第73話 夜空
どんなに長い一日にも、やがて夜の帳は降りる。
アルゴスは深夜の情報局でひとり仕事を続けていた。部下達には魔力を回復させる為に仮眠を命じている。ブラウザはあくまで魔道具であり、使用者の魔力が尽きれば使えないからだ。アルゴス自身は常人の倍以上の魔力があるため、まだまだ仮眠は不要だった。
「明日からは交代制にしなくてはな......」
背もたれに深く腰かけて、アルゴスは思い切り腕を伸ばす。自分でもため息なのかわからない空気を吐き出し、国王への報告のためにまとめた被害レポートに目を落とす。
地震の被害範囲は小さなものまで含めれば王国全体の四分の一を越える規模だった。特に人口が多い都市部の被害が深刻で、復旧にはかなりの時間を要するだろう。
鉱山の街では三カ所の坑道が崩れた。そのうちの一つでは現在も閉じこめられた作業員の救出が続けられている。加えて町へと続く山道が落石で通行不能になり物流が麻痺。こちらは復旧見通しが立っているものの、孤立した町の不安は大きく予断を許さない状況だ。
イキシアでは地震後に大規模な火災が発生。穀物倉庫の炎上により住宅地にまで広く延焼し、今なお鎮火が叶わずにいる。幸い現地の衛兵隊や役所の活躍によって住民の避難はスムーズだったようだが、それでも死傷者の数は史上最大に上るだろう。さらに王国における食料供給の一大地域だったイキシアの被災は国全体に影響を及ぼす。
早急に復興しなくてはならない為、既に王城からは一個師団を派遣している。護衛兼労働力としての派遣に渋る他の将軍を説得するのは本当に骨が折れた。王から現地徴収や軍規の乱れは起こしてはならないと釘を指して頂いたが、アルゴスは心配でならなかった。
ただ、イキシアにはサラ君も居るからな。同僚の横暴があれば彼女が絶対に黙っていないだろう。
アルゴスは既に疲れきっているであろうかつての想い人に、これから更に苦労をかける事について心の中で詫びた。
最後に一番被害が大きかった場所、いや、壊滅したと言う方が正しいだろう。地震発生後さらに大波に襲われたサジタットの復興計画は困難を極めていた。
市長が発した早期の避難命令により、大波の人的被害事態をかなり抑えられたのは大きな救いだ。
しかし港湾施設は全壊、町も瓦礫混じりの濁流により壊滅。大型船舶が陸上にいくつも横倒しになる有様で、瓦礫の撤去だけでどれほどの月日がかかるか検討もつかない。唯一無事だった丘陵地帯には灯台のほかに家屋はほとんど無く、大勢の避難民が救援を待っている。
避難民の多さと必要な物資の量は比例する。大量の輸送を行うには船舶が一番だが、その船舶を停泊させる港湾施設は全壊している。アルゴスは苦渋の決断として、まず港湾施設の復旧を第一目標として建設資材と職人の手配を行い、海路でサジタットへと送り込んでいた。同時に陸路では食料など生活必需品や護衛の手配も行ったがこちらは到着までに時間がかかるだろう。サジタットの住民にはある程度の期間自助努力を強いるが他に手はない。
「長い一日だったな.....」
アルゴスはぽつりと呟くが、今日という一日が始まりに過ぎない事を思うと自嘲気味な笑いが浮かんでくる。
ネット越しに上がってくる各地からの情報を活かし、この災害を乗り越える為にアルゴスは一日中奔走した。情報局の長としての仕事はもちろん、宰相や他の将軍達との折衝に明け暮れ、なんとか王城としての初期対応を形にした。
「しかし、何もかもが足りない」
物資も人も、時間もだ。王国中かき集めても捻出できる量には限りがある。そもそも余所の援助を出来るような大きな都市など極少数なのだ。大多数の町や村は自分たちが生きる分だけで手いっぱいなのが現状だ。
だが、希望はある。
アルゴスはブラウザを開き、諜報員として他国に潜伏しているイヴンから来ていたメッセージを開く。
《所属している隊商を中心にした商会連合から、カルミア王国に向けて支援物資の準備があります。これは国の判断、外交の類ではなく商人達による商売の話です。商人のネットワークを通じてカルミア国境近郊から素早く直接物資を届け、さらに継続的な物流を維持する算段もあります。悪どい商売はしませんが、その代わり支援物資に対する関税の免除と、王国と商人ギルドの連携を公にする事、護衛の兵の派遣、この三つを守っていただければ商会連合は直ぐに動ける体制を準備しています》
国外に諜報員を派遣していたのはあくまで軍事、外交的な情報収集の為だった。それがこんな形で活きるとはな。
国外に支援を求める、という考えはアルゴスの頭にも浮かんではいた。だがここ近年王国が起こした戦争の禍根から、援助を求められるような国が少なかったのだ。迂闊に援助を求めれば、チャンスとばかりに侵略される危険が大いにあった。
だが、国ではなく商人か。
商人の目的は利益であり具体的な対価だ。歴史やメンツが絡みあい腹の読めない近隣諸国よりも援助は求めやすいかもしれない......。いずれにせよ、アルゴス一人で決められる方針ではない。早朝に会議を開く準備をせねばなるまい。増え続ける調整ごとにアルゴスは深いため息を落とす。
それにしても、世界も狭くなったものだ。
国民の大半が知らないような外国から、それも一般人の中から救いの手が差し伸べられるとは。
ネットワークで情報が世界を駆け巡り、遙か遠い国の者でさえ隣人のように王国の事を知りえてしまう。逆もまた然り、私たちも彼らの事を知っている。
隣人同士でいがみ合っていては安心した暮らしなど望めない。
ならば私たちには対話が必要なのだ。住む場所も価値観も考え方も違うが、同じ人間として、より良い世界を作っていかねばなるまい。
私たちはもう繋がってしまったのだから。
果てしなく広いと思っていた世界は夢幻となり果て、世界は小さな村となった。善意も悪意も賢者も愚者も筒抜けの小さな村だ。
アルゴスは無性に夜空が見たくなり、部屋の小さな窓から顔を覗かせた。
空には雲一つなく、昔から変わらぬ星々が微笑みかけるように瞬いていた。
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