第十七話 渦巻く波を掻き分けて
ルシア様の側付けの役を仰せつかって次の日、黙々と勉学に励むルシア様の背中を部屋の隅で眺めていた。
ルシア様が一体何を考えて私を側に置いたのか今でも分からない。分かっていることがあるとすれば、昨日側付けの担当をしていた者は具合が悪いなんてことはなく、ルシア様にただ下がるように命令されただけらしい。
先輩侍女曰く、ルシア様が侍女に頼ることは滅多にないという。湯浴みや最低限の仕事だけを任せてくれているそうだ。一時は着替えすら自分でしようとしていたらしい。
御一人で居たのも、ルシア様にとってはもう日常なのだろうか。
呆然とそんなことを考えているとルシア様が手を止めて立ち上がり、そのまま部屋を出ようとしていた。
「どちらに向かわれるのですか?」
「気分を変えに……貴女もついてきなさい」
扉を開けるとルシア様が部屋を出る。私もそれに続いていくと向かった先は王城庭園だった。庭師によって綺麗に整えられた庭園は、それはもう見事なもので気分転換には打って付けだ。
広い庭園を歩くルシア様は絵になるというか、青と白のマントワンピースがよく似合っているその御姿は、つい見惚れてしまう程の美しさがあった。
しばらく庭園を鑑賞し、そろそろ部屋に戻ろうかという具合に思われたが、ルシア様は別方向へと歩き出した。
他に何か用があったでしょうか……?
とりあえず付いて行かなければ、そう考えて後に続く。
昨日歩いた場所もあれば、案内を受けただけで覚えきれていない場所を歩いていく。実際に歩いて覚える機会だと思い、忘れないよう頭に叩き込む。初日と同じ失態を繰り返すわけにはいかない。
所々、侍女や王城勤務の方とすれ違う。皆一様に頭を下げてルシア様を見送るが、やはり違和感を感じる。まるで珍しいモノを見るかのように奇異の目と、年配や昔から王城に勤めていそうな人達からは哀れむような視線があった。
正直、あまり良い気分ではない。
当のルシア様は構わず進んでいって王城の中を一通り巡る。流石に目的地が分からず
「あの、ルシア様はどこに向かわれているのですか?」
偶然にも右往左往していた私を、ルシア様が話しかけてくださった場所で質問した。
「気分を変えに、と伝えた筈ですが」
「気分、ですか」
今まで王城の中を歩いたのは気分を変える為……そんなことがあるだろうか。気分転換なら庭園で十分だろう。むしろ他者から聞いたルシア様の人物像は、こんなことをしようとする方ではない。
「けれどもういいでしょう。部屋に戻ります」
そう言って部屋に向かうルシア様が一度私の方に振り返り
「先日と同じことが無いよう、励んでください」
一言残して歩いていく。
最初から感じていた違和感の正体に触れた気がした。
これは私の勘違いだろうか。侍女長に嘘をついたのも、気分を変えると理由をつけて王城の中を巡ったのも
──もしかすると、私のため?
いやそんなまさか、都合良く考えすぎだ。王女殿下が侍女に、ましてや新人に気を使う? 怒られないように、もう迷わないように?
お嬢様、ルシア様の心根は優しい方なのでしょうか。
ただ不器用なだけで、皆に伝わり難いだけで。ルシア様を取り巻く環境が歪んでいるだけで……一人になりたいのでなく、一人にさせてしまっている。
一度そんな考えを抱いてしまうと人間はそう見てしまうもの。
忙しい日々を過ごしていく中で、ルシア様を見続けてきた私は気づいた。
ある日、ルシア様に無理矢理下がらされた侍女がいた。やる事がなくなった侍女が侍女長の指示を受ける前に、とある事を申し訳なさそうに伝えていた。月の日が来てしまったと。
その侍女は一日休んだ後、数日の間は軽作業に就いたようだった。
ある日、ルシア様から側付けを任された侍女がいた。その侍女は任される前、仕事中に手を痛めていた。通常業務に支障をきたさない程度の怪我だったが、側付けになったことで手を酷使せずに済んでいる。ルシア様も普段より部屋を出る事がなく、当人は退屈だったと愚痴っていたようだ。
ルシア様に向ける特異な視線の原因も掴めてきた。ベルリーサ妃殿下とリュカ王子殿下の存在。教師陣も驚く才能。そして故人であるシルヴァ元王妃を彷彿とさせる姿。
男子優先長子継承制である我が国において、ルシア様よりリュカ様が優先される傾向が強い。そしてルシア様は優秀だ。少しリュカ様に偏っても問題がない。
シルヴァ元王妃を知る者にとってルシア様は、遠い日の懐かしき思い出を呼び起こす。遠ざけてしまおうとする者も少なくない。
あらゆる人の考えや思いが、ルシア様を中心に渦巻いて一定の距離を置いている。中心にいる筈なのに独りになってしまったルシア様に、手を差し伸べたいと考えても渦から出られない。そんな悪循環が起こっている。
その渦にまだ呑み込まれていない私だけが、きっと傍に近寄れる。
最初は別れ際にお嬢様から頼まれたからだった。けれど、いつの間にか自分の意志でルシア様を見ていくようになった。誰も気づいていない優しさを拾えるのは、今はまだ私だけ。たとえルシア様から拒絶されようとも、ルシア様の侍女としてある間は決して一人にしてはならない。
決意を胸に侍女長に頼み込んだ。優先的にルシア様の側付けにしてほしいと。最初の頃は認めてもらえなかったが、二年目が経とうとしていた頃にようやく許可が下りた。ルシア様も承諾してくださり、他の侍女に何かあれば交代するように気を回した。
何度、暗い表情のまま朝目覚めるルシア様を見てきただろう。自分の身に危険が迫っても諦めたかのようなルシア様を、どれだけ心配しただろう。
それでも私を頼ってくださったことが、心の底から嬉しかった。お礼の言葉を掛けてくれた時は、想像していなかったから固まってしまったが、心が浮いたのを覚えている。
とても辛く重い一歩を踏み出そうとしているルシア様を支えたいと思う。
「ルシア様、私の目を見ていただけませんか?」
──思いを伝える時が来た。
俯くルシア様の手を傷つけないように、冷えた手先に温もりを与えるように優しく包む。
信じてもらえるのか不安で胸がざわつく。背中に渦が轟く気配がした。私を引きずり込もうと、ルシア様を独りにしようと迫ってくる。
そんなことには絶対にさせない。
ルシア様が顔を上げて私の目を見てくれた。輝きを忘れた瞳が見える。
知らないなら教えよう、忘れていたなら思い出させよう。
貴方様は、優しい王女様だということを。
「私と初めてお会いした日のことを、覚えていますか?」
私は貴方様の輝きを映す鏡になろう。
僅かな光でさえ反射して、そこに光が差し込もうとしていた。
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