに。ささ、早速我が町の世界樹の元へ案内しましょう」
巨大な世界樹は門の外からでも見えるが、その根本に辿りつく為には建物の中を通らなければならないらしい。
一行は石造りの廊下を奥へと進んでいった。施設の大きさの割に職員は多くはないようで、誰ともすれ違うことなく根本の広場に到着した。
「お待ちしておりました。ここの管理主任をしているフランと申します」
出迎えたのは壮年の男性で、よれよれの白衣姿からは研究者の匂いが感じられた。
「フラン君、首尾はどうだい?」
町長が機嫌良く訪ねると管理主任は表情を変えずに「変わらず良好です」と答えた。その返答に満足そうに頷く。
「町長、こちらのお二人が例の?」
「うむ。我が町にもついに《繋ぎ手》が来てくれたのだ」
タイミングを見計らってレイフは管理主任に右手を差し出す。
「レイフ・クロエと言います。《繋ぎ手》なんて呼ばれていますがそんな大層な者じゃありません。今日はよろしくお願いします」
表情を変えず握手に応じたフラン主任はサラへと視線を移す。
「あぁ、私はただの連れだよ。《繋ぎ手》はレイフだけさ」
「こちらは姉のサラです。不作法な姉ですみません......」
サラのお座なりな挨拶にも眉ひとつ動かさず、フラン主任は早速レイフを世界樹の根本へと案内する。
この町の世界樹は中身をくり貫けば小さな家が出来そうなほどの巨木だ。根は腰掛けに使えそうなほど盛り上がり、その力強さにはサラも自然への畏怖を感じざるを得ない。
一同の頭上には枝葉が大きく広がっている。しかし葉の密度は意外と低いようで、木漏れ日がここまでちらちらと降り注いでいた。
根本をぐるぐると見聞しながら何やら相談している主任とレイフに対して、サラと町長、アイびーの三人は置いてけぼりの形になった。
「あれは何をしているのです?」
レイフ達を眺めながら町長がサラに向かって尋ねた。
「ブラウザを設置する場所を探してるのさ」
その聞き慣れない単語に町長とアイビーの頭上に疑問符が浮かぶ。
「レイフは世界樹の記録を覗くための窓みたいなもんだって言ってたかな。町長さんは《繋ぎ手》のことは何て聞いてるの?」
「世界樹を用いた画期的な伝達手段を授けてくれる魔導師だ、と。どんな速馬よりも、鳥よりも速い伝達を可能にする技術があると聞いています。初めて聞いた時は根も葉もない詐欺の類かと思いましたが......いやはや実在したとは」
町長は今でも半信半疑の様子で呟いた。半信半疑でもこうして厚遇しているのはレイフが持参している紹介状の信用度が大きいのだろう。
「それでだいたい合ってるよ。今日あいつがブラウザを世界樹に設置すれば、同じようにブラウザがある町とは簡単に連絡出来るようになる。ほら、今あいつが取り出したのがブラウザさ」
レイフが背負ったリュックの中から取り出したそれは、黒水晶で作られたまな板のような外見をしていた。
「ほほう、あれが」
「あれは魔石で出来ていて、あそこに世界樹に記録された情報が文字として浮かび上がるんだよ」
町長だけでなく、無関心に見えていたアイビーまでも良く見ようと目をこらしているのが少し愉快だった。
「その、世界樹の記録というのはどういったものなんでしょう?どうも私にはそれがどう伝達手段になるのか想像がつかんのですが」
ちょうどそこでレイフとフラン主任が戻ってきた。
「レイフ替われよ。私じゃ上手く説明出来ないわ」
「サラ様に新しい伝達技術についてのレクチャーをして頂いていました」
アイビーがレイフに向かって言葉を補足する。聡いレイフはそれだけで成り行きを察したらしい。
こほんと一つ咳払いをしてみせ、教師のように説明を始めた。
「まず皆さん、創世神話における世界樹の一節を覚えていますか。『その樹は生命でありながら終わりがない。いくつの種子が芽吹いても、いくつの幹が立ち枯れても、あくまで全てで一つであり、世界を見守り記憶していく』と。この一節がそのまま真実だったのです」
カルミア王国の住民は皆幼い頃に創世神話を学ぶ。神話がそのまま王族への畏怖と信仰の根拠となるからだ。
子供が産まれた家には国の成り立ちがわかりやすく書かれた教典が贈られる。そのため他国に比べて識字率も高く、その政策は文化の発展にも貢献してきた。
レイフがそらんじた神話の一節も皆一度は耳にした事があるはずだ。
「そのまま、とはどういう事でしょう。実際には世界樹はこの世に何本も存在し、滅多に無いとはいえ枯れる事もあると聞きますが」
