第十九話 そして朝日に目覚める
王都に建設されている詰所を利用する騎士の集団。それはかつて、王女ルシアの真人祭開催時にて公開訓練を行った元王妃直属の騎士団である。
主を失っている騎士団の若き団長ハルベルトは、団長室で王城から届いた封書を開いていた。
「一体何がどうなってんだか……」
二十代後半の顔はどうやら苦労が絶えないようで、椅子の背もたれに背を預けて、短い黒髪を掻き乱し始めた。軽装に身を包み、だらしない着こなしは平民の生まれを思わせる。
封書を適当に置いて天井を見つめた。
「何が書いてあったのですか?」
王城の使者から封書を受け取り、ハルベルトに手渡した副団長テルが問う。背筋を伸ばしシワひとつない衣服、艶のある橙髪を右目に流している青年のさぞ異性には困らないであろうその姿は、まさに貴族特有の雰囲気を纏っている。
読めば分かる、と言いたげな表情を浮かべて、ハルベルトが封書をテルに返した。
「拝見します」
自身より年下のテルが丁寧に封書を開くのを、恨めしそうに見つめるハルベルト。
ゆっくりと読み込んでいくテルの目が、次第に見開いていった。
「ルシア王女殿下とリュカ王子殿下の視察受け入れ要請……!」
「そういうことだ」
「正規の王国騎士団なら分かりますが、なぜ我等に」
「さぁな、だが聞いてた話とは大分違う」
視察に訪れるだけならまだ分かる。けど、両殿下が揃ってここに来るだって?
「……仲が悪いんじゃなかったのかよ」
公務で二人が揃うというのは偶にある。だが、視察という自主性によって生じる行動に、わざわざ揃ってくるなんて今までになかった。ただでさえ俺達の騎士団は厄介扱いされてるってのに。
面倒なことにならないといいが、と心の中でそう呟いたハルベルトは団員へ通達の準備を始めた。
なぜこんなことになったのか、それは数日前に遡る。
◇
あれからルシアはディーネと共に、シルヴァの戦功の記録を兵籍簿や歴史書から探していた。ディーネが開いた頁をルシアが受け取り目を通していく。その過程でディーネも記録を頭に入れていた。
「凄まじい戦績ですね、さすが魔剣士というべきでしょうか」
ほとんど負け無しと言っていいほどの記録を目の当たりにして舌を巻く。
単騎で状況を変えた記録もあれば、作戦を立案していた記録もあった。武勇だけでもなく知略も長けた人物なのが分かる。
真剣な表情で読んでいるルシアが、ある部分で視線が止まった。
「……新騎士団の設立」
「これは、後に王妃直属となった騎士団のようですね」
シルヴァが率いる部隊が時を経るに連れて大きくなり、そしてそれはいつしか団となった。シルヴァに魅了され、または救われた者達が志願しシルヴァに忠誠を捧げた者が集う騎士団。
その騎士団の名は
「王妃直属騎士団──ガランサス」
記録を指でなぞって呟いたルシア。
戦時中の母様を間近で見てきた人達。ルピナス様と同様に私が知らない母様を知る人達。そして母様を中心に作られたこの騎士団は、母様亡き後もまだ存続していたはずだ。王女である私が出向いても抵抗は……されないと思いたい。
記録を追う視線と手が止まっているルシアにディーネが声を掛けた。
「大丈夫ですよ」
止まっている指先に触れたディーネは、晴れ晴れしい表情を向けて
「きっと、会って話をしてくれるはずです」
抱いているであろう不安を拭う。
ディーネの言葉を受けて肩に入っていた力が抜けていく。胸に篭った息を軽く吐いて頭の澱みを取り除いた。
「そう、ですね。この方達に話を聞いてみたいです。手続きをお願いできますか」
「かしこまりました」
さっそくディーネは他の侍女と一時交代をし、騎士団への訪問手続きを行うため部屋を出て行った。
入れ替わりで入ってきた隅で待機する別の侍女の視線を背中で受け止めながら、残りの記録を読んでいくルシア。
頁を捲る指先に先程まであった温もりを少し寂しく感じる、そんな自分自身を笑う。
「こんなにもすぐ我儘になるものでしょうか」
単純な気持ちの変化に、表情にも笑みが表れているのをルシア自身気づいていなかった。
部屋を退室したディーネは足早に王城内を進む。
目的地は軍務官たちが利用する区域だ。早く手続きを済ませてルシアの元に戻りたいディーネの前方に、リュカが教師の一人と供に歩いているのが見えた。
ディーネは廊下の端によって頭を下げリュカが通り過ぎるのを待つ。
そんな様子をリュカは横目で観察する。
あの人は確か姉上の側付きの──何かいいことでもあったのかな。
端に寄るまでのディーネを見て、いつも曇った顔をしていた彼女がニコニコしていたのが珍しく映る。
僕よりも姉上のことを知っているんだろうな、なんて思いながら通り過ぎた。
◇
翌朝。
