第一章 鏡の侍女と異端の少女
第十一話 それでも日は昇る。
肌に張り付く
「また、十年前の夢……」
身体を起こして寝衣を肌から離す。空気に煽られてひんやりとした寒さで身震いした。自分を抱えるように両腕を掴んで体温を整える。
十年前のあの日……母様が目の前で息を引き取ったあの瞬間が忘れられない。頭が、記憶が、夢が──忘れるな、と見せてくる。
あの日から私を取り巻く環境はがらりと変わった。母様がどうしてあんなことになったのか、誰も教えてくれないままルチカもこの王城には居ない。どこか違う地へ行ってしまった。
閉じている窓掛けの隙間から差す日の光を、ぼーっと眺めていると扉からノックの音が鳴る。
「失礼します──あ、起きていらしたのですね」
おはようございます、と姿勢を正してお辞儀をする紅髪の侍女。
二年前、王城に勤めることになった若い彼女の仕事は私の世話だ。専属というほどでは無いにしろ、今では私の居場所は自分の部屋くらいしかなく、誰もあまり積極的に私に関わろうとはしない……彼女を除いて。
「今日もいいお天気ですよ」
侍女が肩に当たる髪先を揺らしながら窓掛けまで進み、それを開くと一気に部屋が明るくなった。あまりの眩しさに目の奥が少し痛み細める。
日の光に透けて煌めく紅髪と顔をこちらに向けて
「ほら、良い朝です」
と、言葉をくれた彼女はとても大人びていて、その表情は少し曇っていた。
寝汗で冷えた身体を温める為に、いつもより長く湯浴みをして身嗜みを整えられた後、紅髪の侍女と共に食堂に向かう。その道中に王城に勤めている者達の視線が私に向かってくる。形式上、端に寄り頭を下げるが通り過ぎてしまえば、向けてくるのは哀れみと奇異の目だ。
母様の姿に似て成長した私は、母様を知る者達にとっては悲しい過去を思い出す瞬間だろう。私も鏡を見ることが無くなってしまった。
そんな状況でも彼女だけは、何故か私から距離を置こうとしない。こんな視線をわざわざ一緒に浴びなくてもいいだろうに。
沈む気持ちに釣られて俯いたまま食堂の前に辿り着く。侍女が扉を開けると、王妃の席に一人の女性とその隣に小さな男の子が座っていた。
「……おはようございます、ベルリーサ様」
「あら、おはようルシア。でも少し遅いわね、気をつけなさい」
「はい、申し訳ありません」
肩まで綺麗に切り揃えた暗緑色の髪、獲物を睨むように鋭く釣り上がった目、ただそこに居るだけで相手を威圧する存在感はまるで鷹のような印象を抱かせる。
自身の席へと進み椅子に座る。あの日から私に訪れた最大の変化、それは正面に居る──異母弟の存在だった。
父様譲りの金髪に暗緑色が所々に散っている。顔立ちは凛々しさを感じる一方で、気弱な一面が分かってしまう自信のなさが態度に現れていた。
「お、おはよう、ございます……姉上」
「おはようございます、リュカ」
淡々と交わされた挨拶。十三歳の私と八歳の弟、お互いにどう接すればいいのか分からない。その隣に座る継母も、何も気にしていない様子のままだ。
無言の時間がしばらく続いた後、扉が勢いよく開いて父様が姿を現した。
「皆揃っているな。では、朝食を頂こうか」
父様が椅子に座ると、給仕係が食事を運んでくる。小腹を満たせる程度の量だが、見た目や味が細部まで考えられた料理が並ぶ。並び終わった料理を前に、私達は目を閉じて祈りを捧げた。
「「「「世界に座す精霊の祝福を、その導きを以って我らに生を育み給え」」」」
各々が
また味を感じない。平民がこれを見れば、なんて贅沢な食事を摂っているんだと騒いでしまうそうな料理。香りを鼻腔に送っても、いくら咀嚼を繰り返しても肝心な味がないのだ。色が抜けた絵画のように、表現自体が欠けている。
いつからなのかはもう忘れてしまった。年月が経つにつれて失われていった味覚。けれど今日も私は取り繕う。私一人の言葉に色々な人達が関わる手前、味がしないなんてどうでもいい問題だ
「そういえば、今日はあの跡地に向かわれるそうですね?」
ある程度の食事が進み、ベルリーサ様が父様に声を掛けた。
「あぁ、どうやら異変が生じているとの報告が入っていてな。その調査に向かう。あれは、王族の血を引く者しか開けることができんからな」
会話の内容を把握出来ていないリュカが首を傾げる。その様子に気づいていたのか父様がリュカを見つめて
「ちょうどいい。リュカも共に来るか?」
「えっ、ぼ、僕がですか?」
「いずれ王族として管理することになる神聖な場所だ。一度、目にしておくのもいいだろう」
戸惑う表情を見せながら頷くリュカから父様の視線が私に移る。
「ルシアはどうする?」
父様だけではない。上目で様子を窺うリュカ、顔をこちらに向けずとも聞き耳を立てているベルリーサ様が私の返事を待っていた。
「いえ、私は……遠慮します。護衛する人数も少ない方がいいと思いますから」
適当な理由をでっち上げて断る。
王都から少し離れた位置にある精霊の跡地と呼ばれている場所。父様が向かおうとしているそこは、この国が興った切っ掛け──精霊と人が初めて出会った場所だ。
正直なところ馬車の中でそこまで過ごせる自信がない。父様だけならともかく、あの子も一緒になんて。想像するだけでも気まずさが襲う。
それにあの場所には──
「そうか、分かった」
半ば予想していたのか父様はそれ以上、跡地の話はしなかった。
◇
朝食を済ませて自室に戻る。その間に清掃が行われた部屋は埃一つない。綺麗に整頓されたベッド、境界すら分からない程の窓、私はそれらを無視して机に近づいた。引き出しの中でも一番容量が大きい下の段を開けると、中には一つの箱がある。箱を取り出してゆっくりと開いた。
中に入っていたのは、小さな人形達。昔、母様と作り上げた思い出が詰まった家族達だ。
「……どうして、いなくなってしまったのですか」
置いていくように吐かれた言葉は、空に消える。もう見ないようにと仕舞っていたはずなのに、夢の影響か王妃の人形を手に取った。人形からは懐かしい匂いすら感じられそうで胸が苦しくなる。
俯いて垂れた銀髪の隙間から、何かが揺れた。ゆっくりと顔を上げて揺れたそれを視界に入れる。輪郭が揺らめく黒い人影がじっと私を見ていた。
──既視感。私はこの影を見たことがある。いつの日だったか、一度見ただけなのに……確かに覚えている。
「その影……昔にも」
「──忘れ、ないで」
驚きのあまり一瞬呼吸を忘れた。影からは想像できない程に落ち着いた澄んだ声が耳に残っている。少しずつ近づいてくる影から、その分だけ後退るが背中が壁についてしまった。
「──知らなきゃ、だめ」
「……あなたは何? 知るって何を?」
読んで字の如く目の前まで影が迫り、思わず目を閉じて顔を背ける。けれど、何も起きることはなく人影は消えていた。
朝から落ちていく気分に辟易する。
「私に何をしろって言うの?」
何かをしなければならないと強迫に襲われる中、何をすればいいのか分からないもどかしさが募る。持っていた人形を胸に押し当てて、壁に背を預けることしか出来なかった。
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