第24話 川辺での小休止

 太陽が稜線の向こう側に隠れ、森は夜の帳に包まれようとしていた。もう村が焼ける煤の匂いも届かない。ここにあるのは夜露を含む緑の匂いと清涼なせせらぎだけだ。


 三人は見晴らしのいい川辺で小休止をとっていた。


「ここで一端休憩して、その後は一気に廃神殿まで行くっすよ」


 アスタ村からここまで必死に駆けてきたレイフ達一行は、イヴンのかけ声で足を緩めた。今夜は満月だ。雲もなく明るい夜だが、森の中で十分な視界が確保出来るほどではない。


 レイフとイヴンの手足や顔には、小枝にひっかけた無数のかすり傷が出来ていた。ただしサラだけは風の魔法を身に纏いながら行軍した為、不自然なくらい傷どころか汚れすらついていない。ただ、先ほどの戦闘で受けた腹部の傷だけは浅くないはずである。


 静かに流れる小川の水は澄んでおり、三人はそれぞれに傷の手当てをした。

 綺麗な水で傷を洗えるだけでも有り難いが、イヴンが傷薬や包帯を多めに携行していたおかげでしっかりと手当することが出来た。


「助かったぜイヴン。お前準備良いなぁ」

「戦地で怪我したら自分で何とかするしかないっすからねぇ。邪魔にならない程度にいつも持ち歩いてるんすよ」


 サラから率直に誉められたイヴンはまんざらでもない顔である。

 自分の手当を早々に終えたサラはレイフの手当てを手伝う。ナイフ使いとの戦いであちこちに付いた切り傷から血が滲んでいた。


「ありがとう姉さん」

「うっし、じゃあ次。ほら、イヴンも足見せてみな」


 サラはへらへらお喋りしつつも周囲を警戒していたイヴンに、こちらへ来て座るよう促した。


「え、俺は全然大丈夫っすよ、気にしないでいいっす」

「良いから座れ!」


 サラの一喝にイヴンは「はいっ」と反射的に歯切れの良い返事をして、こちらへ来て着席する。姉としての習性と末っ子としての習性が見事にマッチしたやりとりだった。


 イブンのズボンは濃紺なので暗い森の中では気がつかなかったが、足首より少し上のあたりが裂けて血が滲んでいた。


 イヴンの前にしゃがみ込んだサラが裾をまくり上げると、すねからふくらはぎにかけて痛ましい切り傷が露わとなった。サラは濡らした布で傷口を拭き、イヴンが携行していた消毒液をかける。


「......ずいぶん手慣れてるっすね」


 てきぱきと手当をするサラの動きには無駄がなく、傷が痛まないようにという配慮を感じさせる手つきだった。


「まーな。うちの師匠が現実的でさ。武術なんてやるからにゃあ怪我は避けられねえ、だから一通りの手当てくらいは出来るようにならなきゃいかんって色々教えてくれたのさ」


 イヴンは素直に感心した。田舎の武術道場なんて形だけのものも多いのに、随分実践的な教えをするものだ。


 そこにサラと一緒に教えを受けたレイフが補足を付け足した。


「まあ僕らの師匠は手加減が下手でさ。弟子を怪我させる事が多くて必死に覚えざるを得ないってのがオチなんだけどね」

「ぶはっ、そりゃ酷いっすね」


 イヴンが吹き出し、サラとレイフも一緒に笑った。しかしその笑顔も長く続かず、一同の間には沈黙がのしかかる。


「......村は大丈夫かな」


 サラは後悔のにじむ声で呟いた。


「きっと大丈夫だよ。狙いは僕らなんだし」


 届かないであろう励ましを、それでもレイフは口にする。

 姉にとっては久しぶりの敗北なのだ。実際の戦闘だけではない。守るための武力という信念、それを果たせず撤退した悔しさは相当なものだろう。


「そうだイヴン、僕らが向かっている廃神殿てどんなところなの?というか聞く暇もなく付いてきたけど、なんでこの辺に詳しいのさ?」


 村への襲撃から辛くも逃げだし、レイフ達は先導するイヴンについて見知らぬ山中を走ってきた。


 イヴン曰く、この先に大昔に廃れた神殿が残っており、いまだに世界樹が生き残っているという。そこでネットワークに繋げれば、アルゴス将軍に救援要請が出来るかもしれないという話だった。


「あー、それはこの辺一帯をうちの一族が修行場として使ってるんすよ。子供の頃から親父や兄貴にここらでしごかれたおかげで、夜だって道に迷うことはないっす」


 イヴンが軍人の家系だという話は以前聞いていたが、思った以上に由緒正しい家系らしい。ガーデンでの戦闘で見せた凄まじさは家系の産物なのかもしれない。


 レイフは先刻イヴンが見せた裏の顔、その表情を思い出してぞくりとした。


「あ、でも出身はアスタ村じゃないっすよ。ここから山一つ向こうは離れた村なんすけど。直ぐ家に帰れるような場所で修行しても身にならんって理由で、わざわざここまで来て稽古してたんすよ。だから将軍は今回の護衛に俺を指名したってわけっす」

「......アルゴス将軍は、襲撃を予想してたのかな」

「だとしたら最初っから教えとけっつー話だよな」


 サラの憤慨はもっともだ。戦闘力に加えて土地勘のある護衛が必要になる事態を、事前に想定しいていたのなら教えておいてほしかった。


「流石にあの規模の、しかも二組から襲撃があるって知ってたらそもそも出発自体させなかったはずっすよ。繋ぎ手は大事な英雄ですから」

「おい、ちょっと待て」


 サラがイヴンに真顔で問いかける。


「二組ってどういうことだ?アスタ村襲撃犯はフィクス軍じゃないのか」

「いやいや何言ってるんすか。村襲撃は隣国のフィクスですが、ガーデン襲撃犯はまた別の何かっすよ。得体の知れない分あいつらの方が不気味っすねぇ」


 襲撃犯は二組。

 イヴンはきっぱりとそう断言した。ひとつはテルカトラ山脈を挟んだ隣国であるフィクス軍。もうひとつはーー。


 レイフは炎に包まれる世界樹を思い出すと、怒りの感情がふつふつと沸き上がるのを感じた。


 許さない。そう心に決め、レイフは拳を強く握りしめる。


 初めの襲撃があったのはレイフ達がネットワークを開通して直ぐのこと。ガーデン施設内部での出来事だった。

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