第三十話 光の下で何を見るのか。

 水の用意が済んだディーネが戻ってくると、私達はハルベルト様の後をついて行き練兵場に繋がる通路を歩く。


「どうやら終わったみたいだな」


 ちょうどリュカがテル様に支えられているのが見える。肩を上下させて息を切らしているのが分かった。


「先に行ってください」

 

 私はディーネにリュカへ水を渡すように指示を出して立ち止まる。

 ハルベルト様もテル様のもとへ行ってしまって、今は私一人だ。

 数歩進めば練兵場に出る位置で、手元にある細剣に視線を落とす。

 氷晶の様な鍔に、銀というより白に近い剣身は本物ならどれほど美しいのだろう。


 ふと、母様もここを通ってあの場にいたことがあったのだろうかと想像した。


 ゆっくりと踏み締めて歩くと、薄暗い通路から広い練兵場へと視界が変わった。


「姉上!?」


 素っ頓狂な声をあげるリュカに笑ってしまいそうになるのを我慢して彼等のもとへ歩いて行く。鍛錬をしていた騎士達や見習い達も、手を止めてしまって私達を見ていた。


 まさか王女が剣を振るいに来たとは予想していなかったのだろう、声や仕草に表さなくとも表情がそう語っている。


「ルシア王女殿下、本当によろしいのですか?」


 意外にも焦った様子のテル様が確認してきた。


「はい。胸をお借りしますテル

「……かしこまりました。足を挫いたりしないようお気を付けくださいませ」


 テル様が困った顔を浮かべてハルベルト様に視線をぶつけていたが、渋々了承してくれた。


「姉上、えっと、その……きっと楽しいので、頑張ってください?」

「そうですね。楽しんできます」


 お互いまだ知らないことばかりで手探り感が否めないけれど、初めてリュカという存在を見た気がしている。だから今はまだ、この微妙な距離感のままでいい。

 

 そんなことを思っているとディーネと目が合った。練兵場に来てから浮かない様子のディーネは変わらず不安そうな表情をしている。

 テル様がリュカと掛かり稽古をしていた位置まで移動し始め、私もそこに行かなければならない。ディーネと言葉を交わす時間はなかったが、ぺこっと頭を下げたディーネに私も頷きで返した。


「さて、いつでもどうぞ」


 テル様が私と向かい合って剣を構える。

 無駄がなく上品な構えに真っ直ぐな視線は、それだけでもこちらに威圧感を与えてきた。素人目でも凄みが伝わってくる。


 母様は、このような方達に慕われていたのですね。


 鍛錬に励んでいたはずの他の騎士も私達の成り行きを見守っていた。

 右手に持っている剣の重さが、不思議と強く感じる。


 母様だったらどんな風に身体を動かすだろう。


 頭で動きを想像しながら自身の身体で再現できないか考える。

 剣の振り方は教えてもらっていない。けれど、見本は先程たくさん見させてもらった。剣に身体が振られていた見習い、自身よりも大きな者に勝った騎士、そして目の前にいる副団長の構え。


 材料はいくらでも転がっていた。

 ふらふらと身体を揺らして──ああでもない、こうでもないと確かめていく。まるで酒に酔ったかのように、右手に持った細剣を握りしめて地面を踏む。

 

 こんな感じ、でしょうか。


 自身の想像に任せて理想に近づけていくと


「……ルシア、王女殿下?」


 いつまでも掛かって来ない私に戸惑い、テル様の構えがほんの少し解ける。その緩んだ一瞬の隙に、私は地面を蹴った。


「なにを──ッ!」


 突然駆け出した私に対応が遅れたテル様は、中途半端な防御となり細剣が右腕を掠める。そのまま通り過ぎて一定の距離まで保ち再びテル様と相対すると、その表情は驚きの一色に染まっていた。

 

「もう一度、行きます」


 テル様の返事も待たずに駆け出した。

 先程の不意となった防御と違って、しっかりと構えを取るテル様に距離を縮める。お互いの剣が交錯して鈍い音が鳴り鍔迫り合いとなった。しかし、やはり膂力の差というのはあるようで、まったく押し込める気がしない。


