第2話 夜を纏う男はかく語る13

『だから、だろう』

「……!」

 その時、頭の奥で妖しい声が嗤った。

『手籠めにし、何処にも行かぬようくさびを穿てば良いのだ』

 甘美な蜜を味わい尽くしてしまえと、その姿無き声は囁く。

『まだ穢れていない魂魄を、舌と指で愛撫し、ほだしてしまえば良い』

(黙れ……!)

 鎌首をもたげる暗い欲望に、一喝する。

 月の光に濡れた、しっとりとした着物。

 その襟元からわずかに覗く細い首筋に、今すぐ顔を埋めてしまいたくなる。

 暗い衝動のまま、欲望のまま、貪り尽くせたらどれほど楽だろう。

「冥一郎、さん……どうしたんですか?」

 困惑したみことの声が、遠くから聞こえた。

 それは、微かな希望。

 けれど抗うための、歯止めの鎖となるにはあと一歩足りなかった――。

「ひゃ……!」

 みことの薄い口唇から、跳ねるような高い声が洩れる。

 頬からゆっくりと細い首筋を撫でるように指を滑らせていく。

 顔をよく見るため、軽く髪を梳くように前髪を掻き上げ、額に口唇を添える。

 指が、口唇が、吐息が近づき、その度にみことの身体が怯えたようにわずかに跳ねた。

「な……? ン……!」

 口唇に指を這わせ、輪郭をゆっくりとなぞる。

 まだ何も知らない魂魄うつわであるなら、感覚も鋭敏だろう。

 みことの呼気が乱れ頬が紅潮していくのが垣間見えた。

「め、冥一郎……さん」

 着物の端を、みことの小さな手がギュッと握ってくる。

『ほぅら……、もう、堕ちる……』

 暗い声が、低く嗤う。

 そのまま噛み付いてしまえと、後押ししてくる。

 抗えない声に促されるまま、噛み付くような口付けをしようとグッと身を屈めた。刹那、

「――……っ!」

 まるで月を掠うような風が吹き荒び、白雲によって月が影を落とす。

 それと同時に、こちらへと一目散に這い寄る塊が在った。


 ギヂリ、ギヂリ……。


 軋むような、すり砕くような不快音。

 嫌でも耳に残る特徴的なその音は、反射的に動く理由としては充分すぎた。

 視界の端で形を捕らえるより早く。

 気配を追うよりも迅(はや)く。

 衣服の中に仕込んでいた暗器を掌の中に収めると、振り向き様に刃を振った。

「『幽冥ゆうめいの月』の影響か……」

 吐息まじりに吐き捨てながら刀身に胴体を貫かれ、絶命している〝禍津者まがつもの〟を忌々しげに睨み据えた。そして、

「……邪魔ばかり……忌々しい」

 そのまま暗器の刃物ごと庭先に放り捨てると、中途半端に乱れた着物ごとみことを抱き上げた。

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