第二章 うねり(通信が変える商いと生活)
第10話 港町の配達人
肌を焼く陽光が降り注ぎ空はどこまでも高く青い。
長年潮風に晒されてもなお健在に建ち並ぶ建築と石畳の向こうに、入道雲が膨れ上がっている。潮の香りと共に今日も賑々しいカモメの
カルミア王国の海の玄関口であり貿易の要であるこの港街サジタットは、王都に次ぐ規模を誇る交易都市だ。世界中の人や品々がここに集まり、人や文化が交わる交差点となっている。商人達は日々商いに精を出し、旅人は骨を休めて英気を養う。広場では吟遊詩人や大道芸人が人々を楽しませ、気鋭の芸術家も数多く住まい新しい文化の種がそこかしこで芽吹きを待つ。
まさに国の最先端を行く地、それがサジタットだ。
「おーい、ロニー。ロニー・バーネット!午前の配達はもう終わったのかぁ」
街中に造られた水路、そこを行き交う小型船を眺めてぼんやりしていた俺に声をかけてきたのは同僚のダグラスだ。
紺色のマントを揺らしながらダグラスは駆け寄ってくる。動きやすさを重視したズボンに長距離移動にも耐えられる丈夫なブーツ、腰のベルトには手紙をパンパンに詰めた配達袋と短剣を下げている。頭にはサジタットの紋章が入った丸い制帽を乗せていた。
かくいう俺もダグラスと全く同じ格好をしている。これが公式な配達人としての制服だからだ。
そう、俺の仕事は人々に手紙を届ける配達人だ。人と人との大事な約束や誰かの想いを、この手で届ける尊い仕事に就いている。
「局に戻るとこなら一緒に昼飯でも食おうや。今朝は大漁だったから魚が安いって話だぜ」
俺は焼きたての旬魚を想像してごくりと喉を鳴らすが、生憎と配達鞄の中には一通の手紙が残っていた。
「悪いな、午前中にあと一通届けなきゃいけないんだ」
「一通くらい後で大丈夫だって、腹減ってんだろ」
ロニーは気楽にサボりを促す同僚をじっと睨みつけた。ダグラスは悪い男じゃないんだが、時折無精な性格が仕事にも反映されてしまうのがよろしくない。
「そういう訳にいくか。この手紙を待ってる人が居るんだぞ」
「かーっ、相変わらずお堅いねぇ堅物ロニーは」
別に俺がお堅い訳じゃない。他の奴らが軽薄過ぎるだけだと内心で憤慨する。大事な契約書なんかも運ぶ配達人は責任のある仕事なんだ。
もともと王侯貴族や軍が利用するものだった配達人の制度が庶民にまで普及したのは比較的最近の話である。ロニーが産まれた頃の国王が庶民も使える公的な配達制度を整えたのだ。
この政策は大いに成果を出し、国民の生活や商いに徐々に活気をもたらしたという。
自分達の仕事はある意味国を支えているのだ。
同僚の軽口に対してそんな正論をそのまま口にするほど子供ではないロニーは素知らぬ顔を装い、最後の手紙の宛先を確認した。
記されていた住所は工芸街の奥にある魔工技師の工房宛。そこはロニーにとってよく見知った場所である。
工芸街への道行きは局に戻るダグラスの向かう方向と途中まで同じため、自然と連れだって歩く事となった。ダグラスは噂好きで話題が尽きる事が無いお喋りな男で、ロニーはもっぱら聞き役に回っていた。
「そういや聞いたか、イギーの奴が王都のすげえ商人に引き抜かれて辞めたらしいぜ」
「あいつが......」
イギーはロニーの後輩に当たる配達人なのだが、馬術が巧みで遠方への配達速度は局内でもピカイチな男だった。
配達人の引き抜きは近年では珍しい話ではない。財ある商人が競合よりも早く各地の情報を求めた結果である。金にものを言わせて優秀な配達人を子飼いとして雇うことはそのまま情報のアドバンテージになるのだ。
貴族や軍などは以前から伝令専門の人材を囲っていたが、技術革新や貿易の活発化によって財が余り始めた商人もその列に加わるようになったのだ。
しかし仮にも王国の役所である配達局から人材を引き抜くのは違反行為ではないのか、少なくとも倫理に悖る。引き抜く商人も悪いが、それに応じる配達人にも誇りは無いのかとロニーは問い正したい。
「給金がかなり良いらしいぜ、あーあ俺んとこにも話来ねぇかなぁ。っと、そんなに睨むなよ。冗談だっつーの」
ダグラスの不届きな発言につい目つきが険しくなっていたようだ。
「あ、これは聞いたか?ここに”繋ぎ手”が来るらしいぜ」
「繋ぎ手?」
「なんでもこの街に新しい伝達技術を導入してくれるとかなんとか。ずっと離れた遠くの街に、馬よりも早く連絡出来るようになるんだとさ」
「ふっ、なんだそれ。怪しい魔術師の詐欺なんじゃないか」
ロニーはゴシップの類だと鼻で笑った。ダグラスの噂好きにも困ったものだ。
魔法は決して万能ではない。魔力という人間が発する有限のエネルギーが引き起こすひとつの現象に過ぎない。出来る事には限りがあるし、スケールの大きなものを個人で実現する事は非常に難しい。
魔石に貯めた魔力を使う魔道具にしても、力の大きさは魔石の大きさに比例するため、便利に使うサイズには限界がある。
「それが市長の客らしいんだよ」
「市長の?本当なのか」
「マジマジ。市長の秘書が繋ぎ手宛の手紙があれば役場まで持ってくるようにって局長に伝えてるのをさっきこの耳で聞いたからな」
サジタットに君臨する市長の辣腕ぶりはカルミア王国のみならず交易相手の他国にまで轟いている。その市長が認めたのなら少なくとも詐欺の類ではないのだろう。
遠くの街と瞬時に連絡が取れる?そんな技術が本当にあるなら配達人の仕事は早晩無くなってしまうじゃないか。眉間に皺を寄せたロニーの屈託にダグラスは気が付かない。
「お、そいじゃロニー、お前もあんまり根詰めすぎるなよ。じゃあな」
いつの間にか局と工芸街への分かれ道まで来ていた。遠ざかるダグラスの背を横目に、ロニーは次の配達先へと向かう。
新しい技術がなんだというのか。手紙とは人から人へと手渡されるものであるはずだ。
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