第18話 世界を維持するたった一つの方法

 サジタットから遠く離れた王都コンバラリアでは、良く晴れた月夜だった。


 ゴードン・エーベルバッハは自身が経営する商業ギルドにおける執務室の椅子に背を預けていた。豪奢な誂えを施した窓越しに不気味な月を見上げるその表情は、凍てつくような冷たさだ。黒光りする革張りの椅子がぎぃと音を立てた。


 今日の月はやけに赤い。


 室内を薄ぼんやりと照らすのは執務机に置いた魔力ランプの明かりだけだ。

 エーベルバッハは貿易・交易を生業とする一家の次男坊だった。父が起こした商いは、このカルミア王国が豊かになる時流に乗って瞬く間に大きくなり、一家は一代で資産家の仲間入りを果たした。


 香辛料に東方の織物や陶器、宝飾品、この国にとっては未知の薬などを現地で安く仕入れ、ここ王都で売買する。客は懐の暖かい貴族達が中心だ。現地で二束三文のものでも、物珍しさに高く買うものはごまんと居る。父からこの商売を教わった時はなんて楽な商売なんだと思ったが、難しいのは買い付け、無事に帰ってくるその旅路だった。


 旅は過酷だ。街道が通った道はまだ良い。整備されていない森や山道を通る事もざらにあり、天候に恵まれず何日も足止めされる事だってある。予定通りに行かない行程には当然金がかかり、いくら準備をした所で野盗に襲われる危険は常にあった。


 父はその危険を少しでも減らす為、いわゆる裏の人間とも親交を深め、遠方へのキャラバンを結成する際には屈強で荒事に慣れた護衛を融通してもらっていた。それでも命の危機を感じた事が片手では足りないほどにある。


 エーベルバッハが裏の住人と知り合ったのも父の人脈経由だった。生真面目な兄はそういう輩から距離を置いていたが、エーベルバッハはむしろ彼らにこそ親近感を抱き、いつしか父抜きで自ら親交を深めていった。


 そして転機は訪れた。


 父が病に倒れ、商会は兄が継ぐ事となった。だが潔癖で世間知らずな兄はこれまで持ちつ持たれつだった裏の人間達に一方的に絶縁を言い渡した。


 そして連中が目を付けたのがこの私だった。連中は兄に対して苛烈な嫌がらせを行い続け、一方で私の仕事にはスムーズに事が運ぶよう手を貸した。兄の評判は徐々に曇り、商会の中での私の存在感は大きくなっていった。


 兄は正しく清廉だったが同時に愚かだった。この世は綺麗事では回らない。

 私が連中と繋がっている事に気付いた時には、既に商会は私のものとなった後だった。


「地獄に堕ちろ」


 兄の最期の言葉はそんなありきたりのものだった。死後の事など知ったことではない。ずっと兄の代用品として育てられたが、私の人生は私のものなのだ。


 コンコンと控えめなノックの音でエーベルバッハは追憶の彼岸から引き戻された。


「失礼致します」


 入ってきたのは商会におけるエーベルバッハの秘書である。

 従者としての正装に身を包み慇懃に頭を垂れるこの男もまた、その実は裏の人間だ。勘の良い人間ならば奴の目の濁りと鋭さに気付く事が出来るだろう。


 秘書の口からは商会が取り扱う商いの定時連絡が淡々と告げられた。問題がある取引でもエーベルバッハは端的に、感情の片鱗も見せる事無く対応を処断していく。


「最後に例の、サジタットの件ですが...」


 部下に指示を出してから一週間ほど。子飼いの配達人が首尾良く指令を運んでいれば既に繋ぎ手への襲撃は行われ、あとは結果が届くのを待つのみといったところだろう。


 専門家による秘密裏の暗殺は失敗した。


 仲介人が言うにはいくら報酬を積もうと前回の刺客を上回る手練れは手配出来ないと言う。繋ぎ手にそれほどの刺客を撃退する武力があるのは想定外だった。優男と小娘の二人連れなど大した事はあるまいと思いつつ、念を入れて専門家を雇ったというのに、それすら認識が甘かったらしい。


 暗殺に失敗した刺客はそのまま行方をくらまし、仲介人にも行方が掴めないようだ。死体は上がっていないようだが、メンツが第一の裏の世界。その刺客が王都に戻る事はもう無いだろう。


 エーベルバッハの憂いを察する事無く、秘書は慇懃に報告を続ける。


「サジタットでの依頼に支払う報酬の準備は滞りなく。五十人以上の人員を雇い入れても賄える額を揃えました」


 エーベルバッハは報告に静かに頷いた。どんな達人であろうと数の暴力には叶うまい。チンピラ共にくれてやる金くらいどうとでもなる。


「恐れながら、この者達はそれほどの驚異なのですか?繋ぎ手は王族や軍との繋がりがあるという情報もあります。手を出すリスクが大き過ぎるのではないですか?」


 この秘書がエーベルバッハに口出しするのは珍しい。裏側を知る人間として、この国最大の権力を敵に回す危険を嫌というほど熟知しているが故の進言だろう。


 つまり荒事には精通しているが、商売に関しては素人同然なのだ。

 だが側に置く以上、多少の教育は投資の範囲か......。


「繋ぎ手がもたらすネットワークが普及すれば、儂の商売は終わるのだ」


 秘書が眉間に皺を寄せエーベルバッハを見返す。言葉の真意が理解出来ないのだろう。


「良いか、儂が行っている交易は安く買ったものを別の地で高く売る。これで成り立っている。それはモノの価値は地域によって差があり、その差を知る者が少ないからこそ成り立つのだ」


 もちろん交易品には輸送リスク分の価格が上乗せされて然るべきではある。品物を運ぶ旅のリスクが並大抵のものではない事をエーベルバッハは子供の頃から良く知っている。


 しかし現在エーベルバッハが行っているのはリスクを遙かに越える価格のつり上げだった。王都で安穏と暮らす者には交易品の真の価値などわからない。その真偽の為だけに危険な旅に出る者などいない。


「ネットワークは地域ごとの情報格差を瞬く間に解消してしまう。今まで膨大な費用をかけるか命がけの旅でしか得られなかった情報が、ガーデンへ、世界樹の元へ訪れるだけで手に入るのだ。商売の世界でも破壊的な変化が強いられるだろう。いや、商売だけではない。外交も軍事も、冗談ではなく世界が変わるだろう」


 繋ぎ手がもたらすネットワークの話を聞いた時、エーベルバッハは雷に打たれたような衝撃に貫かれた。その未来、可能性。是非とも我が手に欲しい、手に入れたいという欲望が膨れ上がるのを感じた。


 だが王族や軍という上位権力の庇護を受けている以上、その技術を奪う事も懐柔する事も難しい。いくらエーベルバッハが豪商と言えど、一国の力そのものに太刀打ち出来るはずもない。


 もはやエーベルバッハの世界を維持する手段はただ一つ。

 その技術が世間に浸透する前に潰すしかない。


「とにかく奴らを早急に始末しろ」


 秘書はわかったような顔で頷き、部屋を出ていこうとするが、ドアノブに手をかけた所で後ろに飛び退き、エーベルバッハを庇うように戦闘態勢をとった。


「な、何事だ!」

「ドアの向こう、何者かが潜んでいます」


 ぎぃ、と微かな音だけを発してドアがゆっくりと開いた。

 その隙間からぱちぱちぱちと場違いな乾いた拍手の音がする。開いたドアの向こうには白々しい微笑を浮かべながら手を叩く、金の短髪に碧い瞳の優男が立っていた。

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