第2話 夜を纏う男はかく語る5

 結局、あれよあれよとしているうちに時間は過ぎていき――気づいた時には昼近くの時間になってしまっていた。

 恥ずかしさの余韻から脱することができず、冥一郎さんの胸元にひっついたまま、顔を上げられずにいると、ふと縁側のほうからトタトタと軽い足音が近づいて来るのが聞こえた。

 そして音が部屋の前で止まると同時に、ふすまがスパァンと思い切り開け放たれた。

「いい加減起きぬか、冥一郎……!」

 有無を言わさずに入ってきたその人物は、随分と目立つ外見をしていた。

 銀糸を思わせるほど繊細な白い髪。そして熟れた柘榴のように赤い瞳。

 華奢な肢体は陶器のように白く滑らかで、冥一郎さんとは正反対の精巧さをその身に宿していた。

「やはり〝メ〟を抱え込んでおったな……。朝になってもお主が一向に顔を見せんから、不知火しらぬいが心配しておったぞ。こンの阿呆めが」

「……朝から小言はやめてくれ。黄泉月」

 先ほどまでとは違う、やや堅い声で冥一郎さんは言葉を返す。

 冥一郎さんが身を起こすのにつられて私も起き上がると、慌てて乱れた寝間着の襟元や帯を直した。

「――さて、〝メ〟よ。冥一郎こやつのせいでろくに食事も摂れておらぬじゃろう。別室に色々準備をさせておる。用意が出来たら来るがいい」

「え……。は、はい」

 冥一郎さんが黄泉月と呼んだ青年。その言葉使いや外見に圧倒され、私はコクリと頷くしかできなかった。


 ☽ ☽ ☽


「どうぞ、お入りください」

 数人の女性に連れられ、案内されたその部屋は六畳一間のこじんまりとした和室だった。

 窓一つないその部屋の左右には、総桐の箪笥たんすが据え置かれている。そして目の前には複数の着物や帯など、おおよそ着付けに必要な道具類が揃えられていた。

「お召し物はこちらへ」

「先に、こちらの襦袢じゅばんに袖をお通しください」

「好みの柄やお色などはございますか?」

「帯をお締め致します。少々苦しいかと思いますが……」

 口々に――けれど一方的ではなく私の着替える早さや好みなどを訊きながら、慣れた手付きで着付けてくれる。

 もともと着る機会はなくても興味はあった。

 だからつい、着付けて貰う時に色々と尋ねてしまう。

「この柄は……牡丹ですか?」

「いいえ、こちらは芍薬ですよ。牡丹と芍薬は花弁がよく似ているので間違えやすいですが、葉の形を見ることでどちらか判るんですよ」

「芍薬は生薬にもなります。牡丹も」

「へぇ……。皆さんお詳しいんですね」

 私自身は何もできないまま――ただ大人しくするしかできない。

 時々、着物に関して質問をしても優しく答えてくれる。それが……密かに嬉しかった。

 着付けられた着物は、きっとどれも上等なのだろう。

 白く淡い芍薬の振り袖。藍色の帯には豪奢な紋様。今まで手に取ることも身に着けたこともない着物ものだった。

「凄い……。綺麗……」

「よくお似合いでございます」

 着付けが終わると、深々と頭を下げる女性たち。

 初めは余所余所しくどこか怖いと感じてしまったことを内心猛省する。

 口調は丁寧で、優しくて冥一郎さんとは違う柔らかい雰囲気が心地良い。

 だから、少しだけ勇気を出して――名前を訊きたくなった。

「着付けてくださって、ありがとうございました! あっ、あの。お名前を……聞いてもいいですか?」

「右から、胡蝶、水木、鉄線、芙蓉と申します」

「胡蝶さん、水木さん、鉄線さん、芙蓉さん……。皆さん花のお名前なんですね!」

 素敵です、と思った言葉がそのまま口に出てしまう。

「お褒めくださり、ありがとうございます」

「私たちの名は、すべて主様である冥一郎様に名付けて頂きました」

「主様の〝メ〟となられる方のお世話ができ、嬉しゅうございます」

「主様のことを、何卒宜しくお願いいたします」

――〝メ〟。

 冥一郎さんも、黄泉月さんも、そして胡蝶さん達すらも。

 時折言葉に出していたその意味について、今の私は識るよしもなかった。

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