第42話
夏休みも残りわずかとなった頃の朝、虎太郎はチャイムの音で目を覚ました。激しく連打されるチャイム。重い目を必死で開きながら時計を見ると朝の八時三十分だった。
「おい、虎太郎、俺だ」
「……部長?」
虎太郎はベッドから飛び起きた。
「よっ」
ドアを開けた虎太郎は朝の明るさに目を細めていた。長谷川はまるで我が家のようにすぐさま中に入って来てはまだ閉じられたままのカーテンを開け部屋を明るくするといつもの場所に座った。
「……おはようございます」
「ああ、おはよう」
「どうしたのですか部長。朝から」
虎太郎はまだ寝ぼけているのか玄関に突っ立ったままで長谷川を見ていた。
「ほら、昨日写真を返してもらったからさ。早く虎太郎に渡そうと思って」
長谷川はそう言うと持っていた大きなバッグから白い封筒を取り出した。
「写真……兄ちゃんの?」
「ああ」
虎太郎はやっと目を覚ましたかのように急いで長谷川の隣に座った。受け取った封筒から中身を出してテーブルの上に広げた。
「ありがとうございます部長」
「おう」
虎太郎はたくさんある写真を次から次へと手に取り眺めていた。写真の中の兄はどれも生き生きとしていた。たまにあるカメラ目線の兄が今にも虎太郎に話しかけてきそうな気がしていた。『ちゃんと練習しろよ』『宿題はやったのか?』そんな声が今にも聴こえてきそうだと虎太郎は思っていた。
「お前はいいのか?」
「えっ?」
嬉しそうに写真を見ている虎太郎に長谷川が言った。
「お前はバスケはやらないのか? 新聞部も廃部になったことだし、これからどうするんだ? まだまだ高校生活は長いぞ?」
「どう……しましょう」
「前にほら、犬飼監督が言ってただろ? いつでもバスケ部にって。お前は伊吹さんの真似をしてただけだと言っていたけど、ずっと練習してきたんじゃないのか?」
「練習というほどのものじゃないです。小学生の頃からの日課が抜けなくて、腕立てとスクワット、毎日の筋トレと、ただバスケットボールを触ってたっていう、それだけですから」
「ふーん。俺にはスポーツのことはわからねえけどさ、それって一番大事なことなんじゃないのか? どんなことだろうが毎日こつこつ続けるっていうのはけっこう難しいことなんだぞ?」
「はい……正直言ってもう一度バスケをやってみたいとは思っています。特にこの兄の写真を見てからは……っていうか部長……何してるんですか?」
長谷川は虎太郎と話しながらバッグから教科書や参考書を取り出しテーブルの上に広げていた。
「何って、見ればわかるだろ? 勉強だよ勉強」
「はい?」
「だからぁ、新聞部は廃部にするって言ったらあの城ヶ崎のやろうが俺の部室を生徒会の倉庫にするとか言い出してよ。俺の居場所が失くなったってわけだ」
「いやいや、だからってどうしてうちに」
「あん? 別にいいだろう、写真を持って来たついでだよついで」
「ついでって……部長、もしかしてずっとうちに居る気ですか?」
「なんだ、虎太郎が寂しいなら夏休みの間は居てやってもいいんだぞ」
「部長、最初からそのつもりなんでしょう? この荷物」
虎太郎は長谷川が持ってきた大きなバッグを開いて見た。中には着替えや歯ブラシなど旅行にでも行くかのような荷物が入っていたのだ。
「お、虎太郎もなかなか鋭いじゃないか。さすがは俺の弟子だ」
「弟子?」
「まあ、いいからお前は自由に好きに過ごしてくれ。あれだったら俺が勉強を見てやってもいいぞ?」
「……わかりましたよ。僕はもう一度寝ます」
虎太郎はあきれたような表情をしながらベッドに潜り込んだ。
「おう、お休み」
「あ、そう言えば部長」
「ん?」
虎太郎は仰向けに寝転んだままで話していた。
「若葉高校に猫っていました?」
「猫?」
「はい。近藤先生が言ってたんです。自分が若葉高校にいた頃は野良猫がたくさん居てグラウンドや体育館に入ってきてたって」
「いや、俺が若葉高校に来た時は猫なんて居なかったぞ」
「そうですか。じゃあ学校が何か対策でもしたんですかね」
「だろうな。グラウンドや体育館まで来られたら気になって集中も出来なかっただろうしな」
「はい」
「でも何でまた突然猫の話しなんか」
「ああ、たまたまです。近藤先生の家の庭にちょうど野良猫が走り込んで来たんですよ。それで猫の話になって」
「ふん」
「猫が屋根に登って降りられなくなって夜中に鳴いてうるさいとか」
「ああ、猫はどこでも登ろうとするからな」
「そしたら先生が若葉高校にも猫がたくさんいたって」
「……猫ねえ」
「……猫です」
長谷川はベッドに背中をつけてもたれ掛かると何かを考え始めている様子になった。それを見た虎太郎は楽しそうに笑いながらベッドから降りて部屋のカーテンを閉め直した。そしてまたベッドに潜り込み、暗く静かになった部屋でもう一度眠りにつこうとしていた。
猫と聞いた長谷川は考えていた。あの日、水沢伊吹は校舎を見ていたと言っていた。もしも校舎のどこかに猫が、いや、屋上に猫が居たとしたら。水沢伊吹が屋上のあの塀をどうしても登らなければならなかった理由。それは何かを見るためか誰かを助けるためか……。とにかく父に頼んで岸谷に聞いてもらおう。水沢伊吹を尾行していたあの日、学校の中で猫を見なかったか。あるいは猫の鳴き声を聴かなかったか。もしも猫を見たりしていたならば……。だとしたら水沢伊吹の死の真相は今自分が考えていることで間違いないかもしれない。
「おい、虎太郎……」
長谷川が振り向くと虎太郎はすでに気持ち良さそうに寝息をたてていた。そんな虎太郎の寝顔を見て長谷川はどこか嬉しそうに微笑みながら立ち上がりいつの間にか閉じられていたカーテンを再び思いきり開けた。朝の光が部屋の中に飛び込んでくると同時に若葉高校の方からは夏の終わりを告げる蝉の鳴き声が聴こえてきた。
完
若葉を守りし者たちよ クロノヒョウ @kurono-hyo
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます