第二十六話 雪に落ちる花の名を

「前は任せる」


 頷きで返して俺が先に走り出す。見た目では平気そうにしているおっさんでも、かなり体力が削れてしまっているようだ。


 戦い方はさっきと変わらない。俺が翻弄しておっさんが一撃を叩き込む。攻撃がまともに通用するのがおっさんしかいない以上、俺が隙を作るしかない。骨が砕けなくても肉は斬れる、注意は十分に引けるはずだ。


「グルァッ!」


 大鬼が地面をより強く叩き足場が揺れる。震動で走る足を止めざるをえない。目線は大鬼を逃さないようにしていたが、その大鬼がこっちの予想を外す動きをした。


 一段と左腕を上げて地面を叩く、そしてそのまま空へ飛んだ。


「おっさん!」

「わぁってるよ!」


 本調子とはいかないおっさんが大剣で防御態勢をとる。

 大鬼が俺の上を山なりに通り過ぎて、おっさんへと左手を振りかぶり突撃した。


 爆発したかのような轟音と地響きが辺りに満ちる。おっさんは防御しきれず、後ろへ吹き飛ばされて建物に直撃した。

 あのおっさんでも受け止めきれない攻撃を見て、背中に冷たい汗が垂れる。


「──何度もぶつけてきおって、少しは年寄りを労わらんかい」


 砂埃で確認できなかったおっさんが、すぐさま現れて大鬼に大剣を振った。拳を握り大剣を殴りつけて防御しようとした大鬼だったが、大剣が拳を斬り裂いて血が噴き出る。しかし、中央が斬り割れた拳は横凪へ攻撃の形が変わりおっさんへと向かった。

 鈍い音がした直後におっさんがまた飛ばされる。

 互いの攻撃が互いの防御を上回る、殴り合いの前に俺は無力感に襲われていた。


「ちくしょう……」


 四年前とまったく変わらない。自分より強い相手に手も足も出ない状況に、村が壊滅したあの時の記憶が甦る。

 また大切な人を失う。誰かに救われることしかできない自分に嫌気が差した。


 ──貴方達は、どう生きていきたい?


 こんな時でも、こんな時だからかシルヴァ様の言葉に奮い立つ。


「俺達は……誰かを救う為に、救われたんだろ」


 もう何もできない自分に成り下がることは許されない。

 

「もう一度、探せ」


 自己暗示をかけるように言い聞かせる。

 大鬼はおっさんに夢中で俺は眼中にない。俺の攻撃は肉を斬れても骨までは断てない。それだけじゃ明確な隙は作れない。


 無防備に向けられる大鬼の背中。隆起した筋肉からなる大きな首、口から飛び出るほどの犬歯は顎の強さが察せる。

 右腕を斬り飛ばされてあんなに動けるなら首を浅く斬れても効果が期待できない。俺の攻撃が通用し、おっさんが一太刀浴びせる程の大きな隙を作る箇所……それなら


「──狙うは、左目!」


 確信めいた予感は結論に至る前に身体を動かし、交戦が続く渦中に飛び込ませた。

 大鬼が裂けた左手をお構いなしに振り回す。おっさんも必死に避けるが見るからに動きが悪い。おっさんが右足首を斬りつけて態勢が崩れる大鬼。代償と言わんばかりに左手による攻撃を喰らって吹き飛ばされた。

 右足に力が入らないのか、前のめりになる大鬼。


 せめて役に立ってみせろ。

 

