第4話 幽冥の月に見初められし者9
胸が早鐘を打つ。
苦しいくらいの胸の痛みに身体が熱くなる。
なのに神狩尊は構わず首筋や肩口に沿うように舐るようベロリと舌を這わしてきた。慣れない感覚に背筋がゾクゾクとしながらも、抵抗できない以上、堪えるしかないと息を噛み殺した。
『やはり味が濃いな』
「あ、じ……? 私を、食べるの?」
『まさか。そんな勿体ないことなどするものか』
ニヤリと口の端を歪に歪めて嗤う。
『怨み、辛み、嫉み、僻み――お前の魂魄には負と死の味がじっとりと染み込んでいる』
とても美味だ、と神狩尊は囁く。
「そ、そんな……こと」
『ククッ、認めたくないか?』
「私は、誰のことも……」
『憎んでいない、と? ククッ、忘れているだけ――否、目を背けているだけだろうよ。でなければこれ程まで甘美な匂いを放つ魂魄にはなり得まい』
クイと顎を上げられ、無理やり視線が交わる。
冥一郎さんとは違う、冷たい光を宿した深紅の瞳が三日月のように細められた。
『幽冥の月に見初められ、死の轍の上を歩み、〝此処〟に来るべくして辿り着いたのだからな。よほど酷い目に遭って来たのであろう?』
「…………」
神狩尊の問いに、言葉が詰まる。
そんな私の様子にいっそう気を良くしてか、神狩尊は低く嗤う。
スルリと冷たい指が肌を滑り、座っていた椅子のような何かから糸ごと私を引き剥がす。
そしてそのまま――まるで赤子でも抱くかのような優しさで私をその腕の中へと収めた。
『幽冥の月に見初められた者の真の意味すら、彼奴等から教わっていないのであろう?』
『真の、意味……?』
『そうだ。――お前は本来、吾の花嫁になるべき女だ。負と死に染まった魂魄こそ、吾の傍に在るに相応しい……』
(負と死に染まった魂魄……)
その言葉に、胸の内がゾワリと粟立つ。
何故だろう。
改めて言葉にされて今初めて――私は、感情を押し殺していたことを自覚する。
怨み、辛み、嫉み、僻み――おおよそ負の感情に分類されるそれらすべてを、一度に知覚した。いや、違う。知覚させられたのだ。目の前の男、神狩尊の言葉によって……。
「……っ」
瞬間、胸が詰まる。
言葉にならない言葉に、息ができなくなった。
「……!」
気づけば、頬は濡れ大粒の涙が両目から溢れ出ていた。
(なんで、泣いてるの……?)
それは、神狩尊の言葉が事実だからだろう。
苦しかった……人と同じラインに立てないことが。
悲しかった……愛しい家族を亡くしたことが。
辛かった……人から疎まれることが。
寂しく、そして他人が妬ましかった。
そんな感情の波が押し寄せては、幸せだと自覚していた筈の偽りの感情を押し流していく。
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