第9話 轍

 ホルトの町の出入り口である大門の下、レイフとサラ、そしてアイビーは手配した馬車の到着を待っていた。


「アイビーさんにはお世話になりました」

「今回は大変な滞在になってしまい申し訳ありませんでした」


 丁寧に頭を下げるアイビーにレイフは慌てて首を振る。


「そんな、あれは僕達への刺客ですし。こちらこそお騒がせしました」


 頭を上げたアイビーはレイフを、そしてサラを順番に見つめた。


「どうかしました?」

「いえ、その、少しお聞きしたい事が」

「なんです?」

「お二人は国の役人や軍人、というわけではないのですか?」


 レイフとサラは顔を見合わせるが直ぐに吹き出して否定する。


「私らがあんな堅苦しい組織に入るわけねーだろ」

「少なくとも姉さんには無理だろうねぇ」

「お二人は役人でも軍人でもなく、王族や貴族といった責任を持って産まれたわけでもない。それなのに今日のように命を賭けてまで、どうしてネットワークを築こうとしているのですか?」


 つまりは旅の動機。


 この世界での旅はまだまだ危険な行為だ。野盗や獣はもちろん、天候や地形も時に命を脅かす。


 各地を渡り歩く商人や郵便配達人は過酷な仕事であり命がけなのだ。それでも彼らはそれに見合うだけの利益を求めて命を賭ける。


 しかしこの二人は危険に見合うだけの報酬を受け取っていない。無償でネットワークを開設しているのだ。


 いったい何のために危険を犯してまで旅をしているのか。

 レイフは少し頭をかいてぽつぽつと話始める。


「アイビーさん、僕らはコバルト連峰にあるレクチアという村で育った孤児なんです」


 コバルト連峰と言えばカルミア王国有数の高山地帯であり、西の大国ダクティローザとの国境地帯でもある。連峰一帯は魔石の産地としても有名で近隣の村々では採掘が主産業となっているはずだ。


「僕らに親は居なかったけれど、孤児院での暮らしは賑やかだったし寂しくはありませんでした。院長先生は優しい人で、僕らみんなの親になってくれた。併設された武道場での鍛錬は厳しかったけどその分僕らを強くしてくれました。まあ姉さんの強さは若干規格外ですが」

「でも未だに師範には勝てたことねーんだよな」


 アイビーは二人の強さの根元を覗いた気がした。幼い頃から鍛えられてきたのならあの強さも頷ける。


「そんなある日、院長先生に言われたんです『あなたは、あなたが出来る事をしなさい』と。与えられた力には役割がある。人を活かす為に使いなさい、と」


 サラとレイフの頭にあの日の記憶がよぎる。


 孤児院の外は嵐で、昼間だというのにどんよりと暗い。激しい雨風により窓ガラスが不快なリズムを刻んでいた。


 横たわる老婦人を囲む子供達。彼女は孤児院の院長だった。傍らで村唯一の医者が何か言っている。


 今よりも小さなサラは村を飛び出し、山道を風のように駆け降りていく。

 その先にある渓谷を渡る唯一の橋が、既に谷底へ落ちた事も知らずに。


 院長先生の手を握っていたレイフは、か細くなっていく言葉を懸命に聞き取ろうと顔を寄せた。


 その後は慎ましやかな葬儀が執り行われ、皆彼女との別れを惜しみ、涙を流していた。


 どれだけ泣いても時間は止まらない。孤児院の最年長であるサラとレイフは子供達の前では泣くことをやめ、苦しい時期を支えあって過ごした。


 しかしあの日。

 ようやく橋が直り、麓の町で知った事実が姉弟を打ちのめしたのだ。


 レイフはアイビーの瞳を真っ直ぐ見据えてこう言った。


「知識は力です。でも一人ひとりの知識には限界がある。僕らは助け合うべきなんです。ネットワークで人々が繋がれば、必ず助かる命があります。僕にはそれを成す能力がある。ならばやらない選択肢はありません」


 もうあんな想いはもう沢山だ。

 レイフを突き動かすのはあの日の言葉と、その手からこぼれ落ちていった命の重さだ。


 その迫力に圧されたのか、アイビーはサラの方に顔を向ける。


「私は別に小難しい事は考えてないよ。けどさ」


 言葉を切ってサラは、背伸びをしてレイフの首をがっちりと抱え込みながら笑う。「ちょっ、やめてよ」と弟は抵抗するが姉の腕は外れない。細いが鍛え上げられた両腕だ。


「こいつは良い奴だろ?可愛い弟の夢を叶えるために、私はささやかながら力を貸してやってるのさ」


 サラの力をささやかと言い現すのは控えめを通り越して偽証だと思ったが、アイビーは言葉を飲み込む事にした。


 そこでようやく馬車が到着した。二人は荷物を投げ入れ、小さな幌へと軽やかに身を踊らせた。


 アイビーは二人を見上げて尋ねる。


「次はどこへ行かれるのですか?」


 サラは把握していないのかレイフの顔を伺う。


「バフリー要塞です」

「なんと。王国軍の要所ではないですか」

「あそこにも世界樹はありますから。それに、ちょっと人に呼ばれてるもので......」


 柔和な笑顔か困り顔が多いレイフには珍しく面倒そうな表情だった。サラも同様の顔をしていた。


 宿屋の主人に渡した損害賠償の請求先。


 そこには王国軍の印章が押されていた。軍属では無いらしいが何かしらの繋がりはあるようだ。


 アイビーは遠ざかっていく馬車を見送りながら思う。


 『繋ぎ手』レイフ・クロエ。

 『暴風の小妖精』サラ・クロエ。

 この二人の旅路の果てに、世界はどう変わるのか。


 この町で生き、この町で死ぬと決めているアイビーだが、その結末は知りたいと思った。


 そこで気付く。


 もうこの町にはネットワークがあるのだ。悲観する事はない。距離も時間も飛び越えて、二人の事を知る機会はきっと訪れる。


 この姉弟が拓く世界の一端に、私は既に触れているのだ。


 夕陽がホルトの町を染め上げている。白い建物が多いこの町には朱が映える。その向こうには巨大な世界樹が天を突くかのように枝葉を揺らしていた。


 彼女には見慣れたはずのそんな景色が、今日はやけに輝いて見えた。

 アイビーは微かに微笑み、彼女の日常へと踵を返すのであった。



【次回から第二章です】

舞台は王国の貿易の要である港町。

”繋ぎ手”姉弟はネットワークを普及させるための鍵を握る男と出会います。

ネットに仕事を取られると危ぶむ郵便配達人の憂鬱。

姉弟を支援するうさんくさいが有能な将軍の出撃。

既得権益を守りたい王都の豪商の陰謀などが入り乱れ、

ふたりの旅は次回も波乱続きの一幕です...!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る