第6話 鬼面の男

 到着すると少女はサラの背中から降りてぱっと駆け出し、宿の中に入っていった。サラも続いて追いかける。


「お母さんお父さん!」


 宿のロビーでは一人の異様な男が椅子に腰掛けていた。もちろん宿屋の主人ではない。黒を基調とした庭師のような服装の上に、顔面には鬼のような面を付けていた。


 鬼面の男は余裕のあるゆったりとした動きで立ち上がりこちらを見る。


「そいつか?」

「言われた通り連れてきたでしょ、お母さんとお父さんを返して!」


 言った瞬間思い至ったのか、少女はサラを振り返る。気まずそうに目線を落とし「ごめんなさい」と呟いた。


 脅されていた事はこのやりとりだけで容易に想像がつく。そもそも大まかな事情は察した上で彼女はここに来たのだ。サラは俯く少女にからりと笑いかける。


「良いって気にすんな。こっちこそ巻き込んで悪かったよ」


 子供の瞳にみるみると涙が貯まるのを目の端で捉えながら、サラは鬼面の男と対峙する。


「随分と紳士的じゃないか。てっきり今の隙に仕掛けてくる類の人種かと思ったんだが?」


 鬼面の男は機械的な抑揚で端的に答える。


「標的はサラ・クロエ、レイフ・クロエ。お前達姉弟だけだ」

「へぇ。プロだとは思ってたけど良い気構えだな。気に入ったから名前教えてよ」

「娘、両親は裏口で眠ってもらっている。あとは好きにするが良い。こちらの用事も直ぐに終わる」


 鬼面の男はサラの問いかけには答えない。

 男の言葉を聞いた少女は裏口に回るため外へと駆け出していった。しかし出ていく直前、心配そうな顔でサラを振り返った。


「大丈夫。私強いから」


 視線は鬼面の男から外さずに、サラは後ろの子供に向けて言い放つ。ドアがゆっくりと閉まる音が響いた。


 その刹那、鬼面の男が昨夜と同じ黒いナイフを投げつける。サラの足を狙って放たれた三本のナイフは、標的に当たることなく床に突き刺さった。


 サラが最小限の動きでナイフをかわしたからだ。彼女はかわした動きを助走として男との距離を一気に詰めにかかる。


 新しいナイフを抜く隙は与えない。

 速攻で決める。


 あと一歩で男を間合いに捉えるという直前、鬼面の下で男が微かに笑った気配をサラは敏感に察知した。


 踏み込みの軌道を無理矢理変えて体勢を崩し、受付カウンターの方へと転がる。派手な衝撃に宿全体が震えた。


「......貴様、なぜ気付いた」


 サラは素早く立ち上がるとカウンターに置かれていた酒瓶を手にして、先ほど踏み込むつもりだった位置へと投げ捨てた。


 酒瓶が床に衝撃を加えた瞬間、小規模でピンポイントな爆発が割れた瓶をさらに細かく吹き飛ばした。


「ひぇーあっぶない。食らったら足吹き飛ぶな」


 言葉とは裏腹に地雷の威力にもサラは怯む様子がない。


「私もちょっと本気出すか」


 再び構えるサラに鬼面の男もナイフを取り出す。


「ねぇ、やっぱり名前教えてくれない?私強い奴は好きなんだ。教えてくれたら地雷を避けた種明かしをしてやるよ」


「......ヤシャだ」


 名前を聞いたサラは顔を輝かせる。


「ヤシャ、ヤシャね。うん、覚えとく。だから死ぬなよ」


 サラは呟くように魔術の起句を唱える。


「風の旋律、震える息吹、この身に従い吹き荒れろ」

「貴様、魔術師か」

風魔の羽衣エアリアル・ローブ


 サラの身体が溢れた魔力で薄緑に淡く光る。彼女の周囲で静かに風が巻き起こる。


「そんなお上品なタイプじゃないさ。私は武闘家。魔法も使うがあくまで武術が主体だよ。ちなみに属性は風。私は周囲の空気の動き、音や振動に敏感でね。さっきのは踏み込みの直前にあんたが面の下で笑ったのに気付いたってわけ」


 ヤシャは面の下で驚愕する。もとより視線や表情を悟らせぬ為の面である。その下の微かな呼気まで察知するとは並の事ではない。


「それじゃ、正々堂々勝負!」


 尋常ではない速度での踏み込みだった。ヤシャが防御と回避に専念するしかない程だ。


 ぎりぎりでサラの拳打や蹴りをかわしながら、ヤシャそのカラクリを考察する。

 これは、そう、風だ。体捌きに連動するように、サラの周囲で風が吹き荒れている。


 まるで嵐と戦っているかのようだ。


 ヤシャは距離を取るために多少の傷を覚悟して手投げの手榴弾を近距離で爆発させた。衝撃と煙を利用してようやくサラの間合いから外れる事に成功した。


 右腕に裂傷を負ったが敗北よりマシだ。相手の魔法も理解した。動作の補助として風を使うが、風に直接の攻撃力は無いようだ。ありがちな風魔法のようにかまいたちを作り出せるならその好機はいくらでもあった。


 賭けになるが、それ以上に長引かせるのは得策ではない。


「全く。報酬に見合わぬ仕事だ」


 ヤシャは本音半分でため息をつく。


「私の首は、そんなに安かったのか?」


 サラはピント外れなところに怒りを示す。


 ヤシャが二人について持っていた情報は少ない。今回の依頼主はとある豪商だった。


『邪魔な新技術を広めるあの姉弟を殺せ。二人とも武術をかじっているようだが、所詮田舎出のガキどもだ。簡単な仕事だろう』


 ヤシャ自身が隣町で二人の情報収集をした際も周囲の反応は概ねそんなところだった。ところが蓋を開けてみればどうだ。


 武術をかじっているどころの話ではない。これほどの手練れ、例え王都の武術大会でもそうそうお目にかかれは......。


 そこでヤシャの頭をよぎったのは去年の夏に流れたある噂だった。


『武術大会で子供のように小柄な女が並みいる豪傑を薙ぎ倒し優勝したらしい』


 そうだ、聞いた通り名は確か。


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