第7話 暴風の小妖精

「サラ・クロエ、貴様まさかあの『暴風の小妖精』か?」


 サラは大袈裟に肩を竦めてみせる。


「周りが勝手に言ってるだけだよ。暴風は良いけど妖精なんてガラじゃないね。なに、私を倒して名を上げたいの?」

「ふっ、私が名を?面白い事を言う」


 ヤシャは本音でおかしさを覚えた。暗殺を生業としてからは久しく忘れていた戦いの悦びが微かに沸き起こる。


「名声に興味などない。だが、仕事だからな」


 言いながらヤシャは部屋の四方にナイフを飛ばす。狙いは明らかにサラではない。軌道を読んだサラはヤシャ本人から目を離さなかった。


 一つ目のナイフがびぃんと宙にあった何かを切断した。ナイフでもヤシャでもない位置から吹き矢のようなものが飛び出した。


 切ったものは極細の糸。ヤシャの真骨頂である罠の発動装置だ。


 『罠の雨』


 それがヤシャの異名だった。あらゆる罠のエキスパートである彼の戦法は、自身の領域に相手を引きずり込んだ時点で必勝の型である。


 罠は連鎖し、反撃の隙を与えず、確実に相手を死に追いやる。

 ーーそのはずだった。


 サラは完全な死角から飛んできた矢を最小の動作でかわした。見もせずに。


 初手の吹き矢が命中する前に、第二のナイフが天井へと突き刺さる。その位置からは金属をも腐食させる酸が飛び散る。


 絶妙な時間差を付けて第三、第四のナイフも罠を発動させるだろう。

 矢をかわしたそのままの流れでサラは再び距離を詰めるべくヤシャの方へと踏み出した。


 天井から迫る酸はサラ自身の腰布を破り盾とした隙に突破する。

 目に見えぬほど細いが肉を切り裂くほど強靱な鋼線の隙間は正確にかい潜る。

 速攻性の麻痺毒であるガスは身に纏った風で吹き飛ばす。


 ヤシャは戦慄する。一歩も動けず死に至るほどの罠を、まるでダンスでも踊るかの如く身をかわし迫りくるこの女に。


「馬鹿なっ」


 動揺が声となって現れた時には既にサラの間合いだった。


「そらよっと!」


 速度の乗った鋭い回し蹴りにヤシャは両腕でガードするのが精一杯だった。


 そのまま吹っ飛ばされ壁に叩きつけられたヤシャは、床に転がるも直ぐに起きあがる。しかし両腕は不自然にだらりと垂れ下がり、その激痛からして間違いなく折れていた。


「私の風はさ、目であり耳なんだよ。手の届く範囲って狭い領域限定だけど、空気の流れを察知して見るよりも早くわかるんだ。魔法を使った私に不意打ちは通じない」


 自身の力の種明かしをするサラの言葉をヤシャは疑わない。

 これは強者の余裕だ。この女は我を逃がす気がないのだ。時間を稼がなくてはならない。


「だとしても判断が速過ぎる。矢はわかる。しかし酸やガスの対策まであの一瞬で出来るわけが」

「あぁ、それは簡単」


 サラはさして面白くも無さそうに言い放つ。


「知ってたんだよ。酸やガスを使う事を。ぶっちゃけお前について知らなかったのは名前くらいだよ。罠の雨さん」

「......なんだと」


 レイフがこの町の世界樹でネットワークの接続を行った際、隣町からサラとレイフを探している怪しい人物が居たという情報を受け取っていた。


「私達の旅はこれで物騒なんでね。用心のため裏稼業に詳しい情報屋にネットワークで連絡を取った。ここ数日で『繋ぎ手』を狙ってる奴の噂を知らないかってな。多少ぼったくられたけど、そこで凄腕の罠使い、つまりあんたの話を聞いたってわけだ。他にも何人か居たけど、ま、片手の指で足りるくらいの数だったな」


 ヤシャは愕然とした。彼がこ町に入ってからまだ一日しか経っていない。それなのにこの情報量はなんだ。


 今までの仕事では標的に接触するまでこちらの情報が漏れる事など無かった。情報の移動には時間がかかる。どんなに金や権力のある者でも、その時間は馬や配達人の足の速さに比例する。民間人が使う配達ならその数倍の時間が必要だ。それだけの時間が過ぎてしまえば、標的はとっくに墓穴の下だったのだ。


 しかし、ネットワークが普及してしまえば......。


「確かに、これは脅威だな」


 依頼主である豪商から話を聞いたときには何を大袈裟にと内心呆れていた。遠方との連絡が簡単になるのは便利だが、わざわざこの俺を雇って妨害するほどの技術なのかと訝った。


 己が浅はかだった。

 ネットワーク。この技術は世界を変えるだろう。


 距離も時間も飛び越えて即座に伝えられる情報の価値は、今まさに身を持って体感した。


 そして『繋ぎ手』の弱みだろうと狙った女がまさかの暴風の小妖精では、明らかに準備不足だ。


「本当に割に合わんな.....」


 サラの説明を聞いてから数秒、撤退の判断を下したヤシャの行動は迅速だった。


 近場に設置していた地雷をナイフで爆発させ、それを盾代わりに一瞬の隙を作り出して窓を蹴破り表通りに飛び出した。両腕が折れているため受け身もろくに取れず転がったが構っている暇はない。ヤシャは脱兎の如くその場を離れた。


 粉塵を風で散らしサラも表通りに飛び出したが、その時には何事かと集まってきた野次馬と通行人しか見当たらなかった。


「ちっ、上手いこと逃げやがったな」


 サラは魔力を抑えて風を止めると、戦闘で惨憺たる有り様の宿屋を見やる。


「あーぁ、またレイフの小言を食らいそうだな」

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