第14話 新しい言語

 サジタットの街が夕陽に染まる頃、リック達の工房も営業時間を終えようとしていた。


「はいはーい、今日はここまで!道具はちゃんと元の位置に片付けて帰ってねー」


 工房一階にあるメインの作業室ではリックに代わってビビが従業員達へ号令をかけていた。号令に従い従業員達は三々五々に工房を後にする。最後に残ったビビはぐるりと室内を点検してから部屋の鍵を閉めた。


 ふぅ、とため息を一つ落として彼女は緊張の糸を緩めると、年相応の顔になってリックの様子を見に行くことにする。


 職人の世界は男性が主役と相場が決まっているが、ビビはそうした世情をはねのけるだけの才気と気概を持っていた。あのリックが見込んだだけはあり、彼女もまた天才の一人に違いないのだ。


 ビビが二階のプライベート工房を覗くとリックもレイフも作業に没頭しており、声をかけない方が懸命に思えた。そのままそっと扉を閉めたところで、急に背後から声をかけられた。


「なあ」


 全く気配を感じなかったビビは飛び上がりそうなほど驚いて振り向く。そこにはレイフの姉であるサラがこちらを見上げて立っていた。


 女性としては平均的な身長であるビビよりも一回りは小柄な彼女だが、自信とふてぶてしさを標準装備したような立ち居振る舞いのせいか、ビビはあまり彼女を小さいとは感じない。


「さ、サラさん、あーびっくりした。どうしました?」


 レイフとサラは魔道具の改良のために暫くこの工房に滞在する予定だ。

 ここはリックが寝泊まりする事も多い為、居住スペースが完備されているのだ。ビビ自身も内弟子のように半分ここで暮らしているようなものだった。


「この辺に身体洗えるところないか?寝る前に出来ればさっぱりしたくてさ」


 同じ女性としてその気持ちはよくわかった。長旅からようやく街に着いたんだもの、身を綺麗にして人心地つきたいのが女心だろう。

 埃まみれのまま丸一日でも工房に籠もっていそうな男共とは違うのだ。


「それなら私、良いところ知ってます。ちょっと待っててください。一緒に行きましょう」


 ビビはそう言うと身支度を整える為に駆け足で自分が占有している部屋へと足を向けた。



 リックの集中が切れた時、忙しなく動いていた階下での人の気配がふっつりと消えている事に気がついた。この作業部屋には窓が無いため時間はわからないが、恐らくはもう日が沈んでいるのだろう。


 長時間に及ぶ集中の代価として凝り固まった筋肉をほぐす為に、リックは大きく伸びをした。それに釣られてレイフも顔を上げると、ずっと握っていたペンを置いた。


「休憩にしませんか、お腹も空いてきましたし」

「だな。茶でも淹れてきてやるよ」


 リックが持ってきた熱いお茶を、レイフはふーふーと冷ましながら口に含む。


「進捗はどうですか?」

「まあそう簡単に進むわけないわな。先は長え」


 リックはそうため息をつくと自分で淹れたお茶を喉を鳴らして飲み干す。


「レイフ、お前の植物魔法、もっと細かく定義するなら植物と意志を通じる魔法を誰でも使えるようにするなんてのは、この俺様をもってしてもどれだけ時間がかかるかわかりゃしねーよ」

「けど、やり方自体はわかってるんでしょう?」

「まあな。大きく分けて二つの段階がある。一つ目はそこらにある魔道具と同じように魔力の属性をお前の魔法属性に変換する為の変換回路を作る。これが出来れば世界樹に意志を伝える口、向こうの声を聞く耳が出来るわけだ。そして二つ目は言葉だ。お前の魔法のように自身の考えをそのまま魔力として出力するなんてのを魔道具で実現するのはまず無理だ。それは魔道具が曖昧で抽象的な人間の考えを読みとれるか?という事に等しいからな。だから世界樹と魔道具がやりとりするための新しい言葉、言語が必要になってくる。なるべく平易で、かつ複雑な処理を実現出来る論理的な言語を作らなきゃならない。ただそれを作るにも実際にレイフと世界樹の間でどんな言葉が、どんな形の魔力を介したやりとりがされてるのかサンプルが必要だ」

「それが今僕が書いている問答集なんですよね。僕の問いかけに世界樹がどう応えたかを箇条書きにしてますが、これが本当に役に立つんですか?」

「当たり前だ。お前のそれは回答用紙だ。俺がやる事は新言語の構築だが、ある意味では未知の言語の翻訳作業だ。正解がわかってるってのは有り難い」


 レイフはリックの話に興味深く耳を傾ける。普段のレイフは頭脳労働担当で人にものを説明する、教える立場になる事が多いのだが、ここでは学校の生徒になったような気分をこっそりと楽しんでいた。


 実際のところ孤児であるレイフは本物の学校に通った事は無いのだけれど。


「ちなみに、俺が変換機を完成させたら、その問答集に魔力パターンも追加してもらうからな」

「え、これに更に?」

「当然。世界樹の回答はともかくお前の魔力パターンは変換機が出来ればその場で記録出来るんだ。やってもらうぞ」


 レイフは既にちょっとした書物くらいの厚さになろうとしている紙束を見やり、生唾を飲み込む。ネットワークを構築する為には何でもやる覚悟を持つレイフではあるが、骨が折れる仕事には変わりない。


 レイフはもう少しだけ休憩しようと話題を逸らすことにした。


「そういえば、昼間の配達員の方とはどんなお知り合いなんですか。親しそうに見えましたが」

「ロニーな。あいつとは実家が近所なんだ。ガキの頃はよく一緒に遊んだもんだが、いつの間にやら随分とお堅い大人になっちまって......。昼間は悪かったな。別に悪い奴じゃあないんだけどよ」


 リックは幼なじみの代わりにお座なりなお詫びの言葉を口にする。


「気にしてませんよ。ネットワークのある未来を不安に思う気持ちもわかります」


 実際レイフとサラの旅においてネットワークに対する賛否は半々というところだった。新しい技術というのはいつの時代も期待と不安の両面を抱かせる。


 リックはがしがしと頭をかきながら本音を漏らす。


「あーぁ、こんなに面白え技術の何が不安なのかね。文字通り世界が変わるぜ?新しい世界が見られるっつうのに」

「リックさんはそうでしょうね」


 繋ぎ手である自分よりも悔しそうにしているリックがおかしくて、レイフは控えめに苦笑した。


「なあレイフ、実際のところお前はどうなんだ。なぜ命の危険を犯してまでこんな事をしてる?ネットワーク普及後の世界はまるで別モノになるだろう。生活から軍事まで何もかも変わる。それだけ大きな変化を起こすであろうお前は、何を芯として進んでるんだ」


 リックは真剣なまなざしでレイフに問いかけた。レイフはその視線から逃れるように、視線を落として呟く。


「僕は約束を守りたいだけです。自分が出来ることをやる。それがたまたまネットワークの構築だった。けれど.....」


 レイフの唇はそこで止まり、言葉を探すように沈黙した。

 ゆっくりと顔を上げたレイフの瞳に映ったのは揺るぎ無い決意だった。


「ネットワークさえあれば助かる命が必ずあります。あの日僕らが流したような涙を減らす。それが出来るのなら、僕は何を敵に回しても構いません」


 リックはレイフの瞳の奥に燃える炎を垣間見た。置き火のように密やかに、けれど何よりも熱いその意志を。


「誰との約束か、聞いても良いか?」

「今はもう居ない、僕ら姉弟の育ての親との約束です」

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