第15話 今夜、夜更け

 鴎と角笛。そこはサジタットが小さな漁村だった頃から営まれている老舗の酒場だ。価格も手頃、その気取らない店構えで労働者達の憩いの場として贔屓にされてきた。今は創業者の孫である三代目女将が切り盛りしており、今宵もホールでは給仕達がテーブルの間を鴎よろしく飛び回っていた。


 ロニー達のテーブルにも酒と食事がどんどん運ばれてくる。配達人達は労働で乾いた喉を潤し、他愛もない会話を肴に杯を酌み交わす。


「あーっ、この一杯の為に生きてるぜ」

「全くだ。そういや聞いたか、イギーの奴が王都へ行くらしいぜ」

「うへぇ、この時期にご苦労なこった。いくら給金が良いつっても子飼いは大変だねぇ。日干しになっちまうぜ」

「何でも火急の報せらしくてな。俊足の俺様の出番だと自慢してきて鬱陶しいったらありゃしねぇ」

「奴が早えのは足よりも女に出す手だ。王都でガキでも作って返ってこねえんじゃねえか」

「ありうるな!」


 色とりどりのゴシップの花が店中のテーブルで咲き乱れ、笑い声も怒鳴り声も一体となり店内に満ちていた。


 しかしそんな音の洪水の中でもロニーの耳と頭はそれらの意味を受け付けず、何も考えまいとするようにグラスの数だけが増えていった。


「おいおいロニー、沈んだ顔で飲み過ぎだろ。お前顔に出ないんだから気をつけろよ。大して強くもねえくせに」

「うるさい。今日は飲みたい気分なんだよっ」


 ロニーの脳裏にはリック工房でのやりとりと裏通りでの不穏な噂が、拭いきれない黒炭のようにこびりついていた。


 繋ぎ手が変える世界。手紙も配達も無しに離れた相手と言葉を交わせる世の中。そこに自分達のような配達人は必要だろうか。ロニーには彼らを妨害する輩の気持ちもわかってしまうのだ。


 酔いで軽くなった口に任せて、ロニーは同僚の一人に繋ぎ手の新技術についてどう思うか、配達人の仕事はどうなると思うかと尋ねた。多かれ少なかれ彼らの存在は配達人の間にも広まっているのだ。


「そりゃ必要だろ。配達の仕事が全部無くなるわけねえべさ」


 同僚の一人は当たり前だと言わんばかりの口調でそう言葉を返す。


「まあただの手紙なんかはそんな便利なもんが出来たら減るだろうけど、小包や品物なんかは誰かが運ばなきゃいけねえんだろ。なあ?」


 そんな事はロニーにもわかっている。


 工房で聞いた話でも送れるのはあくまで文面であり言葉だけ。世界樹の魔力に情報を乗せてやりとりをするネットワークは、物品を届けられる類のものではない。


 だがロニーの心中に影を落としているのはそんな事ではなかった。


「確かにそうだ、けど手紙っていうのはこう、要件を伝えて終わりってだけのものじゃないだろう?」


 その問いには願望が混じっている事を、とうにロニー自身が気付いている。


 手紙と共に人の心を、想いをこの手で運んでいる。その自負がロニーの職業意識の核となっているのだ。


 同僚は肩を竦めて「まあまあ。今夜は付き合ってやるからよ」とロニーのグラスに酒を継ぎ足した。


 そうしてロニーはグラスを空けては愚痴をこぼし、リックへの悪態をつき、配達という仕事のやりがいから配達人全体のプライドの低さを嘆いた。同僚達も流石に付き合いきれず一人また一人と帰っていくが、ロニーはそれを朦朧とした意識で見送るのだみだった。


 気が付けば店のテーブルにはただ一人。


 ロニーは給仕の女性に肩をゆすられ目を覚ました。閉店時間まで酔い潰れた事を詫びながら店を出ると、湿り気を帯びた潮風がそっと頬を撫でた。寝起きと酔いで朦朧としていた意識が、冷たい空気に洗われるように徐々に冴えてくる。


 今夜、夜更け。


 裏通りで聞いたその言葉を思い出してロニーの脳は一気に覚醒した。悪い想像が鎌首をもたげ、宵闇の中ではそれを振り払う事も出来ない。


 ロニーは半ば衝動的に幼なじみの居る工芸街へと走り出した。

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