 自分で自分を鼓舞して大鬼の背中を蹴り上がった。さすがに大鬼も気づいて俺に意識を向けたのが分かる。体を揺らして振り落とそうとするが俺の速さが勝った。

 右肩から姿を現した俺が大鬼の右目に映る。払い落とそうとする左手を避け無駄にデカい犬歯を使って左側に回り込んだ。


「防御も落とす術もねぇだろ!」


 左目が大きく見開く。そこに向けられた剣の切っ先が左目を貫いた。


「グァァァァアアアア!」


 馬鹿でかい大鬼の叫び声に耳が痛む。暴れる大鬼に剣をより深く突き刺して振り落とされないようにしていると、大鬼の左腕が空を舞う。

 横目で確認するとおっさんが斬り飛ばす姿が見え、さらに流れるように身体を捻り、その切っ先が大鬼の心臓へと向かっていた。


「終わりじゃぁ!」


 大鬼の背中から大剣が突き出て、確実に心臓を貫く。

 俺が剣を抜いて大鬼の肩から蹴り飛んで離れると、大鬼の口から唸るような息が漏れてゆっくりと地に伏した。


「おっさん!」


 頭から大量の血を流し満身創痍な状態で、フラフラと下がって崩れ落ちるおっさん。

 これだけの戦闘が起きながら誰も支援に駆けつけてこない現状に焦りを感じつつ、気絶しているおっさんをなんとか背中で担ぎ引き摺るように来た道を戻る。

 

「クソッ、クソッ……おっさん、こんな」


 こんなところで死ぬんじゃねぇぞ、と言葉にするのを恐れた俺は、口を噤んでひたすらに足を動かした。



 あれから数時間後、寝ているおっさんの容体を気にして横で様子を見ていると、天幕に誰かが入ってきた。


「ハルベルト……ガランの様子はどうかしら?」


 アグロヴァルト王太子殿下とシュレインさんを連れて、シルヴァ様が不安そうな顔で聞いてきた。

 急いで立ち上がりアグロヴァルト殿下に頭を下げる。


「今は楽にしてくれ」

 

 手を広げて見せ意図を伝えるアグロヴァルト殿下に失礼がないよう務め、シルヴァ様へと向き直った。


「ここへ運んでから一度もまだ目を覚ましてません」

「……そう」


 なんとか医療班の元へ辿り着けた俺が見た光景は、今まで見たことがない死傷者の数だった。そしてその原因は大鬼である。


 俺達が相手した大鬼以外に複数の大鬼が確認され各地で戦闘が発生。シルヴァ様やアグロヴァルト殿下も相対していたらしい。魔法師団の活躍が大きく集団で対処することで討伐することができた。


 オクトリカ国の玉座にいたと思われるオクトリカ王は大鬼へと変貌を遂げており、シルヴァ様とアグロヴァルト殿下、各団団長らの手によって倒されたと全軍に告げられた。


「すいません。俺、何もできなかった」

「ハルベルト……」


 シュレインさんが俺の背中に手を当ててくれる。

 支援も何もない状態で大鬼と単騎で対峙できたのはおっさんだけだった。俺は何もできていない。おっさんがここまで負傷したのも、元を辿れば俺を庇ったからだ。

 

「──お前さんはよくやったよ」

「ガラン!」


 シルヴァ様が驚いておっさんの名を呼ぶ。天幕にいる全ての者の目が、おっさんへと向いていた。


「こんなに人が居れば、おちおち寝てもいられんな」


 片目を開けて俺を見るおっさんの口角が上がる。


「ハルベルトがいなけりゃ、儂はここにおらん」

「でも、俺は……」

「儂が一番傍で見ていたんだ。否定は許さんよ」


 シュレインさんが俺の肩を優しく叩いて頷く。


「手酷くやられたな、ガラン」

「あぁ。若い頃ならまだしも、あまりに歳を取りすぎた」


 まるで諦めているかのような言葉に心臓が締め付けられた。

 誰もが現状を見て言葉が出ない中、シルヴァ様が強く前に出る。


「何言ってるのよ……そんな台詞、いつもの豪快なガランに似合わないわ! その程度の怪我なんて砕いて吹き飛ばしなさいよ!」


 震える声で張り上げるシルヴァ様。

 はっはっは、と迫力がなく笑うおっさんが穏やかな表情でシルヴァ様に顔を向ける。


「そうしたいのは山々なんですがな、自分の体は自分がよく分かるってもんさ」


 もう長くは保たない、そういう意味を持つ言葉に拳を握り締めた。


「姫さん、この老体の願いを聞いてくれはしませんかい?」

「……──言ってみなさい」


 シルヴァ様が何かを耐え忍ぶように飲み込んで、真っ直ぐにおっさんを見つめている。


「儂らは、姫さんだからここまでついてきた。戦争が終われば部隊は解体され離れることになる。元ははぐれていた連中だ、不器用なやつも多い。この部隊だから成り立っていた部分もある」


