第20話 変わるもの、変わらないもの
王都コンバラリアでの一大事件。国で五指に入る豪商の罪が暴かれ軍に処刑されたニュースは、ここサジタットにはまだ届いていない。
だがレイフ達を通じていち早くその事件を知ったロニーは、その報が届いた後の街の混乱を想像しなが物思いに耽っていた。この街にもエーベルバッハの商会や取引先はごまんとあるからだ。
リックの工房に襲撃があったあの夜。襲撃者達を返り討ちにした繋ぎ手の二人とリックは、スキンヘッドの男から依頼主の情報を聞き出した。
その情報を元にレイフがネットワークを介して情報屋に調査を依頼、仲介業者を辿り真の黒幕を突き止め、王都にいるアルゴス将軍へと通報を行ったのだ。ただしどうやら黒幕であるエーベルバッハは以前から軍が内偵を進めていた人物だったらしく、いずれにせよ近日中に捕まっただろうとの事だ。
これらの情報が交わされるのにかかった時間はたったの三日である。
それもほとんどが調査にかかった時間であり、連絡そのものはガーデンの世界樹に繋がったブラウザを用いたその場で終わっている。
サジタットから王都まで手紙を届けるのに通常の配達ならば片道三週間はかかる。
港から出航している船便を使っても一週間以上はかかるだろう。それだけの距離を一瞬で越えて情報のやりとりをするレイフをガーデンで見たとき、ロニーは足下が崩れさるような衝撃を受けた。
「どうだ、すげーだろロニー。これがネットワークの力だ」
なぜかレイフよりもリックが自慢げに見せびらかすので、ロニーはつい反射的に言い返してしまう。昔からリックの言う事にはつっかからずにはいられないのだ。
「確かに凄いし便利だけど、こんなものを作るから危ない目に遭うんだろ。時間がかかったとしても配達人だってちゃんと手紙を届けられるんだからそれで良いじゃないか」
願望が多分に入り交じった感情論だという事はロニーが一番わかっていた。リックからいつものように理路整然とした反論が返ってくる事もわかっている。
だがリックが口を開くよりも早く、レイフがブラウザから顔を上げてこちらを振り返った。
「良くありません。僕らにはネットワークが必要なんです」
思いがけない強い口調とまなざしにロニーは怯んだ。夜襲にあった時でさえ取り乱さなかったレイフの固い表情を受けて、ロニーは完全に気圧されていた。
「絶対って......それは命を賭ける程の事なんですか」
「命だけではなく、僕は全てを賭けてネットワークをこの世界に普及させるつもりですよ」
そう言い切ったレイフの瞳の奥底に、ロニーはひとつの狂気を見た。何が彼をそこまで駆り立てるのかはわからない。しかしそれはロニーが持つ職業意識や誇り、使命感とは違う次元の何かだと直感した。
「現状の配達では間に合わない情報でも、ネットワークの速度があれば救える命が必ずあります。それだけじゃない。距離を超えた情報のやりとり、言い換えれば人との繋がりは、世界をより良くする為の大きな力になるはずなんです」
世界を変える。この柔和な青年はそんな事を本気で目指していると言うのだ。
先ほどネットワークの力を目の当たりにした時と同種の、馴染んだ世界が変質するその始まりを見ているかのような、そんな不安がロニーの足下から這い上がる。ロニーは救いを求めてレイフの姉であるサラに視線を向けた。
サラはあっけらかんとした声でロニーに応えた。
「よくある話だけど、私らはそれで大切な人を亡くしてるからさ。世の中からそんな事を無くしたいって気持ちは私にもわかるよ。ま、レイフには私がついてるんだから心配すんなって。誰が来ても蹴り飛ばしてやるから」
ロニーの不安とはピントが外れたサラの返答をよそに、リックはわくわくが止まらないという顔で「それでこそ俺様が見込んだ奴らだ」などと言いながらレイフの首に腕を回して肩を組んだ。
「ブラウザの改良は俺に任せろよ。今みたいに最初はレイフ自身が世界樹に接触しないとネットワークを開通出来ないってのは不便極まるからな。この天才魔工技師がなんとかしてやる」
リックの太い腕に組みつかれたままレイフは「頼りにしてます」と苦笑した。そこにはいつも通りの柔和な青年の姿が戻っていた。
手にしたリンゴが地面に落ちるように、当たり前に先へ先へと進んでいく三人を前にしてロニーは立ち尽くしていた。
不安がこぼれ落ちるようにその問いはロニーの口から吐き出された。
「......皆がネットワークを使うようになったら、手紙は無くなってしまうんでしょうか」
配達人は、ではなく手紙はと言ったのはせめてもの強がりだった。震える声に気づいているのかいないのか、レイフは至って平静に応えた。
「無くならないと思いますよ」
あまりにも事も無げに言うレイフにロニーは質問を重ねた。
「だってネットワークを使えば、一瞬で連絡が取れる世の中になるんですよね。そんな便利なものが出来たら誰も手紙なんて書かなくなるんじゃないですか」
「確かに手紙の流通量は減るでしょう。単純な連絡事項や商売といった、早ければ早いほど良い類のものはネットワークを使った方が遥かに便利です。でもネットワークは決して万能の道具じゃありません。物質の配達なんて出来ませんし、例えば先ほどあなたが届けてくれたこの手紙」
そう言ってレイフはついさっきロニーがここに配達した手紙を取り上げる。
「これは僕らが育った孤児院からの手紙です。文字を覚えたての小さな子達が書いてくれた短い一文、故郷の押し花、以外と几帳面な僕らの師匠の生真面目な文字。誰かが手づから書いた手紙にはその人の面影が透けて見えます。例え届くまで時間がかかったとしても、そこには確かな価値がある。ネットは素早く情報を伝えてくれますが、そこにあるのは平易で均一な情報のやりとりに過ぎません」
横で聞いているリックはレイフの話に頷きながらも「それも今のところはだろ」という言葉を己の内に飲み込んだ。あえてロニーに言う言葉ではないだろう。
ロニーはレイフの言葉を理解はしているが、まだ納得しきれていないという顔で俯いていた。
「ロニーさん、僕の予想は感傷的過ぎるかもしれませんし少数派かもしれません。けれど事実として、僕は直筆の手紙を受け取れば嬉しい。この価値観はきっと僕だけのものじゃないはずです。喜ぶ人が、求める人が居るものはそう簡単に無くなったりしません。むしろネットが普及した後、あなたが運ぶ手紙はこれまで以上に人の想いが込もった手紙が増えるはずです。早さや便利さを捨ててなお、自分の手で気持ちを伝えたい、手紙はそういうものになるんじゃないでしょうか」
レイフは真摯なまなざしでそんな未来を語ってみせた。
「ロニーさん、改めてこの手紙を届けてくれてありがとうございます」
「そうだぞ、私だって手紙が来るのは楽しみにしてるんだ。これからもよろしくな」
今まで黙っていたサラがそう言ってにかっと笑う。
手紙を受け取って笑顔になる人が居る限り、自分の仕事は無くならない。本当にそうだろうか。
まだ未来への不安は晴れない。
けれどロニーはこの先、きっとこの二人の笑顔を何度も思い出す。そんな予感がした。
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