第二十九話 陽葉と陰葉は
「やぁー!」
剣を握っているだけで走る速さが遅く感じる。構えなんてあったもんじゃない。不格好なんて気にする余裕もなく勢いをそのままに、振り被った剣をテル副団長へ振り下ろした。
「うわっ」
コンッと木剣同士がぶつかる音が響くと、防がれた剣が僕の両腕を引っ張って後退させる。握る手からは鈍い振動も感じて剣を交えた事実を認識した。
「どうしました殿下、もう終わりますか?」
テル副団長がわざと挑発するように僕に問う。
「いいえ、もう一度」
返事を聞いたテル副団長は優しく微笑み、僕の攻撃を待っていてくれた。
一度深呼吸をして距離を詰める。今度は防がれても弾かれないよう更に一歩踏み込むと、互いの木剣の根本で受け止めあった。
「良い踏み込みですよ殿下」
最初とは違い、稽古の形が成立している。
僕は返事をする余裕がなくて、ひたすらに打ち込んだ。剣が交わる度にその衝撃が腕を伝う。足を一歩動かせば身体に熱がこもる。息苦しく口内も渇いてきて不快だ……なのに、それでも剣を振った。
──楽しい!
何もかもが新鮮だからか興奮が冷めない。
机に向かい教師達に教わる勉学や笑顔を振り撒く公務と違って、身体を動かすことがこんなに楽しいものだなんて知らなかった。
何度も何度も剣を振って、テル副団長が受け止めいなし防ぎ弾いた。
だけど、楽しい時間はそう長くは続かないようで。
「──そこまで!」
テル副団長が突然、僕が剣を持ち上げれないよう木剣を重ねて止めた。
僕の身体は暗示が解けたように疲労を露わにする。
「はぁ、はぁ……も、もう、終わり……ですか」
「そうですね。これ以上は身体が壊れますので」
木剣を杖代わりにして身体を支える。
動きを止めると疲労感を自覚して、足がプルプルと震えているのに気づく。両腕も違和感があって自分のではないみたいに重く、肺が激しく空気を求めて痛い。
「大丈夫ですか?」
テル副団長が僕の身体を支え、木剣も回収してくれた。
「少し……いえ、かなりしんどいですね、これ」
「明日も大変ですよ」
まるで全てを見通しているかようにニヤリと笑われ、場内の端まで一緒に移動した。
壁や椅子に身体を預けたかったけど、王子としての品位は守らなければならない。できるだけ姿勢を正しく保とうとするが、さすがに息苦しくて背中が丸くなる。
「お疲れ様でございました」
若い女性の声が聞こえてそちらを向くと、姉上の侍女が水の入った容器を差し出してくれていた。
「どうぞ」
僕はそれを受け取って一気に喉へ流し込む。
渇いた体に水分が染み渡ってすぐに容器が空になってしまった。
深呼吸をすると頭も冷えてきて呼吸が落ち着いてくる。その様子を見守っていたテル副団長が
「どうでしたか、実際に剣を振ってみて」
僕と違って汗一つかいていない涼しい顔でそう尋ねてきた。
「とても楽しかったです!」
「それは良かったです」
嬉しそうに微笑むテル副団長。
今でも手に残る打ち合った感覚がジンジンと主張する。
とても短い時間だったけど濃密な体験だった。これが戦場ならば楽しいなんて感想は出てこない。けど、こうして誰かと切磋琢磨できる間は充実した日々が訪れるだろう。もし、友達なんて呼べる人がいるなら僕もそんな日々を過ごしてみたい。
疲労で思考が遠くなった頭でボーッとしていると、あることに気がついた。
「……あれ、どうして姉上の侍女がここに?」
二階で見ている筈では? そう聞こうとしたら
「テル、もう御一方だ」
いつの間にかハルベルト団長がテル副団長の側にいて、何やら指示を出していた。
「正気ですか!?」
とても驚いた様子で真偽を問うテル副団長にハルベルト団長が
「御本人が望んでるんだよ」
と、変わらぬ事実だと告げる。
会話を聞いて察することができずにいた僕は、ハルベルト団長が指差した方向を見てすぐにその意味を知った。
僕がここに来る時に通った薄暗い通路から、細剣を携えた姉上が皆に姿を見せる。
「姉上!?」
きっと、そういうことなんだろうと予想と同時に、まさか姉上が──という驚きで自分でも思わず大きな声で呼んでしまった。
◇
「私は──知りたい。そのためにここへ来たのですから」
知らないといけないことがたくさんある。まずはその一歩目だ。
リュカとテル様の稽古が始まると同時に、私の言葉を受けてハルベルト様が頷いた。
「分かった、ルシア殿下も相手はテルにしてもらう。武器は……って、まともに持てるかどうか分からないよな」
掛かり稽古中のリュカの顔が苦しそうなのに輝きを増す最中、ハルベルト様が腕を組んで悩んでいる。しかし、すぐに何か思い至ったのか
「少しこの場を離れます」
と、だけ言い残して足早にどこかへ行ってしまった。
ディーネと二人きりになって上から稽古の様子を眺める。
「あまり無茶なことはしないよう、お願いします」
ディーネが私を心配してか、そっと寄り添って声を発した。魔法を暴発した時と同じ表情をしているディーネが私を見つめる。
「大丈夫です。皆、熟練の騎士ですから怪我の心配はないでしょう」
「それは……そう、ですが」
「それに、すごく楽しそうですよ」
私の視線の先にいるリュカが楽しそうな顔をして、何度も何度もテル様に挑んでいた。
初めて踏み入る世界に気持ちが昂っているのだろう。息を乱しても構わず剣を振っている。
本当に楽しそう。公務や勉学ばかりの日々は何かとつらいことも多い。ちょうどいい息抜きになっているのでしょうね。
「ディーネ、水の用意をしてもらえますか。終わればきっと、喉が渇いているでしょうし」
「……かしこまりました」
不安げな表情が崩れないままディーネが水の用意をしに離れて程なく経過した後、ハルベルト様がある武器を持って帰ってきた。
「ルシア殿下、これを」
差し出されたのは一本の細い剣。
「これは?」
「この騎士団で最初に掲げられた剣──の模造品だ。だから刃も無いし本物より短くて軽い。ルシア殿下でも扱えるはずだ」
最初に掲げられそこへ集う者達の導となった細剣。母様が使っていた剣の模造品。埃が被っていた痕跡もない。模造品だろうと手入れがされていたのか、とても綺麗な状態だ。
差し出された細剣を恐々と受け取る。
ハルベルト様は軽いと言っていたけれど、私にとっては少しだけ重い。
片手で振れないことはない。しかし、なぜか両手で持ってしまっていた。
「重いですね」
「……実際に重たい、なんてことではないよな?」
「あ、そうですね……扱えるとは思います。ただ、話を聴いた後だと色々想像してしまって」
たとえ模造品だろうと、これはこの騎士団にとって象徴のようなものだ。視察という名目で訪れた私が使っていいものだろうか。
「まぁ、思う所はあるだろうが道具ってのは使われることに意味がある。これは団長室に飾ってるだけだったが、本来の用途は訓練用だ。使う人はいなくなっちまったけどな」
懐かしむように細剣を見つめていたハルベルト様がスッと息を吸うと、真剣な眼差しをこちらに向ける。
「だから、頼む。使ってやってくれ」
その様子に言葉が出てこない私は、ただ頷きで応えるしかなかった。
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