 途中で咳き込んだおっさんの包帯が血で滲む。

 シュレインさんが取り替えようとしたが、おっさんがそれを止めた。


「要は──騎士団を、作ってはみませんかい?」


 姫さんのための騎士団を……と、願いを告げる。


「それが、どういう意味で見られるのか分かって言っているの?」

「もちろんでさ。しかし、戦争が終わっても事後処理で各地を回る。その時でも、こいつらを使ってやれる名目を与えてはくれませんかい」


 長くない沈黙が訪れた。おっさんの願いを叶えてやりたいシルヴァ様でも、政が絡むとなると難しいのだろうか。

 皆がシルヴァ様の判断を待つ最中


「──私が許可しよう」


 突然、アグロヴァルト殿下が言い放った。


「ヴァル? 本気で言っているの?」

「ああ、そのくらいなんとかしてみせるさ。君の想いを、大事にするといい」


 しばらく固まっていたシルヴァ様が折れたように項垂れて──ありがとう、とアグロヴァルト殿下に小声で礼を言った。

 背筋を正したシルヴァ様は振り返り


「分かったわ。でも、団長と副団長くらい貴方が決めなさい。私のための、貴方が作った騎士団よ。丸投げは許さないわ」

 

 そう言って、おっさんに最後の仕事を与える。

 はっはっは、と怪我なんかお構いなしにいつもの豪快な笑い声をあげて、シュレインさんを目で示した。


「当然、団長はお前がやれ」

「まぁそんな気はしていたよ」


 やれやれといった表情で受け入れたシュレインさんから、俺へと視線が向かう。


「副団長は……ハルベルト、お前さんだ」

「な、なんで……俺なんだよ」

「そりゃあお前が、儂の一番弟子だからよ」


 ハルベルト、と俺の名を呼ぶおっさんのいつにない真剣な表情に気が締まった。


「お前さんは強い。いつか儂の剣すら振れるようになるはずだ。今は無理でもな」

「俺が、成れるかな……おっさんみたいに強く」

「成れるさ。儂の自慢の弟子だ、皆も受け入れてくれるだろ」


 自慢の弟子──その言葉に思わず肩が震えた。鼻の奥が熱くなって呼吸が乱れる。


「ずりぃよ、そんなの」

「はっはっは! 今までおっさん呼びしていた罰だな」


 任せたぞ副団長ハルベルト、とまだ決まっていないのにそう呼ばれた。

 涙を止めることができず、ただただ頷くことしかできない。

 シュレインさんに肩を引かれて、代わりにシルヴァ様とアグロヴァルト殿下がガランに近寄った。


「殿下。姫さんのこと、よろしく頼んます」

「ああ。今までよく尽くしてくれた、礼を言う」


 もったいねぇお言葉でさぁ、と苦笑いを浮かべるガランをじっと見つめるシルヴァ様。


「明日の朝、元気な顔を見せなさい。いいわね?」

「最後まで厳しいですな、姫さんは」


 キッと、赤く潤んだ鋭い目を向けて睨むシルヴァ様に


「へいへい」


 といつものように返すガラン。まだそうと決まったわけではない、そんな光景に少しでも希望を抱いていた。


 けれど……明朝を迎えた俺達は、もうガランと言葉を交わすことはできなかった。

 

 ある日、シルヴァ様が部隊の皆を集めてその注目を浴びている。

 話されたのは、ガランの願いだった騎士団の話。


 俺とシュレインさんがシルヴァ様の両隣に立って集う者達の顔を見渡す。もう落ちこぼれ達はどこにもいない。師を失い決意を一つにした弟子達の想いが、一つの導へと向かっていた。


「私についてきたい者は剣を掲げなさい! たとえどんな困難にぶつかろうとも折れない心を捧げなさい! 情けなくとも、立ち上がる強さを持ちなさい! 皆が笑って過ごせる世を齎すため、私はここに騎士団の設立を宣言する!」

 

 細剣を天高く掲げて、切っ先が日光を煌めかせる。


「我らガランサスに精霊の導きあれ!」


 それは、ガランの名を冠した騎士団誕生の瞬間だった。

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