第3話 幽世の護人10
「……冥一郎さん」
ふと、名前を呼ばれ我に返る。
腕には、まだ『番』を持たない魂魄が一人。
そしてその魂魄は――なにより『幽冥の月』に見初められるほどの価値がある。
どう扱うかは、自分次第なのだ――。
「……急に、連れてきてすまなかったな」
「いいえ。それより、着替えて、くださいっ。風邪をひいてしまいます。それに……」
「うん? どうした……」
「は、恥ずかしい、ので……」
「…………」
それは見るのが恥ずかしいくらいの身体ということだろうか。
どう解釈すればいいのか、と頭の中で噛み砕きながらも一先ずは言うとおりにしようと、みことを降ろした。そして、ツイと部屋の片隅にある着物箪笥を指さす。
「着物を選んでくれないか? なんでもいい。みことの好みが知りたい」
「ひぇ……? わ、私が……?」
「嗚呼。どんな物を選んでくれるか楽しみだ」
そう言うとみことに背を向け、手拭いを使い髪や上半身の水気を拭う。
このままにしておけば、みことの言う通り、風邪をひいてしまいそうだ。
「それとも風邪をひいたほうが、みことにとって都合がいいか?」
「都合とか、そんな話じゃないです。……ただ、普通に心配します」
「心配か。そうか……フフッ」
どうやら怒っているのだろう。声に少しだけ棘がある。
本当はもう少しばかり会話を楽しみたい気持ちもあるが、あまり長くこの状態でいるのは良くない。落としきったとはいえ、穢れは水にすら溶け込む。早めに替えるに超したことはない。
「すまないが、着物の用意を頼みたい。まだ髪が濡れていてな、そのまま触るわけにはいかないんだ。箪笥の上段から、順番に手に取っていけばいい」
「はっ、はい。えぇっと、これとこれと……これも、かな?」
後ろでは、わたわたと慌てふためく声が時折聞こえてくるが、敢えて気にしないことにする。
「…………」
ワシワシと髪の水気を拭いながら、一息吐く。
成り行きとはいえ、連れてきてしまったことに罪悪感がないこともない。
だが〝役目〟をこなす以上、みことと会う時間も限られてくるだろう。
そんな中、あまりにも無防備なその姿を、屋敷の中だけに閉じ込めておくのも憚られる。
だから早く――……。
(〝契り〟を交わさなければならない。なにより、みことの身の安全のためにも……)
☽ ☽ ☽
着物の用意を頼まれ、部屋の隅に置かれた着物箪笥の前で、私は微かに唸っていた。
(私の好み……か)
それこそ、不知火さん達のように着物の知識もない。
上から順番に取っていったとしても、冥一郎さんの好みじゃない物だったらと思うと、不安になる。それでもモタモタしてはいられない
(
意を決して着物箪笥を開けると、そこから藍色とは少し違う、紫色と青色の中間のような着物を手にしてゆく。
(綺麗な色の着物ばかり……。私が着せて貰ったものとはまた違う良さがあるなぁ)
つい、そんなことを思いながら見惚れそうになるのを我慢し、次々と着付け道具を手にしては着物箪笥を閉め振り返ったその時だった。
トン……、
不意に、冥一郎さんの大きな掌が、顔の傍に触れた。
お待たせしました、という言葉を言い切ることができないまま、目の前には夜色の瞳を宿した男性が一人、立っていた。
「ずっと、捜していたんだ」
静かに紡ぎ出される言葉。
その真意は、私にはまだ分からない。……にも関わらずまるでずっとその時を待っていたお姫様のような錯覚を覚える。
「〝幽冥の月〟に見初められた
「求、婚……?」
どこか他人事のように、その言葉を
あまりにも自分に不釣り合いな言葉。
なのに、心の奥底に抱くこの気持ちはなんだろう。
戸惑いと、嬉しさ。
不安と、焦燥。
疑心と、恐怖。
どの感情も当てはまりそうで、当てはまらない。
そんな最中でも、冥一郎さんとの距離はゆっくりと縮まる。
「……っ」
濡れて冷えた冷たい掌がそっと肩に置かれると、そのまま優しく抱き締められた。
抱き上げられた時とは違う。まるで壊れ物を扱うような抱擁に、緊張感が全身から伝わってくる。
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