第70話 サジタットの奇跡③

 市長は部下達に矢継ぎ早に指示を出す。


「従わない市民には罰則も辞さん!家財を無くしても十分な生活をこの私が保障する!だから今直ぐ逃げろと伝えろ!まずは生き延びて、あとでいくらでも文句を言えば良い」


 覇気の込もった指示に背中を押され、部下たちも飛ぶように市中へと駆ける。


「さあ、市長も避難を」

「いや、私は最後まで」

「市長ここは船上ではありません」


 市長の言葉を遮るように秘書が鋭い声で釘を差す。


「......そうだな、そうだった」


 かつて船長としてあまたの海を渡ってきた。船が沈む時は船長も共に。その覚悟でどんな荒波も乗り越えてきた。それが船長の責任の取り方であり美学だった。


 だが今は違う。守っているのは船よりも遙かに大きく長い。人々の生活であり人生そのものだ。美学よりもパンを、潔さよりも安心を。例えなじられようとも地道に出来る事を取捨選択していく。しなければならない。


 船上で嗅いだ潮風を懐かしみながらも、市長は秘書と共に灯台への道を急いだ。自分の足で、一歩ずつ。




 時計塔へと向かう途中で、リックはロニーとすれ違った。同僚たちと一緒の所をみると、郵便局で避難命令を聞いたのだろう。


「おい、どこ行くんだよ!避難命令を知らないのか!」


 ロニーはリックを見つけるなり大声で叫んだ。


「俺には俺のやる事があんだよ!」


 そのまま走り去ろうとするリックの腕を、ロニーの手が掴む。


「逃げる気はあるんだな?」

「ばーか、市長に避難命令出させたのは俺様だ。その総仕上げにこいつが必要なんだ。こいつは適当に作ったからな、俺しかちゃんと動かせねえんだよ」


 リックは手に持った魔道具をロニーに見せつける。ロニーは言葉を飲み込み、ため息をつく。


「わかった。行けよ」

「あとでな、ロニー」

「またな」


 リックは時計台を目指し、ロニーも同僚に追いつくべく再び走り出す。もう振り返ることはしなかった。




 時計台を一気に駆け昇り、リックはすっかり息が上がっていた。


「くそ、もう少し鍛えとけば良かったな」


 リックは鉄製の梯子を一つずつ上がっていく。街が見渡せる鐘楼までもうひと息だ。


 リックが市長に提案した避難誘導のアイディアはふたつ。


 ひとつはリックが戯れに作った拡声器の魔道具を使って、手っとり早く大音量で人々に避難を呼びかけるというものだ。だがその拡声器は、出力は十分以上にあるものの研究課程の産物ゆえにリックにしか扱えないものだった。そうじゃなければリック自身がこんな事をする必要は無いのだ。


「しっかし、重いなこの道具。音波の拡散にはこの形状とサイズが必要とはいえ、重量を考えたら材質は改善の余地ありだな...うっし」


 リックは梯子の最上部にある簡素な扉を押しあけて外へと顔を出す。日の光と強い風。思わず目を細めながら鐘楼に上がる。そこでリックが見たのは眼下に広がる故郷、そして沢山の建物に掲げられた旗だった。


 倒壊をまぬがれた建物に、路上に、小さな旗が同じパターンで並べられている。

 信号旗だ。無数の信号旗が街のいたるところにはためいている。


 これがふたつめのアイディアだ。港町であるサジタットでは身近な信号旗。船乗り達が昔から用いており、子供のレクリエーションで使うほどこの街に浸透した伝達手段である。色や形の異なる旗の組み合わせで、簡単なメッセージを伝えることが出来る。


 表されてるメッセージは「灯台へ逃げろ」。


 市長の部下達が市中に避難を報せるついでに、あちこちに旗を掲げていく手筈だ。これで走り回って伝えるよりもいくらか効率的だろう。


 あっちはうまくやってるみたいだな。


 己の提案がうまく行っている事に安堵したのも束の間、リックは拡声器に魔力を込める。そして自身も大きく息を吸って。


「今!ここに居る者全員に告げる!今すぐ!灯台のある丘へ逃げろ!海から大波が来る!街に居たら死ぬぞ!これはサジタット市長からの命令だ!灯台へ逃げろ!今すぐに!」


 リックが発した音が鐘楼の鐘にうあんうあんと反響する。その大音量は街の全域にまで響いただろう。リックは鼓膜がしびれ、耳鳴りを感じていた。


 しかし何度も繰り返すため、再びリックは魔力を込める。


「繰り返す!街に居るもの全てに告げる!灯台の......」


 届け、街の全ての人たちへ。

 逃げろ、ひとりでも多く。


 伝えなければ。その衝動のままに、リックは何度も発声を繰り返した。


 そしてふと気づく。


 街のさらに向こう側、水平線が広がる海に白い帯のようなものが見えた。目を凝らすとそれは、こちらへと近づいてくるようだ。


 潮時、だな。


 レイフが報せてきた大波の詳細に「海に白線を引いたような」という表現があったからだ。


 リックは拡声器をその場に捨てて、再びはしごのある昇降口へ身を滑り込ませた。時計塔を降りるには内部を通って降りていくしかない。窓も少なく、石作りの壁の内には屋外の音は聞こえづらい。


 リックの誤算はただひとつ。

 それは波の速度を見謝っていたこと。


 彼が時計塔を降りている間に、波は瞬く間に海岸線の目前まで迫り、ちょうどリックが外に出たタイミングでサジタットの蹂躙を開始した。


 巨大な水の固まりは建物を圧し潰し、瓦礫を巻き込み、それでも速度を落とさずに、馬車以上のスピードで侵攻してくる。


 街が削られるような、咀嚼されるような嫌な音を聞きながらリックは走る、走る、走る。


 だが、やがて。

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