「驚きました。まさかルシア殿下がこのような動きをするとは、誰かに指南されていたのでしょうか?」

「いいえ、初めて剣を振りましたよ?」

「……えっ?」


 ぽかーんとするテル様から距離をとる。

 ただ斬り込んでも、いなされるか防御されて結局は今と変わらない。自身よりも大きく力も強い相手と戦う方法は──


「まずは削ぐ、ということでしょうか」


 相手の武器を処理して隙を作る、それには手数が必要になるだろう。


 動きやすい服を着てきてよかった。


 呼吸を整えてもう一度テル様に接近する。

 今度は正面から踏み込むのではなく角度をつけて右下から左斜め上へと剣を振った。迫る細剣にテル様は身体の向きと剣を一緒に変えて対応する。剣がぶつかり合いテル様から払う力が加わると、私がそれを利用し反転して再度横切りへと攻撃に変えた。


「おっと」


 今度は剣のみで対処しようとするテル様の胴体が正面に空く。

 私の攻撃は軽い。剣を握る手に衝撃すら届いていないかもしれない。だからこそきっと、テル様は私の攻撃を受け止めるだろう。


 そしてそこが起点となる。


 防御される筈だった私の細剣は、テル様の剣を這って滑るように左胸へ切先が向かう。先程のテル様と同様に重心を軸に、剣と一緒に身体を右へと捻り細剣を振り下ろした。


「これは──!」


 愚痴を漏らすかのように声を発して、たまらず後退したテル様をもう一段追い詰める。開いた数歩の距離を、前へと踏み込んでいた左足に力を込めて飛ぶように一気に詰めた。

 誰もが狙うべき空いたままの胴体。テル様もそこへの警戒が高かったのだろう、直ぐに浅くなった防御のまま剣を構えていた。

 けれど、私が狙うのは──


「なっ!」


 身体の捻りと飛び込んだ勢いを乗せて剣身が向かった先は、胴体を守るために構えられた剣先である。


 どうして騎士達は皆あんなに接近するのか疑問だった。しかし、実際に剣を握って振るうとその答えが分かる。剣先は根本に負けるのだ。だからこそ根元同士でぶつかり合い駆け引きが生まれる。


 たとえ私の攻撃が軽くても、捻りと勢いを乗せた根本によるこの攻撃はテル様の剣を弾く。そしてこれは直前に見本となった騎士の動きだった。


 振り抜いた細剣を握る右手首の角度を変えて、腹部を突き刺すように狙いが定まる。このまま攻撃すれば私の勝ち、そう判断して突きを放った。


「──はッ!」


 突きを行うために生じる溜めの間。その刹那の隙にテル様は弾かれた剣の勢いを殺さずに回転し、突きによって晒された剣先を上へと振り払う。

 結果、握る右手に強い衝撃が走って抵抗できなかった手から細剣が上へと吹き飛ぶ。

 

 まるで踊っているような流麗な剣技を見た気がした。


 勝利を予想していただけに固まってしまった私の背後から、空を舞っていた細剣が地面に落ちた音が響く。それを切っ掛けにテル様が姿勢を正して深く頭を下げた。


「も、申し訳ありません!」 

「ルシア様! お怪我はありませんか!?」


 青ざめたディーネが私のところまで走ってくる。

 

「あっ……大丈夫ですよディーネ。少し、右手が痺れているくらいで」


 私の一言にハルベルト様はこの世の終わりかのような表情を浮かべて、テル様もより一層謝罪の言葉を発していた。

 あまりの様子に居た堪れなくなった私はディーネを落ち着かせて、頭を下げたままのテル様に近づく。


「頭を上げてくださいテル様」

 

 ゆっくりと上半身を起こして見えた表情は、王族の身に怪我を負わせたとでも思っているのか、申し訳なさで埋め尽くされていた。


「流石は副団長ですね。見事でした」

「……えっ? あの、何もお咎めはないのでしょうか?」

「私から頼んだことですし、ただ手が痺れているだけですから。時間が経てば治るでしょう」


 気が抜けたように脱力するテル様とハルベルト様。


「申し訳ありません。あまりに追い詰められたもので……少々、力が入りすぎたようです」


 しかし、それでも気にしているのかテル様が額を押さえて反省していると


「いやいや待て待て待て。ルシア王女殿下、何ですかさっきのは!」

 