十年前の夢に魘されることもなく、珍しく良い目覚めで起きることができたルシア。
寝汗もかいておらず、身体も軽く感じて上体を起こした。窓掛けが閉まっている薄暗い部屋は以前と何も変わらないのに、気持ちがまったく違うのは……と、考えていると扉からノックが鳴る。
ゆっくりと開く扉から見えた紅い髪。
嘘ではなかった、夢でもない。変わらないはずなのに心が綻んでしまう。
扉が開ききってディーネと目が重なる。お互いに確かめるように一瞬見つめ合った。
昨日と同じように微笑みを向けてくれるディーネが、軽く頭を下げる。
「おはようございますルシア様」
「おはようございます、ディーネ」
普段なら交わすことがなかった会話。お互いに心が浮かれて朝の準備に取り掛かる。
湯浴みを済ませて食堂に向かう道中、予想はしていたがいつもの視線は飛んできた。だけど何故だろう……あまり苦しくない。
俯くことを忘れたかのように、ディーネの背を見つめて食堂に辿り着く。
扉が開かれて中に入ると、ベルリーサ様とリュカが席に着いていた。
「おはようございます、ベルリーサ様」
「おはようルシア」
ディーネと交わした挨拶と違って冷えていく心。
形式だけの挨拶を交わして自分の席に着く。
「おはよう、ございます……姉上」
「おはようございます、リュカ」
ちらちらとこちらを窺うリュカに違和感を覚えつつも、父様も入室し食事の時間が始まった。
用意された料理を口に運ぶ。
味がしないのは気にしていなかったが、変化はあった。スープに使われている香辛料だろうか、少しだけ辛味を感じた。ほんのりと香りが鼻をくすぐる。
しばらくして食事も進み、私達の様子を見ながら父様が口を開いた。
「ルシアよ」
「はい、何でしょう父様」
音を立てないように食器を置き、父様に顔を向ける。
「騎士団への訪問の申請があったと聞いた。それもガランサスに……何をしに行くんだ?」
ガランサスという名を聞いてか、ベルリーサ様の手が一瞬止まった。
なんて答えるべきか。母様のことについて話を聞きに行く、なんてありのままを伝えることは躊躇ってしまう。父様だけならともかく、ベルリーサ様もいる空間で言えるわけがない。
「ただの視察です。先日、魔法師団長ルピナス様のご指導のおかげで魔法の実践ができましたので、騎士の方々もどのように訓練されているのか興味が湧いたのです」
「ならば、王国騎士団でよいのではないか?」
「そちらは王都の警備防衛を主任務にされていると聞いています。私が出向くとご迷惑を掛けてしまう恐れがあるので」
「そんなことはないと思うが」
なかなか理解を得られない状況に、一息ついて
「それに、あの騎士団は役亡しなのでしょう?」
役亡しの騎士団。主を亡くし任務を与えられることがなくなった騎士団と、そう陰で呼ばれている。本当はこんな言葉を使いたくなかったけれど仕方がない。
目論見通りに父様が黙り込む。
父様としてもあまり聞きたくない言葉なのだろう、胸のつっかえを取るように息を吐くと
「まあいい。好きにしなさい」
残りの料理を口に運んでいた。
申し訳ない気持ちに襲われながら、とりあえず許可をいただけたことに安堵していると
「あ、あの」
リュカが突然、私と父様を交互に見やって何か言いたげにしていた。
父様も手を止めてリュカを見る。
「どうした?」
「ぼ、僕も……姉上に同行してもよろしいでしょうか?」
リュカを除いて誰も予想していなかった言葉に、私達の手が止まっていた。
「それは構わんが、ルシア次第だな」
父様が私に選択権を与えてくれている。
ちらっとベルリーサ様の様子を盗み見ると何やら考え込んでいた。
リュカが頼み事をしてくるなんて珍しい。やっぱり男の子だからか、騎士に興味があるのかもしれない。
「勉学の調整はできているのですか?」
「は、はい。問題ない、と思います」
「ベルリーサ様はよろしいので?」
私の言葉に反応して顔を上げたベルリーサ様。一度リュカの方へと向き
「そうね。この子が行きたいというならそうすればいいと思うわ。時間に余裕があるようですし、どのみち一度は体験せねばならぬこと。早い方がいいでしょう」
母親の眼差しでそう言ったベルリーサ様が私の方へ向き直ると、打って変わって鋭い目つきに変わった。獲物を見定める圧力に負けじと、こちらも目を背けない。
「しかし、責任はあなたが持ちなさい」
「……分かりました。日程が決まり次第、侍女に伝えさせます」
「あ、ありがとうございます姉上」
リュカと一緒に訪れる予定は考えていなかったが、断れる雰囲気でもなくなり渋々受け入れることにした。
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