第十六話 尽きた残火の温もりを手に
「本日付けで王城勤務となりました、ディーネと申します。よろしくお願いいたします」
二年前、とある辺境伯の侍女としてお世話になっていた私は王城の侍女長に引き抜かれた。年若く仕事ができる人材を探していたようで、私はその御眼鏡に適ったというわけだ。仕えていたお嬢様にも背中を押されて今に至る。
目の前には、この国の王女殿下であるルシア様が紹介を受けて私を観察していた。
「……そうですか」
たった一言、言葉をくれただけ。
ルシア様は机に向き直り勉学を再開し始めたので、侍女長の指示で先輩侍女に連れられ王城の案内を受けた。
「どうだった? うちの王女様は」
王城案内の道中、先輩侍女がそう問うてきた。
「……とても、お綺麗な方でした」
当たり障りない感想を述べる──といっても本当に思ったことだ。光を反射して寧ろ輝いてすら見える白銀の髪、汚れを知らない肌。そしてあの思考すら射抜くような瞳は王族の風格を感じるには十分過ぎた。
しかし、先輩侍女が求めていた答えではなかったらしい。苦笑いを浮かべて
「あー、そうじゃなくて……綺麗なのも分かるけどさ。見た目じゃなくて性格、中身の方よ」
第一印象ってやつ? と再度私に問うた。
出会ってまともに話したことがない人を一方的に定めるのはどうかと考えたが、なんとなく彼女が求めていることに思い当たる。
「以前お仕えしていた方と比べてしまいますが、少し距離を感じますね。初対面なので当然かもしれませんが」
「でしょ! 冷たいのよね、我儘放題されるよりはマシだけどさ。弟君のリュカ様はすごく可愛らしいのに」
よくもまあ自分たちが仕える主に対してここまでペラペラと喋るものだ、と心の中で悪態をつく。どうにも王女殿下を取り巻く環境は良くないように思う。
どうかあの子のことをよく見てあげてほしい、とお嬢様から言われていたが、何か知っていたのだろうか。そこまで親しい関係ではなかったように思えたけれど、お嬢様と王女殿下にはどんな繋がりがあったのか私には分からない。
しかし、仕える主を蔑むような侍女にはなるまいと気を引き締めた。
王城の案内を受けて、さっそく仕事に取り掛かる。求められているのは即戦力だ。やること自体は以前の職場と大して変わらない。しかし、王城に関わる人数は比べ物にならない。来客も多くそして大抵は身分が高い人物が訪れる。効率と丁寧な仕事を高い水準で行う。初日にこの仕事量は正直大変だった。
そんな一日の一幕に、失態を演じてしまいそうになった瞬間が訪れる。
「どうしよう……迷子だなんて」
あまりの忙しさに頭の地図が吹き飛んでいた。
先輩侍女に付いて仕事をしていたが、その侍女が別件で離れてしまったことで、侍女長に指示を仰ごうと足早に動いたのが仇となった。王城内を一度案内されていたとはいえ、戦の名残がある城というのは厄介だ。敵を惑わす為、迎撃する為の構造は複雑化を招く。
こっちでもない、そこでもない……とにかく見覚えがある場所を見つけようと右往左往していた。
「──何をしているの」
そこまで大きな声ではなかったと今では思う。けれどあの瞬間は、まるで神の声が降ってきたかのように耳に浸透した。
聞こえた方へ身体を向けると、そこにはルシア様が勉学用の本を持って私を見ていた。
「申し訳ありません。迷ってしまいまして」
「どこに行きたいの?」
「侍女長を探しているのですが、場所も道も分からなくなってしまい……」
私の言葉を聞いたまま、じっと見てくるルシア様。その視線の圧力に気圧されそうで、思わず心が縮こまってしまう。
「……ついてきて」
「えっ」
私の返事も待たずに、さっさと歩いていくルシア様。数秒、理解が追い付かず呆然としてしまった。一歩二歩、と進んでいくルシア様の背中を見続ける。
数歩進んだルシア様が、こちらに振り向いて
「早く」
そう言って……まさか、私を待っている?
「は、はい!」
素っ頓狂な声が出た。
気恥ずかしい気持ちを押し殺してルシア様の後を追う。
迷いなく進んでいくルシア様の後に続いていると、頭が段々と整理を終えてきた。そして同時にある疑問にも辿り着く。
どうして、御一人なのだろうか。
最低でも一人は誰かが側に付いていなければならない。しかも教材を持ち歩いているなんて……あっ!
