第1話 幌馬車と慣れないワンピース

 打楽器のように規則的な馬の蹄を聞きながらサラは目を覚ます。薄い毛布を敷いただけの座席だ。寝転んでいた背中が悲鳴を上げて彼女は顔をしかめた。


 決して居心地が良いとは言えない小型の幌馬車の中には、自分と弟であるレイフの二人しか客はいない。


「おはよう。こんな揺れで良く眠れたもんだね。身体痛くない?」


 こんな揺れの中でも手帳に視線を落としていたレイフは顔を上げ、寝起きの姉に呆れ顔を作ってみせた。


 サラはのそりと身体を起こし、寝ている間にまとわりついた砂を二の腕から払い落とした。珍しく肩が出るタイプのワンピースを着ているのだ。汚れたスカートの端がわずかな不満を主張しているようだった。これは普段農民の作業着のように動きやすさ重視の服しか着ない彼女の一張羅だった。


「うっさいレイフ。まだ着かないわけ」


 寝起きの姉はすこぶる機嫌が悪い事を知っている弟は、姉に代わって御者に残り時間を訪ねた。


「ホルトの町ならもう見えてますぜ。ほら、あそこにちーっこく見える丘のとこだぁ」


 御者の大声はサラにも聞こえたようで、幌から顔を覗かせて進行方向を見やる。平坦な街道の先にこんもりとした緩やかな丘がかすかに見えた。まだ町並みまでは見えない。しかし丘の頂上付近に大きな樹木が生えているのはわかった。


「レイフ、ホルトの世界樹ってあれ?」

「多分そうだね。レーニックの村長さんが一目でわかるって言ってたし」


 目算ではあるがこの距離なら二十分もすれば到着しそうだ。


「ようやくこの揺れともおさらばか。ひと眠りしたら腹が減ったから、着いたらとりあえず何か食べに行くよ」


 レイフはわざとらしくため息を付きながら姉の意見を呑み込む。


「はいはい。本当は先に役場へ挨拶に行きたいんだけどしょうがないなぁ。ホルトはスパイスの産地として有名だから、きっと料理は美味しいと思うよ。辛いの好きでしょ?」


 弟からの情報に姉はにやりと笑ってみせた。先ほどまでの不機嫌はどこへやら。一転して上機嫌になった姉にレイフは苦笑する。


 自分より二歳年上なのに、いつまでも屈託なく子供のような所がある姉を、レイフは羨望混じりに慕っていた。


 想いや感情をストレートに相手にぶつける姉を見て、自分には真似出来ないとどこか諦めを感じてもいる。いつも人の輪の中にするりと入っていける姉。故郷の村でも、この旅の道中でも。


「食事中に服を汚さないようにね。代わりの服なんて持ってないし、今日は正式な紹介で町長に会うんだから」

「へいへい」


 珍しく履いたスカートを気にするでもなく足を組んで膝に頬杖を突いたサラは適当な相槌を打つ。


 彼女は常々思う。私みたいながさつな女の弟が良くもまあこんなに気のつく母親みたいな男に育ったもんだと。いや、私がずぼらだからレイフがこうなったのか?


「どうしたのさ」


 じぃっと見つめられて訝しむレイフに「別に」と返し、サラは再び進行方向に視線を送る。不意に御者が振り向いて大声で注意を促す。


「クロエさん方、こっからちょっと緩ーい坂道になってますんで、転げないように気をつけてくだせえ」


 サラ・クロエとレイフ・クロエの姉弟がホルトの町に到着するのは正午を過ぎた頃になるだろう。


 一方その頃、ひと足早くホルトの町に入った余所者がもう一人。その人物は町に馴染みの商人のお供として門を通過した。しかしその商人は、それからぱたりと姿を消す事になるのだった。

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