第五話 自身が鳴らす愚かさを

「寂しそうな顔をしていますね」


 馬車に揺られながら窓枠に肘をかけて外を見るロノスに、レアは夫を思い心配性な顔を浮かべてそう尋ねた。


「……そう見えてしまうか?」

「はい」

「そうか、そうだな。もう昔のままではいられないと改めて思ったよ」


 レアは長時間の移動で疲れて膝に頭を置いて眠るマキアを撫でながら、沈黙で返事をする。


「あの頃とはもう何かもが違う。民達も豊かさも、私との関係も」


 昔に思いを馳せて遠い目をするロノス。

 深く息を吸い込んで、胸に溜まった熱を溶かすようにゆっくりと吐いている。


「見ただろうあの国を。常にあらたを目指す新芽の国だ。それに比べて我が国はどうだ? 老いた者等が争い、それに巻き込まれる若者達。上にばかり富が集中して下には零れる分だけ……何もかもが醜い」

「ロノス様……」


 レアに名を呼ばれて、はっとするロノス。


「すまない」


 首を横に振るレア。マキアを起こさないように優しく撫でて、真っ直ぐロノスに目を向ける。


「ロノス様なら、変えられます。たとえ、どんなことが起きようとも私は受け入れます。貴方がしたいことを、貴方が成すままに」

「レア……」

「この子の為にも、私達が変えていくのです」


 ロノスは眠るマキアに微笑んで、レアと目を合わせた。


「彼の国の言葉を借りるなら、茨の道だぞ?」

「痛いのは嫌ですね」

「なら傷をつけないようにしなければな」


 暗い雰囲気だった馬車の中は、薄く明るい木漏れ日が差したようだった。

 そこに安心しきって眠る子供と、それを見守る両親。自国への帰路の途中、ロノスは生涯の友へ想いを飛ばす。


 ──ヴァルよ、君だったらどんな困難な壁に当たろうとも超えていくんだろう。だから私も、己が国を変える。あの頃のように血反吐を吐くことになったとしても、私も君達のような国に。



「どうしよう……」


 一人残されたルシアは開いた扉に向かって呟いた。

 ルチカが部屋を飛び出て間もない頃、ルチカの言いつけを守り動かないでいたルシア。

 扉の向こうに何があるのか、興味を抑えてじっとしている。


「──ッ!」


 すると突然、扉の向こうから何か音が聞こえた。

 まるで本が落ちたような音だ。


 ──扉の向こうへ一人で行ってはいけませんよ。


 頭の中でルチカの声が響く。頭では分かっている。ルチカの言いつけを守り続けなければいけないと。

 けれど、知性はあっても精神が幼い子供に目の前の誘惑に勝てる者は少ない。


「ちょっと、だけなら」


 そう言い訳を残して、ルシアは扉に近づいていく。

 開かれたままの扉の先は、書庫というより書斎のような小部屋だった。

 部屋の両隣には本棚があり、びっしりと本が詰められている。

 そして中央奥には一人用の机が置かれており、その手前には一冊の本が床に落ちていた。


「なんだろう、これ」


 そこそこに大きさのある本を、ルシアは床に置いたまま開きペラペラとめくる。

 落ちた音はこの本かな、と思いつつめくるが、ルシアは目を細めて難しい顔をしていた。


「よ、よめない」


 ほとんどの頁には、文字がびっしりと書き綴られておりルシアにはまだほとんど分からなかった。

 それでもペラペラとめくっていくと、とある絵が描かれた頁に薄い紙が挟まっていた。


 門のような黒い雲から、無数の異形の存在がこちらを誘っている絵。薄い紙には三行の文字と魔法陣が書かれている。


 ルシアは薄い紙を手に取って、天井に向けて観察した。


「はなびや、とびらともちがう。かけてる?」


 書かれている魔法陣には、文字が無かった。花火の時や扉の魔法陣には文字と思われる書体がある。

 それがどういう意図があるのかルシアは分かっていない。だが、必要なものだろうと記憶と比べて考えた。


「うーん、わかんない」


 他の頁には何かあるかもしれない、そう思い紙を本の隣に置いて、前のめりになった自分の身体を支えようと魔法陣に手が触れた。


「ひ、ひかった……ッ!」


 触れた魔法陣と三行の文字が輝き始め、そして目の前に浮かび上がった。

 薄い紙にはもう何も書かれていない。

 目の前に浮かんだ、文字が書かれていない魔法陣と三行の文字。まるで当てはめろ、と言っているかのようで。


「これと、こう……かな?」


 一行目の文字に触れて動かしていく。ルシアにはどうやら当てはめる箇所が見えているようだ。

 一行目の文字は魔法陣に納まると、より一層輝いていた。

 二行目、三行目と文字を操って魔法陣に納めていく。


「いきかえっていくみたい」


 雨から晴れへ。夜から朝へと、生命が活動を始めるように魔法陣が輝きを増していく。

 その輝きが最高潮へと達したその瞬間


「……えっ?」


 魔法陣は途端に輝きを失い、引き換えにドロドロとした黒い霞が滲み出てきた。

 部屋の温度が急激に冷えて鳥肌がルシアを襲う。部屋は揺れて本棚に仕舞われていた本が朽ちていく。まるで物としての形を吸われているように、天井が床が部屋の至る所が朽ちていく。次第に魔法陣が黒い霞に覆われて門のような形になった。すると、そこから無数の手が伸びてくる。


「ひっ──!」


 おどろおどろしい生気を感じない白い手達。門の内側へ引き摺り込もうとルシアに襲いかかった。


「や、やだ! やめて!」


 容赦なく腕を掴まれ、足を掴まれ、顔を掴まれ息ができなくなる。足掻けど足掻けど、小さな身体に振り解くほどの力はない。

 ゆっくりと、ゆっくりと黒い靄の門が近づいてくる。


 身体の半分が門に入った頃、顔を掴んできた手の指の隙間から見えたのは


「──ルシアッ!」


 必死な表情でルシアを見るシルヴァの姿だった。

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