「ルシア様!」
突然呼ばれたからか、一瞬肩が震えたように見えた。自分でも大きな声が出てしまったと反省する。ルシア様の前まで移動して頭を下げ返事を待った。
「どうかしましたか」
「荷物をお持ちします」
「荷物……これですか」
持っていた教材を確認を取るように見せてくれる。私はそれに応えるように頷いて、ルシア様が渡してくれるのを待った。
主に物を持たせて歩かせるなんて言語道断。今はせめて私に出来ることをしよう。
ルシア様は何かを考えているのか、教材に目を向けた
「そうですね。では、貴女に預けます」
持っていた教材を預けてくれた。分厚い本が三冊、私でも少し重たく感じる重量だ。
一度頭を下げて後ろに控え、まだ小さな背中を視界に収める。その御身体でこの重量は辛いだろうに、平然と持っていた御姿を思い出して眉間に皺を寄せてしまった。
しばらくルシア様の後に続いていると、見覚えのある廊下に辿り着き、同じ仕事仲間であろう人たちの姿も見え始めた。ルシア様が現れたからか皆が姿勢を正して一礼を行う。それに多少の違和感を抱きつつも構わず進むルシア様に続いていると、廊下の奥から侍女長の姿が見えた。侍女長も私たちに気づいたのか、真っ先にこちらに向かって来る。
初日とはいえ予定していた動きと大分違う。時間もかなり掛けてしまったし侍女長が私を探していてもおかしくない。
これは叱られるかもしれないな、と経験からくる予想に覚悟を決めた。
「ルシア様、何故こちらに?」
侍女長がルシア様に詰め寄った。案の定、声の中に鋭さが垣間見える。表情にこそ出ていないが、裏の顔は鬼だろう。
ここは私が謝って事情を説明しなければならない、そう思って口を開こうとしたが
「手前勝手と承知の上ですが、彼女を借りていました」
ルシア様が私をちらっと見てそう発言した。
侍女長がそれに釣られるように私を見る。思わず姿勢を正して目を逸らさないように努めていると、侍女長の視線は私に預けられた荷物に向かっていた。
「担当の者が居たはずです。そちらに任せなかったのですか?」
「具合が悪そうでしたので下がらせました。そこに偶然彼女を見かけ、荷運びついでにこちらまで連れてきたのです」
侍女長が事の真偽を問うように、その鋭い目で私と目を合わせた。真実を話すべきかどうか一瞬迷いはしたが、ルシア様の顔に泥を塗るわけにはいかない。仕えているのはあくまでルシア様であり侍女長にではない。
「ルシア様の仰る通りでございます」
「……そうですか、分かりました」
渋々納得した侍女長に心の中で謝りつつ、ルシア様の御心の真意を探る。
本来なら、私はここで叱られてもおかしくない状況だったはずだ。退職させられることはないだろうが、即戦力を見込んで雇用されている。初日だから仕方ないで済むほど王城に関わる仕事は易しくない。王城に関わるというのはそれだけで名誉ある仕事で、王族を支える侍女という職業は尚の事だ。
私が怒られないようにしてくれたのだろうか……?
先輩侍女がルシア様のことを冷たいだの可愛くないだの言っていたが、本当にそうだろうか?
どこか違うように思う。
「それともう一つ、せっかくですから勝手を重ねて申し上げます」
淡々と話し出したルシア様に私達の視線が集中する。
「明日の側仕えを彼女に変えてください」
「な、何故でしょう?」
「体調が悪い者を無理に働かせるものではありません。そして、その替えの調整も彼女なら容易に済むでしょう?」
「ですが、ディーネは雇ったばかりの」
「私が望んでいる以上の理由が要りますか?」
あの瞳に見続けられ、たじたじになる侍女長。王女とはいえ、まだ少女であるルシア様に気圧される。
「かしこまりました、ルシア様の仰せのままに」
観念した様子を見せた侍女長が、頭を下げて理解を示した。そして、ゆっくりと面を上げた流れのまま私に向けて
「そういうことですのでディーネ、頼みましたよ」
「……はぇ?」
疲労感を感じさせる侍女長の言葉。間抜けな声を上げてしまった私がこの後、小言を頂戴する羽目になったのは想像に難くないだろう。
予想外の展開に、王城に務める大変さを身に染みて理解した。
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