第2話 夜を纏う男はかく語る6

「四季様。お迎えに上がりました」

 着付けが終わってから、すぐのこと。

 着物に不慣れでよたつきながら歩いていた私のもとに、一人の女性がやって来た。

「冥一郎様と黄泉月様がお待ちです。――どうぞ、お手を」

「は、はい! すっ、すみません」

 差し出された女性の手を支えにしながら、板張りの長い廊下を歩いて行く。

 縁側から差し込むのは、仄かに灯る行燈と外から降り注ぐ月の冷たい光。

 歩いていくと、やがて中庭らしき開けた場所に出た。

 そこから空に浮かぶ寂しげな月が見える。

(あれ……?)

 ふと、気づく。

 いつの間に、夜になったのだろう。

 朝の知らせを告げる鳥の鳴き声も聞こえていた筈だ。

 着付け部屋に移動する時は、別の廊下を通ってきたから、外は見えなかったけれど……自分でも気づかないうちに時間が経ってしまっていたのだろうか。

「…………」

 言葉に出来ない違和感。そして、何かを忘れてしまっている。

 それはずっと起きてから考える余裕がないからだと思っていた。

 でもそれがもし、別の要因があるのだとしたら――。

(私は……どうして〝此処〟にいるの)

 その疑問に、ようやくぶち当たる。

 ずっと目を背けていた疑問。それがゆっくりと鎌首をもたげる。

(私は……なんのために〝此処〟にいるの)

 ザワリと胸の内側を荒い舌で舐めあげられたような悪寒が奔る。

 このまま逢うべきではないのかも知れない。

 そんな不安から女性に質問をしようと声をかけようとした。刹那、

「四季様をお連れ致しました」

 無情にもその場所へと、私は辿り着いてしまっていた。

 

 ☽ ☽ ☽


 その部屋は、仄かに香木の匂いに包まれていた。

 先ほどまでいた六畳間とは違う、ゆうに十人は簡単に入れてしまいそうな和室。

(いい匂い……)

 どこかで香を焚いているのかも知れない。

 空間全体には、優しい香りに包まれており、思わず緊張していた息を小さく吐いた。

「みこと。此方へ」

 女性から引き継ぐように、冥一郎さんが差し出した手に掴まると部屋の一角に置かれた座布団に座る。するとすぐに黄泉月さんが傍に寄ってきては、カカッと笑い声をあげた。

「ほう。馬子にも衣装ではないか」

「……」

「冥一郎も何か言うてみたらどうじゃ?」

「…………」

「変なところで寡黙になる奴じゃのう。まったく、一言くらい言うてやらんか」

「……っ、どの言葉が一番合うか考えていた」

 冥一郎さんの言葉に、やれやれと装束姿の青年――黄泉月さんは肩を竦めた。

「あ、あの。黄泉月、さん……えっと」

「ほう。ワシの名前を覚えておったか。感心感心。……だが、『さん』はいらぬぞ。黄泉月だけで良い。冥一郎もそう呼んでおるからのう」

「は、はい。ありがとうございます。……黄泉月」

 戸惑いつつ言葉を返しながら、積もる沈黙と疑問をどう切り出そうかと思案する。

 視線を逸らし、用意されていたお茶を誤魔化すように口付けた。

「――此処に呼んだのは他でもない。改めて、みことと話をしたくて席を設けた」

 私が抱いている不安や疑問。そして不信までもが表情かおに出ていたのだろう。

 切り出せずにいた私の代わりに、冥一郎さんはゆっくりと言葉を紡ぐ。

「ワシはもう少し待てと言うたが、冥一郎こやつがきかなくての」

「みことと約束したからな。きちんと話す、と」

 チラリと此方を見た冥一郎さんと視線が絡む。

 夜の色を宿した、優しくも寂しげな眼差しに不覚にも胸が高鳴る。

「みことは、此処に来る前のことを憶えているか」

「此処に、来る前までのこと……?」

 改めて問われると、言葉に詰まる。

「憶えて、ない……です」

 私の返事は想定内だったのだろう。

 二人は互いに一瞥しあうとさらに言葉を続けた。

「やはり憶えておらんのか。まあ、無理もないがのう」

「俺とお前は……一度会っている。勿論〝こちら側〟での話じゃない」

「口下手な冥一郎こやつから訊いた話を繋ぎ合わせたに過ぎぬが……お主は、冥一郎こやつのことを助けようとしてくれたのじゃろう」

「ああ。車から遠ざけようと、助けてくれた。……思い出せないか?」

「え……」

(私が、冥一郎さんを……?)

 助けようとした、その言葉を心の中で噛み砕き、理解しようとする。

 鈍痛のようなジンワリとした痛みが、頭の奥に拡がる。

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