第十五話 未知なる者

 ルピナス様の授業が終わり、行きと同じように紅髪の侍女を伴って自室へと戻る道すがら、ルピナス様から語られた母様の人物像を頭の中で浮かべていく。


 ──破天荒な人だったよ。


 戦時中の母様を私は知らない。そう改めて思わされた言葉だった。きっと父様が聞くと納得するどころか、同じように語るのかもしれない……そんな気がする。


 話を聞くと、すごい人だったのだろうと想像がつく。いつも優しく微笑んでいる母様の顔ばかりが思い出される。けれど、私と過ごした時間より遥かに多かった父様やルピナス様には、違う顔が浮かんでいるんだ。


 もっと知りたい、知らないといけない。


 あの影にもたらされた影響なのか急かされる気持ちを抑えて、ふと立ち止まる。

 侍女も合わせて足を止めて


「どうされました?」


 耳の後ろで囁くように言われて、少し擽ったいのを我慢した。

 

「一つ、頼みたいことがあります」


 誰かにモノを頼むのは気が引ける。しかし、主の頼みとなら従うのが彼女らの仕事。王族とならば尚の事だ。でも、私は侍女達に対して尊敬される所も主人然とした姿も見せたことすらない。


 昔、とある青年が仕えていた貴族の息子を、命を賭して魔物から守った話が話題になった。青年は亡くなり、守られた貴族の息子は領主を継ぐ為に今でも生きている。貴族の息子は青年に報いる為、事あるごとに青年の献身のおかげだと、口癖のように言っているらしい。

 果たして彼等のような関係が、私に築けているのかと問われれば否だろう。こんなことを考える私は、どこかおかしいのだろうとも思う。


 きっと彼女も心のどこかで面倒なことだと


「はい、何なりとお申し付けください」


 思っている、そう悲観的な覚悟を決めていたのに彼女はあっさりと受け入れた。

 伏せがちな顔を上げると、いつの間にか彼女は私の前に立っていて私の言葉を待っている。

 当然のように待機している彼女の様子に、目が点になってしまった。そんな私を見て彼女は首を傾げる。


「母様の……いえ、シルヴァ元王妃の記録を集めてほしいのです」


 今度は彼女の目を真っ直ぐに、せめて亡き母の娘として格を纏うように。


「母が何を成し遂げ、どんな人生を歩んできたのか。母の思いを……もう一度、知りたいのです。そうすれば、いずれ」

「いずれ……?」


 つい溢した余計な思考を振り落として、また彼女を見つめる。

 

「お願いできますか?」

「お任せください」


 彼女は即答して一歩下がり、カーテシーを私にして見せた。

 綺麗な動作で無駄がない。彼女は私より五つほど年が上だった覚えがあるが、その年で王城勤務に選ばれるだけある。


 期日は問わないが、なるべく早く収集してほしいと伝えて自室へと歩く。背後に戻った彼女の気配を感じながら、彼女の名前はなんと言ったか……記憶の引き出しを探っていく。

 

 確か、侍女長から紹介された時に名乗っていたような。


 名前、名前、と記憶を探っている内に自室の前へと辿り着いてしまった。

 彼女が扉を開けて私は部屋の中へと入る。


「では、何かありましたらお呼び申し付けください」


 失礼します、と扉を閉めようとする彼女へと振り向く。


「あの……」


 完全に閉まる前の扉に手を添える。隙間から半分だけ顔が覗いている状況で、彼女の顔を見る余裕が今の私にはない。そのまま顔を伏せて勢い任せに口を開いた。


「……ありがとう、ございます」


 一方的に告げて扉を閉じる。向こうに勘繰られないよう音を立てずに、額を扉に押しつけた。

 どの事柄に対して感謝を伝えたかったのか自分自身ですら曖昧だ。日々の仕事への労いからか、頼み事を受け入れてくれたことか、ただ伝えたいと行動に移した。彼女に自分がどう映ったのか分からない。分かっているのは

 

「名前、言えなかった」


 扉越しには聞こえないであろう、か細い声で呟いた。

 思い出せた彼女の名前を、肝心の本人の前で呼ぶ事が出来ない。情けない自分に心の溜息を繰り返していた。

  


 曇天が広がっている翌日、目の前には紅髪の侍女が集めてくれた資料が並んでいる。二、三日ほど時間が掛かると予想していたのに、もう終わっているとは驚いた。机の上に置かれた資料はあまり少なくない。一人で用意するにしてもそれなりの労力が必要だと分かるほどに。

 椅子に座り資料の一部に目を通そうと手に取る前、侍女が母の情報に該当する部分を開いて私に提示してきた。

 一人で調べるつもりでいた私は、侍女の行動が理解できず呆けてしまった。


「あの、一人で調べるので下がっても構いません」


 資料集めで疲れてもいるだろうと、気を使って言ったけれど侍女は困ったように笑みを浮かべる。


「ご一緒してもよろしいでしょうか?」

「えっ?」

「私も、知りたいのです。ルシア様の御母上様がどのような御方だったのか、お邪魔でしょうか?」


 不安を表している彼女を断る理由はない。しかし、どうして彼女が私に対してそこまでするのか分からない。

 母様のことを知りたいのも、もちろんあるだろう。けれど、前提にあるのは私が頼んだからだ。心配する気持ちも、最後まで尽くそうとする姿勢も私には贅沢な人だ。

 だから掴めない、理解できない。未知は怖いのだ、心の底から。


「……どうしてですか」


 問うつもりはなかった。ただ溢れてしまった。未知なる者を目の前にして、恐怖というもやが自制の容量を超えて出る。その声はきっと震えていただろう、顔は俯き肩を震わせていただろう。

 

 まるで温もりを求めて、寒さに耐えている子供だ。


「なぜ一人にしてくれないのですか。他の皆のように、好奇を見る目を向けて離れないのですか」


 ゆっくりと雪が積もるように放った言葉。溶けることがなかった心の欠片が鋭利さを向けて威嚇する。安易に近づけば傷を負わせる、だから触れてくるな──離れてくれと駄々を願った。


「ルシア様」


 隣から彼女の声が降った。呼ばれたのに、私は彼女の顔を見れない。

 

「ルシア様、私の目を見ていただけませんか?」


 近づくな、やめて、もう思い出させないで。

 心臓の鼓動が早まっているのに冷えていく。冷たい血が全身を巡って指先の感覚を奪った。身体と意識が離れようとでもしているのか、心が重たい。


「……──!」


 彼女が腰を落とし私の手を握る。

 同じ人間という身体なのに、はっきりと熱を感じ取った。じんわりと手の平から伝わってくる。意識を身体に留めようと、その熱が私を引き戻した。

 熱源を辿るように、ゆっくりと顔を上げて彼女と目を合わせる。

 

 初めて彼女の顔をちゃんと見た。凛々しい顔立ちで、黒い瞳に吸い込まれてしまいそうだった。

 彼女は微笑みを向けて、私の手を両手で包む。


「私と初めてお会いした日のことを、覚えていますか?」


 曇り空に日を差し込まれる。

 暗い部屋の中で、光が生まれようとしていた。

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