 ハルベルト様が信じられないものを見たかのような顔をして詰め寄ってきたが、いつの間にかディーネが回収してくれていた細剣を私が受け取りハルベルト様に差し出す。


「ありがとうございました。こちらお返しします」

「あ、どうも……じゃなくて! 誰かに剣の指南でもしてもらってたんですか? 俺はそんなこと聞いた覚えないんですけど」

「テル様にも同じ事を聞かれましたが初めて剣を振りました。こうして終わってみると少し清々しい気分になりますね」


 風を斬るが如くテル様へと顔を向けたハルベルト様。

 重いモノを飲み込むように頷いたテル様を見て、詰め寄った勢いは何処へやら石みたいに固まっていた。

 

「姉上!」


 呼ばれて振り向くと目をキラキラと輝かせているリュカが、この練兵場に来た時と同じ表情をして私に歩み寄ってきた。


「ど、どうやってあんな動きが出来たのですか?」


 興味津々な様子で質問を飛ばしてきたリュカに軽くたじろいでしまう。


「どうやって、ですか……ただ、他の方の動きを見様見真似でやったとしか」

「はは……嘘だろ」


 呆れるように天を仰ぐハルベルト様の乾いた声がやけに耳に残った。



「本日は有意義な時間を過ごせました。また機会があればお会いしたいものです」


 帰る準備を整えて馬車の前で別れの挨拶を告げる。

 到着時と同様、数十の騎士達の先頭にハルベルト様とテル様が見送りに立ち合ってくれた。


「両殿下がお望みなら、いつでも歓迎しますよ」


 最初と違い、慣れた様子でハルベルト様が答える。


「僕も! また来てもいいですか?」

「リュカ殿下さえよろしければ、また稽古をしましょう」

 

 よほど稽古が楽しかったのか気持ちの昂りが冷めていないリュカに、テル様が優しい表情で帯剣している柄頭をトントンと叩いて応じる。


「それでは、また」


 馬車に乗ろうとする前に一度、集まっている騎士達を見渡す。そんな私の様子を見てハルベルト様とテル様が揃って首を傾げていた。


「ルシア王女殿下?」


 ハルベルト様が──どうしたんだ? と言いたげな顔で私の名を呼ぶ。

 私は気持ちを固めるように息を吸い込んで一歩前に出た。


「これは、王女としてではなく個人として……いえ、母様の娘として言葉を伝えます」


 私の言葉を聞いて、姿勢を崩さなかった騎士達が初めて戸惑いの色を見せた。


 言葉にするのが怖い。このまま帰ってしまおうか、出過ぎた真似をしているのかもしれないとも考えた。でも、過去の話を聞いて今でも母様に誓いを捧げてくれている彼等を前に、応えなければと思う。


 少し俯いてしまっていた顔をしっかりと上げて彼等に映す。


「母様の事をずっと想ってくれて、ありがとうございました」


 王族としてではなく、一人の娘として深く頭を下げた。

 

「姉上……」


 王族が容易く頭を下げてはならない。私がしている行動はそれに反している。だというのに、リュカは私の名をそっと置いて見守っていた。


 ゆっくりと顔を上げて彼等を見る。

 私の行動に目を見開いて驚いている者もいれば、口が軽く開いて戸惑いを隠せていない者もいた。

 無言の時間が流れ始めて、馬の足踏みの音だけが訪れている。


 あぁ、やっぱり出過ぎた真似をしたかもしれない。そう後悔しそうになっていると


「全体──掲げ!」


 ハルベルト様の号令が響き渡って、騎士達が帯剣している剣を胸の前に掲げた。それはかつて、一人にしか捧げられることがなかった儀礼。

 

「──ぁ」


 一糸乱れぬ騎士達の行動に目を奪われた。立場が入れ替わるように、戸惑う私を彼等が真剣な表情で見つめている。

 先頭に立つハルベルト様へと視線を変えると、目が合った途端微笑んでくれた。


 まるで私の言葉に対してお返しをしてくれたかのよう。


 浮つきそうになる心を押し留め、もう一度彼等へ頭を下げて馬車に乗り込み王城へと走らせた。


 馬車の中から後窓に掛けられている布を開けて見ると、彼等は剣を掲げたまま見送ってくれている。

 私達はそれが見えなくなるまで、じっと見つめ返していた。

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白光王女は異端少女と共に。 ティー氏 @TEA_JPN

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