第2話 夜を纏う男はかく語る1
――ザァザァ。
音がする。
――ザァ、ザァザァ。
雨のような、波のような、物悲しい音がする。
鼓膜の奥底に響くその音は、まるで目を覚ますようにと責っ付くようだ。
「…………」
けれど、瞼が重い。
起きなければならない筈なのに、身体はそれを拒絶する。
意識が深く深く沈み、心と身体が引き離されて千切れていく。
「――……いで」
不意に、誰かの声が聞こえた。
「――……おいで」
聞き覚えのない声が呼んでいる。
何度も反響しては、道標のように私を誘おうとする。
その声の主を、意識だけのまま――鋭敏になった五感を使い追い求める。
幾つもの声を辿り、冷たい水面のような〝何か〟を通り過ぎ、そして気づいた時には……私はまったく見知らぬ場所に寝かされていた。
「……っ」
重たい瞼をこじ開けて、ゆっくりと眼を開く。
真っ先に眼に飛び込んで来たのは、清潔感のある白木の天井。
それは自宅のものとも、病院とも違う見知らぬ天井だった。
加えて香木の柔らかで優しい匂いが鼻腔を擽る。
知らない場所である筈なのに、眼を醒ましたその場所は何処か懐かしい匂いがした。
「――目醒めたか」
不意に、落ち着いた声が投げかけられた。
霞む視界の中、眼球をゆっくりと動かし声がした方向に視線を向けると、丸窓のすぐ傍に男の人が一人座っていた。
行燈の薄明かりでも判る端正な顔立ち。
そして着流し、というのだろうか。
シンプルながらも綺麗な藍染めの着物に身を包んだその人は、凭れていた壁から背を離すとこちらへと寄ってきた。
「こ、こは……?」
喉奥が擦れ、ろくに声が発せられない。
それでも身動ぎをし、なんとか起き上がろうとする。
だがすぐに、男の人の手によってやんわりと制された。
「……まだ、動くな。身体に障る」
「で、も……」
徐々に意識がハッキリしてくるにつれ、湧き上がる不安感。
「貴方は? どうして私……寝てるの……」
なんとか唇を動かし、頭の中に浮かぶ疑問を次々と口に出す。
男の人は何者で、私はどこにいて、何があったのか。
疑念と疑問。混濁した記憶の不安から、恐怖を宿した視線を男の人に向ける。
「…………」
私の問いかけに、その男の人は何かを言いかけた。
けれどそれは言の葉になることなく、微かに吐き出された吐息に混じって消える。
「……説明は後だ」
低く淡々とした口調。切れ長の夜色の瞳がよりいっそう鋭く細まる。
怒らせてしまっただろうかと、萎縮し、思わず視線を逸らすとそれ以上言葉を発することができなくなった。
「…………」
「…………」
互いに無言のまま、数秒とも数十秒とも分からない時間が過ぎる。
「すま、ない……」
やがて沈黙を破るように、千切れた言の葉が男の口から零れ落ちた。
「こちら側に来て間もないうちは、
「うつ、わ……?」
「説明は……後で、きちんとする。今は、とにかく休め。それだけだ」
短く切るように言葉を一方的に紡ぎ、そのまま男の人は顔を背けてしまう。
疑問も疑念も、明確な答えは得られていない。
それが悲しくもあった。けれど告げられた言葉の数々は、私の身体を労って発せられているのだと不思議と理解できた。
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