秘書であるアイビーは町長とフラン主任の気持ちを代弁するように質問を投げかける。
「簡単に言うと全ての世界樹は繋がっているんです。それぞれ一本の樹でありながら、その全てが特別な魔力で繋がっていて記録を共有している。例えば隣町の樹が記録した事は、この町の樹も知っているんです。それがどんなに離れた町の樹でも、全ての樹は同じ事を知っています。僕が設置するブラウザは、その繋がりを少しだけ使わせて貰うための道具なんです」
町長は「なるほどぉ」と大袈裟なリアクションを取っていたがそれ以上の質問は出てこなかった。町長とアイビーはどうもぴんと来なかったようで首を傾げている。するとフラン主任がおもむろにレイフに尋ねた。
「こちらの樹が覚えた事は、どこかの樹も同じく知っている。というのはどこからでも見られる巨大な掲示板みたいなものでしょうか。隣町で誰かが『今日は雨だ』と書いたら、それを私達がここに居ながら見られる、というような」
「そう。まさにその通りです!すごいですフラン主任。ブラウザはその掲示板を覗く為の窓なんです」
この説明をして直ぐに理解してくれる人間は非常に珍しい。レイフが軽く鼻をかくのをサラは横目で見ていた。
それはサラだけが知っている彼が本当に嬉しい時にする仕草だった。フラン主任も満更では無いようで質問が続く。
「例えばその書き込みを世界樹が忘れてしまうことはないのですか?」
「ありません。世界樹には忘れるという概念が無いと思われます。身に刻まれる年輪のように、一度刻まれた情報が消える事はありません。個体として枯れてしまう樹はあるでしょう。しかしその記録はそのほか全ての個体に受け継がれ、消えることは無いはずです。文字通り、世界の全てが滅ぶまで」
途方もない話だ。
レイフのこの解説を聴く度にサラはそう思う。世界の始まりだの終わりだの、そんな単語が今自分の立っている場所と地続きだなんて、実感出来る筈もない。
そんな世界の真理とも言える場所に手を伸ばす弟の事を、サラは時々危ういと感じる事がある。
フラン主任が息を飲むのを見て取るとレイフはへらりと笑い緊張を解く。
「とは言っても、世界樹の正体については僕も調査の途中なんです。ブラウザもまだまだ発展途上な代物で」
「これは誰にでも使えるのですか?」
町長が恐る恐る尋ねる。
「もちろん。初期設定は今のところ僕にしか出来ませんが、その後はどの属性でも微弱な魔力を込めれば誰にでも使えます。ぜひ町の為に役立ててください」
解説が終わるとレイフはブラウザ設置の為の具体的な作業を進めていった。
ブラウザを画家のイーゼルのような台座に固定し、背面に魔力を通す繊維で出来たロープの端子を差し込む。端子の反対側は針のようになっており世界樹の根に刺し込み双方を繋ぐ。無事設置が完了し、レイフが自身の魔法で初期設定を終えるとブラウザが光を放った。フラン主任を初めとした職員から喝采が上がる。ブラウザにはお決まりの『ようこそ世界へ!』の文字が浮かび上がっていた。ちなみにこの一文はレイフの発案だ。
ガーデンの職員達がブラウザの使い方を熱心に聞いているのをサラはぼぅっと眺めていたが、不意にレイフからお呼びがかかった。
「なんだよ」
「接続が完了したからこの前のレーニックに連絡してみたんだけどちょっと気になる情報があって。これ見てよ」
ブラウザにはレイフが設計した手紙をやりとりする為の画面が表示されていた。
世界樹は常に相互に情報をやりとりしているが、無差別に繋がるそのやりとりは私達人間には理解出来ない信号らしい。
そこでレイフはそれぞれの町の世界樹に住所のような番号を与えて、その番号を目印にして情報をやりとりする仕組みを産み出した。
初期設定が目下レイフにしか出来ないというのは、人間が世界樹の繋がりに便乗する為の交通整理や翻訳作業が他の人間には出来ないという事だ。レイフが一人で開発した世界樹と交信するための言語、それを理解出来る者、いや、興味を持つものすらも未だ現れていない。
サラがブラウザを覗き込むとそこには二通の連絡が届いていた。
その一つは先日訪れた隣町レーニックからの連絡事項だ。長い文面では無いので内容は早々に理解したが、サラはレイフと顔を見合わせた。
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