第2話 夜を纏う男はかく語る9
(きょ、距離が……近い。はっ、恥ずかしい……恥ずか死ぬ……!)
降りようにも、脚が痺れているせいでまともに立てない。
もしかしてそれを考慮した上で抱き上げてくれたのだろうか。
だとしたら、それは少しだけズルい人だ。
(嬉しいけど、ズルい……)
私の気持ちや行動を蔑ろにはせず、どちらかと言えば導くように選択肢を与えてくる。
私の歩調や呼吸、言葉にできない距離感に合わせてくれている。
それが、言葉だけではない行動から静かに伝わってくる。
だからきっと――冥一郎さんは、優しい人なんだ。
あまりにも優しすぎて、少しだけ不安になる。いや、言い換えれば不信かもしれない。
今までがあまりにも不幸すぎて。
不幸という名のぬるま湯に浸かりすぎて。
だから、ヒトを信じることが怖くなった。
人との距離の詰め方が分からなくて、尚更怖くなった。
だからこんなにも優しくしてくれる冥一郎さんに対しても、心の何処かで身構えてしまう。
裏切られるのではないか。突き放されるのではないか。そんなマイナスの感情ばかりがゆっくりと雪のように降り積もってしまうのだ。
(なんて、最低な人間だろう……私は)
心の底で、自分自身を軽蔑する。
優しさに慣れない理由を、他人のせいにしようとする。
その浅ましさが悲しくなる。
「……どうした?」
私が終始無言でいたからだろう。
こうして言葉を掛けてくれる冥一郎さんの問いかけに、咄嗟に笑顔で取り繕った。
「なんでも、ないです。……何処に行くんですか」
「この屋敷の庭だ。今の時間なら、いい〝気〟が満ちている」
そう言うと、冥一郎さんはそのまま屋敷の奥へと歩いて行く。
(庭……。さっき見かけた場所かな)
そんなことを考えていると……ふと、静かだった屋敷の廊下に異音が響いた。
――ザァザァ。
雨のような、波のような、物悲しい音がする。
――ザァ、ザァザァ。
(この音、前にも聞いたような……?)
行燈だけが点々と照らす長い廊下を抜ける間も、その音は屋敷の奥から響いてきた。
不安を煽るような音ではない。
寧ろ、どちらかと言えば心地よい気さえする。
薄暗い回廊を、冥一郎さんは迷うことなく歩いて行く。そして、
「此処だ」
ギィと重々しい音を響かせながら黒塗りの扉を開けると、そこには別世界が拡がっていた。
私には、好きな
大輪花に分類される、芍薬や牡丹。
中輪花に分類される、椿や
他の花にあるような、華々しさや重々しさは、その花にはない。
色。
香り。
花弁の大きさ。
他の花と比べたら、きっと粗末かも知れない。
けれど、他のどんな花よりも魅力的だと――そう断言できる自信がある。
その花の持つ刹那的な美しさに、精一杯咲き誇るその力強さに、麗しさに惚れたのだ。
「桜、だ……」
言葉が、自然と零れ落ちる。
私の一番好きな花。今の季節では決して見ることの叶わない満開の桜が、風に揺れながら咲き誇っていた。
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