第2話 夜を纏う男はかく語る4

「…………」

 思えば、誰かに抱き締めて貰うなんてどれくらいぶりだろう。

 いや、抱き締めて貰わなくてもいい。

 誰かに対して甘えるといった行為自体、ここ数年したことがなかった。

――私は一人っ子だ。

 普通なら、甘える機会ことも甘えさせて貰える機会こともあっただろう。

 でも、理想と現実は大きく乖離しているもので――私が物心つく頃には既に破綻寸前だった。

 両親は不仲で常に喧嘩ばかり。

 そんな二人の姿ばかり目にしてきたからだろう。

 私自身、望まない形で気づいた時には精神的に成熟してしまっていた。

 いつの間にやら〝甘える〟という行為をしなくなった――否、できなくなった。

 離れ離れになるかも知れない両親に対し、どう甘えればいいかも分からないまま、こうして成長して大人の枠組みの中に押し込まれてしまったのだから。

「誰かに、愛されることなんて……あるのかな」

 ポツリと思いがそのまま言葉となって溢れ出る。

「なら、自分が愛そう」

 その言葉に、返事こたえが降ってきた。

 驚きからビクンと肩を跳ねさせ恐る恐る上を見上げると、其処には穏やかな微笑を口許に浮かべた男がいた。

「ひ……っ」

 大きな掌が、目の前に迫る。

 思わず身を竦め、微かな悲鳴を上げた。

 生まれてから二十余年。

 キスも、身体の関係も、異性との交流すらもまともに経験がない自分。

 それでも男女関係で起こることの某かの知識は一応ある。

 だからこそ、これから起こるであろうことに恐怖を抱いた。

「……。名は?」

「え……?」

「お前の名だ」

「し、四季です。四季……みこと」

「みことか。そうか……」

 良い名前だ、と優しい声音が耳朶を打つ。

 そしてそのまま、ゆっくりと大きな掌が前髪を梳くようにして撫で上げられた。

「……っ!」

「怖い、か?」

 不安そうに問うてくる言葉にどう応えようか躊躇い、ただコクンと小さく頷く。

「傷物にするつもりはない。……ただ、みことのことをもっと知りたいだけだ」

 そう言って、まるで幼い子どもを宥めるように何度も頭を撫でられる。

 その手付きがとても優しい。そして衣服に染みついた、お香のような匂いが嫌でも緊張感を解してくる。

「……貴方、は?」

 昨日も会ってはいるものの、ろくに話も出来なかった。

 また同じようにはぐらかされてしまう前に、せめて名前だけでも知りたかった。

「うん?」

「貴方の名前を、教えてください……」

 言葉を突っ返させながらも、男の人に名前を訊く。

「冥一郎。日嗣ひつぎ冥一郎めいいちろうだ」

 男の人――冥一郎さんは、そう名乗ると私の手の甲に優しく口唇を添えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る