第二十七話 誓いの手で掲げよう。

「俺が話せるのはこれくらいだ」


 紅茶を含んで口を潤したハルベルト様がゆっくりと身体をほぐしている。対して私は石像のように固まっていた。

 なんて声を掛ければいいのだろう、言葉が見つからない。


「まぁ、こうなっちまうよな」


 気まずそうに頭を掻くハルベルト様と静かに黙すテル様が私達の様子を窺っている。


「ルシア様……」


 ディーネの憂う声が耳に届いて顔を上げた。ディーネの表情が強張っている。そんな彼女を見て、自分自身でも不思議なことにホッとしてしまった。


 しっかりしなきゃ。


「お話、ありがとうございました」

「あ、あぁ……いえ、お役に立てたなら光栄です」


 キョトンとしたハルベルト様が戸惑いながらも頭を下げる。

 私達を出迎えた騎士達の思い返して、ハルベルト様が話してくれた過去の当事者が何人いたのだろうと思案した。


「一つ、お聞きしてもよろしいですか?」

「なんでしょうか?」

「貴方達の忠誠は──今、誰に在るのですか?」


 私の問いに真っ直ぐに見つめ返すハルベルト様。

 テル様も毅然とした態度を見せ、その二人の意思は騎士団の総意だと感じさせた。


「我等の忠誠は、今でもシルヴァ様のもとにあります」

「陰で好き勝手に言われようともですか?」


 隣にいるリュカが思い出した様に顔を上げる。

 故人の名を冠してまで設立された騎士団が、今では役亡しの騎士団という蔑称で呼ばれている。母様のための騎士団がそんな呼ばれ方をしているのは、きっと彼等も不服なはずだ。なのに──


「はい。それが、誓いというものです」


 悔やむことなんてない、まるでそう言っているように私を射貫く。 

 絶対に変わることはない忠誠心。母様がここまで慕われていたことに驚くと同時に、嬉しさと誇らしさすら感じた。


「そう、ですか」

「えぇ。それに約束でもありますから」

「約束……?」


 ニコッと微笑ではぐらかすハルベルト様。

 どういうことなのか聞こうとした矢先、テル様がパチンと一拍叩く。


「どうでしょう、そろそろ実際に鍛錬の様子を見ていただくというのは」

 

 せっかくの視察でもありますので、と場の空気を変えた。

 これはもう聞ける流れではなさそうだ。確かに、話をして帰るというのも申し訳ない。それに実際に間近で見ることができる機会だ。ベルリーサ様とのこともある、リュカにも見せなければならないだろう。


「そうですね。ぜひ、よろしくお願いします。リュカもいいですね?」

「あっ、はい! お願いします」


 ではさっそく、こちらへ──と私達は案内を受けた。


 貴賓室を出て練兵場へと続く道を歩く。程なくして、鈍い音と騎士達の張り合う声が聞こえてきた。

 全体を見渡せる二階へ案内され、リュカが目を輝かせている。

 

「全体──止まれ!」


 練兵場の責任者と思われる者が大きな声で号令を発した。号令と同時に皆が鍛錬を止め、姿勢を正してこちらに身体を向ける。


 たとえ目的が母様のことについて話を聞くためだったとはいえ、練習風景にも興味はあった。真人祭で披露された、まるで一つの生き物の様に動く集団行動は今でも覚えている。

 そんな彼等の努力の邪魔をするわけにはいかない。


「私達のことは気にせず、続けていただいて構いません」

 

 私の言葉を受けたハルベルト様が軽く頷いて、スッと息を吸った。


「両殿下は普段の我等をお望みであられる。皆、鍛錬に戻れ!」


 まるで砲音のようなハルベルト様の指示を受けて皆が一礼を捧げた後、鍛錬を再開する。

 普段聴くことがない木製の武器同士がぶつかり合う音は、楽器のようにも思えて新鮮だ。騎士達の練度もあの頃から衰えていないように思える。身体の軸が崩れることはなく、洗練された動きに乱れはない。

 

