第2話 夜を纏う男はかく語る2

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 未だ魂魄うつわが安定していないからだろう。

 つい先刻まで言葉を交わしていた女は、再び眠りの底へと落ちていった。

 よくよく顔を見つめると、あちら側の世界で見かけた印象よりもどこか幼さを感じる。

「ふぅ……眠ったか」

 規則的な呼吸音に、安堵の息を漏らす。

 無意識のうちに緊張していたのかも知れない。

 あのままもし暴れでもしたら、半ば強行手段を執らなければならないところだ。

 だが、そんな方法は俺もしたくはない。

(説明は……後でもできる。今は少しでも休ませなければ、魂魄が保たないだろう)

 布団の中から女の小さな手を掬い上げると、その甲に口唇を添える。

 まだ、活きていない。

 まだ、呼吸も浅い。

 だからこそ、無理はさせられない。――いや、させたくない。

(大切な〝メ〟だ……)

 それこそ薄氷で形造られたかのように……薄く、冷たく、儚く、脆い。

 今までの経験の中で培ってきた気質か、それとも生来からの気質なのか。

 どちらにせよ、今は傍に置いておくしかないだろう。目を離した隙に壊されでもしたらたまったものではない。


「まだ構っておったのか、冥一郎」


 不意に、背後の闇の中から名を呼ばれた。

 その声の持ち主が誰か判ると、名を呼び返す。

黄泉月よもつき。覗き見とは……おまえらしくもないな」

「仕方あるまい。ワシがいきなり出ては、この娘を怖がらせてしまうじゃろう? ワシなりの気遣いじゃ」

「……そうだな。黄泉月のことも視え過ぎるのは〝毒〟だからな」

「毒とは、また言い得て妙じゃな。――それにしても随分と脆そうな〝メ〟じゃのう」

 闇の中から、姿なき声がカカカカッと可笑しそうに笑った。

「手籠めにしたら、簡単に壊れてしまうじゃろうなぁ」

「変な言い掛かりはやめてくれ、黄泉月よもつき。そんなことはしない――今はまだ、な」

 丸窓から空を見上げると、そこには眼球のような月が浮かんでいる。

 ヌラリとした蒼みを帯びたその光は、マヤカシだ。

 ヒトも獣も何もかも、その蒼い月光によって何もかも狂わされる。

 そんな月の下に、脆弱な魂魄うつわを曝すわけにはいかない。

「それにしても、珍しいのう……。冥一郎が初めから甲斐甲斐しく世話を焼くとは。普段なら放りっぱなしじゃろう」

「放りっぱなしじゃない。……ただ、上手く接することができないだけだ」

「カカッ、同じようなモノじゃろうが。何かキッカケでもあったのか? そうでもなければお主は動かん」

 互いに付き合いが長いからだろう。キッカケがある筈だと断言する黄泉月。

 その言葉を頭の中で解きほぐしていく。それこそ大層な理由があるわけではない。

「……助けようとしただけだ」

「助ける? まさかお主のことをか?」

「……嗚呼」

 訥々とつとつと、黄泉月にあちら側で起きた出来事について掻い摘まんで話してみせた。

 すると珍しく、黄泉月はらしくない嘲笑をもらした。

「カカッ! それはなんとも愚かしい――愚かしく面白いことをする娘じゃのう……!」

「…………」

「ワシはてっきり〝メ〟として見定めた上で、連れて来おったとばかり思っておったぞ」

「……。質は、悪くない筈だ」

 魂魄うつわの質を見定めること。

 その目利きについては、黄泉月から嫌というほど叩き込まれたのだ。

 今更善し悪しに関する説教はされないと分かっていても、つい言い返した。

「……!」

 その時だ。ザァと雨のような音が丸窓の外から響いた。

 気づけば月は群雲に覆い隠され、周囲の闇はいっそう深く濃さを帯び始めている。

「その娘に執着するのは構わん。だが、いい加減お主の務めも果たさねばな」

「……。分かっている」

 そっと握っていた女の手を置くと、音もなく立ち上がり縁側へと進み出る。

『我が〝メ〟に、月の祝福と呪いが在らんことを』

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