第八話 涌いた思い出の上澄みを
ルシアを黒い霞から救出した次の日、ルピナスは資料図書室にいた。
開かずの間の扉には、魔法師団の兵士が警戒にあたっており同時に調査も行なっていた。
複数の魔方陣があったあの扉は、今では一つの魔方陣となってその扉は開かれている。
しかし、開かずの間の小部屋はほとんど朽ちていて、資料図書室の一部もその被害を受けていた。
ルピナスが朽ちた部分に指を当てて軽く擦る。
「……煤みたいだ」
本の名残すら感じられない、燃え尽くされたかのような感触に眉間を寄せた。
──あの時、偶々王城に来てたから良かったものの。
茶会での話から、すぐに開かずの間を見に行くことは容易に想像ができる。訓練終わりに様子を見るだけだったが、王城内での異様な圧力に嫌な予感がした。早歩きで資料図書室に向かおうとした道中に、女官に遭遇し伝言を聞いて肝を冷やした。
幸いにも、ルピナスが扱う魔法は派手なものが多く伝達用に周知できているため、すぐさま信号を送れた。
「それでも、あんな事になったのは……」
──あたしがルシア様に試すようにしたから、か?
誰がこんな出来事を予想できようか。起きてしまった事を今更悔やんでもどう仕様がない。仕方がないと分かっていても、心のどこかで自責を始めてしまう。
「……くそ」
頭を振り払って、今度は扉に近寄り静止した魔法陣を眺める。
「ルチカさんが言ってたっけ、これの中心を回すと開いたって」
周りの兵士に意図を伝えて扉を閉じる。静止した魔法陣の中心に手を当て、右から左へ手を回す。一定の間隔でガタガタと音を鳴らし魔法陣が一瞬発光する。
開かない事を確認して、今度は逆に魔法陣を回すとルシアの時と同様に解錠され扉が開く。
「なるほどね、そりゃあ解けないわけだ」
根本的に見方が違った。これは鍵であり鍵穴なのだ。今までの学者や魔法師達は魔法陣を解除することに力を注いでいたが、これを用いる見方は無かった。
「でも、これをルシア様はどうやって見抜いた? 眼が他とは特殊だと思っていたけど……」
特殊というより異質。目が良いとか魔力残滓を見れる稀有な存在という安直な考えで見ない方がいい。もっと別の次元にある特別な力かもしれない。
「──副長」
背後から魔法師団の一人に呼ばれて振り向く。
「何かあった?」
ルピナスより年上の魔法師が規律正しい動きで姿勢を正した。
「ルシア王女殿下が目を覚まされました」
◇
医者の指示を守って三日後、ルシアの体調は医者の見立て通りに良くなり、走り回れるまでに回復した。
アグロヴァルトの言葉に従い、ルシアからシルヴァへ会いに行く。
シルヴァの部屋の前に到着すると、ルチカがノックを行い扉を開けた。
「母様?」
ルチカの右足からひょっこりと顔を出したルシアが見たのは、ベッドから身を起こし、窓から外を眺める少し痩せこけたシルヴァの姿だった。
「あら、ルシア来てくれたの。こっちへいらっしゃい」
おいで、と手招きされてルシアは駆け寄る。そのまま頭を撫でられて目を細めた。
見上げたシルヴァの顔がいつもと違うのに気づく。
「母様、いつもよりきれい?」
「うふふ、流石私の娘ね。母様はね、今お化粧してるの」
「おけしょう?」
「えぇ、綺麗になりたい人がもっと綺麗になるための素敵な方法よ」
社交界に出席する時よりは薄いが、それ故に上品に映る。
「いつかルシアも大人になったら、化粧を楽しめるようになるわ」
「母様みたいになれるかな」
「なれるわ。だから今のうちに、母様の顔をいっぱい見て勉強しておくのよ」
忘れないようにね、とまた頭を撫でられる。
シルヴァは自身の隣に来るように、ベッドを軽く叩くとそこにルシアを迎え入れた。
「しばらくお外に出られないから、久しぶりに絵本でも読みましょうか」
絵本! と目を輝かせてルシアはシルヴァにぴったりとくっ付いた。ルチカが絵本を持ってシルヴァに渡すと、ゆっくりと読み聞かせる。
ローゼン国に伝わる精霊の絵本。それは国の起源とも言える昔話。精霊と初めて友達になった人間の話。
侍女が見守り母娘が仲睦まじく過ごす光景は、先日の出来事がまるで嘘のようだった。
◇
「ふぅ……やっぱり、少し堪えるわね」
負傷した脇腹を押えて冷や汗を流すシルヴァ。
夜も更けて別室でルシアが眠りについた頃、ルチカに化粧を落としてもらったその素顔は、まさに病人だ。
目の下にはクマができ、身体は細くなり骨すら浮かんできそうな程に衰弱していた。
「シルヴァ様、こちらを」
ルチカが持ってきたのは水と薬だった。医者から処方された薬の効き目は一向に回復の兆しが見えないが、何もしないよりはマシである。
ルチカからそれらを受け取り飲み込む。
「あまり、時間がなさそうね」
自身の状態が良くない方へ向かっている。それも急激な速さで迫っているのをシルヴァは理解していた。足の上に置かれたままの絵本に目を落として、次は何を残そうかと想像する。
黙したまま片付けを行うルチカを見て、そのまま天井に顔を向けた。
「ねぇルチカ」
作業の手を止めてシルヴァの方へ振り向く。
「最後まで、付き合ってね」
「はい、もちろんでございます。最期の最後までシルヴァ様の侍女でありますから」
そう──なら良かった、と言い残して目を閉じる。
お互いにそれ以上の言葉は必要なかった。二人の顔付きはとても似ていて、ただ一人の事を思い浮かべ覚悟を決めている。
あの子の前では最後まで綺麗でいよう。
あの子の前だけは元気に笑おう。
何も心配はいらないと思ってもらえるように。
あの子を愛し、皆に愛されていると伝えよう。
たとえもう後がなく、この命が尽きようとも。
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