「……あれは?」


 練兵場の端で一心不乱に素振りをする若い集団がいた。先輩だと思われる者が指導をしているようだ。


「あれは騎士見習いですね」


 テル様がそっと教えてくれて、その集団を注視する。

 熟練の騎士達と違い、武器に身体が振られている。ここにいる誰よりも息を切らし疲れている様に見えた。


「王国騎士団とは違い、言ってしまえばここは人気がない。騎士を目指す者はその殆どが向こうに行く。けど、溢れ者はどうしても出てしまうものさ」


 ハルベルト様が感慨深い様子で説明してくれる。

 こうして拾われ大成した者もいるのだろう、ハルベルト様の口角が少し上がっていた。

 ふと、視界の端に控えていたディーネが映る。

 珍しいことにディーネが見ている先は私ではない。夢中になって姿勢が前のめりになっているリュカよりも真剣に、なのにどこか遠くを見ている眼差しが気になった。

 ディーネに声を掛けようとした矢先──カンッと一際目立つ音が耳に届く。


 誘われるように目を向けると、そこには自身より体格が大きい相手の剣を見事に弾いていた一人の騎士がいた。そのまま流れるように攻めて、隙だらけになった腹部へ突き刺すように木剣が迫る。

 しかし、それは直接身体に攻撃することなく直前で止まった。

 戦い合っていた二人は握手をし、お互いの健闘をたたえあう。


「わぁ! すごいですね姉上!」


 気持ちが昂っているのか普段の様子はどこへやら、リュカがはしゃいでいる。


 初めて──弟の楽しそうな表情を見た。


 男の子だから、こういうことに憧れたりするのでしょうか。


 もう一度、彼等に目を向ける。再戦し合う二人と、その熱量に当てられて周囲も意識が高まっていく。まるで劇場にいるかのよう。

 より一層のめり込んで行くリュカを見て


「……してみたいですか?」


 なんて言ってしまった。

 きっと、リュカ以外も驚いてしまっている。私の言葉を受けたリュカは勢いよく振り返り、目をパチパチとさせて口が開いていた。


「してみたいって……姉上、何を」

「リュカも、彼等の様にしてみたくはないのですか?」


 リュカの瞳に騎士達の姿が映る。

 いずれこの国を背負う者として剣を手に取る日は必ず来るだろう。遅かれ早かれやらなければならないこと。それでも、今しかない自由の時間に自分で選ぶことは大事だと思う。

 武器が奏でる五合の間に逡巡を繰り返し、リュカが私達へと身体を向けて


「やってみたい、です」

 

 独り言の様に漏れた声は小さかったが、確かにリュカの意思を感じた。

 私がハルベルト様に顔を向けると会話の内容からか、その察した表情は困っていたけれど


「……準備を頼む」


 断ることもなく、テル様にそう告げてくれた。


「ではリュカ殿下、こちらへ。お相手は私でもよろしいでしょうか?」

「はい! よろしくお願いします」


 一気に声が明るくなったリュカの背中を見送る。

 これから騎士達がいる場所へ向かうリュカを、そこへ繋いだ私の行動に内心戸惑った。


 今まで距離をとっていた弟に、どうしてここまでしてしまったんだろう。少しは姉らしいことをなんて、心のどこかで思っているのか。今の私を母様が見たら、どんな言葉を掛けてくれるだろう。


 叶いもしない想像に焦点を当てていると


「それでいいと思いますよ」


 いつの間にかディーネが隣にいてくれて言葉をくれた。


「ルシア様がそうしたいと考えて、リュカ様のためになると思うのなら、それはきっと間違っていません」


 優しく微笑んでくれるディーネを見て幾分気持ちが軽くなる。

 心を落ち着かせて現実へと焦点を戻した。


「そうだと良いのですが」


 間違えない自信はない。それでもディーネがこうして言葉をくれたから、信じてみたいと思う。

 曖昧な笑みを浮かべて答えた私に、ディーネは肯定も否定もせずただ隣に居てくれた。

 そんな私達の様子をハルベルト様が不思議そうに見つめる中で、練兵場にリュカとテル様の姿が現れる。


 壁際にまとめて置かれている様々な訓練用の武器から、一本の木剣を取るリュカ。思った以上に重量があったのか身体を揺らしていた。

 リュカとテル様の手合わせの準備が進むのを眺めていると


「ルシア殿下はいいのか?」


 突然、ハルベルト様が真剣な様子で聞いてきた。


「私が、ですか?」

「ああ。いや、俺の立場からしたらあんまり勧めることじゃないんだが……今更だからな」

 

 ハルベルト様がリュカの方へと視線を向けている。

 冗談なんて雰囲気はなく、真面目に考えているようだった。


「それに、知りたいんだろ? シルヴァ様が見てきたもの」


 母様が何を見てきたのか、その景色を知ることができる機会だとハルベルト様はそう言っているのだ。

 不安げな表情のディーネと私の返事を待つハルベルト様に挟まれている。

 

「私は──」


 戦場を駆け回った母様が見た世界。この機会を逃せば、もう体験することもないかもしれない。

 自然と手に力が入る。

 与えられた機会を前に、自分自身の心に向かい合って決断を下した。

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