第16話
コンクリートでできた塀。虎太郎が背伸びしてやっとその向こうが見えるくらいの高さの壁に囲まれた若葉高校の屋上。まだ六月とはいえ風通しの悪い屋上は真夏のように蒸し暑かった。
「俺の身長が177センチ。まあ登れないこともねえな。伊吹さんは何センチあった?」
「188センチです」
「デケえな」
「水沢伊吹を抱えてここから落とすのは余程の体格の持ち主でないと無理でしょうね」
「それか複数でか」
「複数いたとは考えにくいですよ坊っちゃん。水沢伊吹が抵抗したような痕跡もこの壁にはなかったですし何人かに無理矢理抱えられたとしたら大声を出すはずです。学校の周りは静かな住宅地だ。何か物音や声を聞いたという人がいてもおかしくない。ですがそれもいません」
「どこか別の場所で気を失わせたりしてここまで運んできた、とかは?」
「それも考えましたが外傷は落下した時のものと見られるもののみでした。もちろん薬物などの摂取もなかった」
虎太郎は管理人に扮する岸谷刑事と長谷川の会話を聴きながらじっとコンクリートの壁を見上げていた。
「虎太郎、平気か? 無理すんなよ」
その様子を見た長谷川が心配そうに虎太郎に声をかけた。
「大丈夫です。続けてください」
長谷川の心配をよそに虎太郎の表情はいつもと何ら変わりなかった。
「第一発見者は早朝五時半頃に朝練にやってきた生徒です。そして水沢伊吹の死亡推定時刻は前日の夜十時から十二時の間」
「部活動は夜九時まで。皆が帰った後に当直の先生が門の鍵を閉める。朝は朝練の生徒のために五時には鍵を開けるんだよな」
「その通りです。ただ、今は先生方が交代で当直をしていますが当時は違いました。定年退職した後に用務員として働いていた村田邦男さん当時七十五歳。彼が門の管理をしていました」
「その人は何て?」
「夜九時に全生徒の帰宅を確認。校内の見回りをして九時半頃には門の鍵を閉めたそうです。それから村田さんは食事をとって寝た。朝五時に起きて校門の鍵を開けた。寝ていたから何も見ていないし物音も聞いていない」
「ふん、そして朝練に来た生徒が伊吹さんを発見した」
「そうです」
「でもさおっさん、この学校は門を入るとすぐグラウンドだろ。右手が体育館でグラウンドを挟んで校舎は左側だ。伊吹さんが落ちたのがここからなら、伊吹さんは校舎の裏側で発見されたことになるよな。その生徒は何で朝から校舎の裏側なんかに?」
「ええ、彼はまず職員室に体育館の鍵を取りに行ったんです。職員室の奥の窓際にあるロッカーにね。そこでふと窓の外を見た時に遠くに何やら人が倒れているのが目に入った。窓を開けておーいと呼びかけてみるも返事がない。それで校舎を出て裏側に回ってみたところそれが死体だとわかった。ということでした」
「その、村田さん、って人は朝から気付かなかったのか」
「村田さんの部屋はグラウンドの隅のプレハブ小屋でした。今は坊っちゃんたちの部室になっている建物です。なので朝から校舎には入っていません」
「なるほど、わかった。サンキューおっさん」
「いえいえ。またいつでもいらしてください」
「そんなに頻繁には来れないけどな。怪しまれる」
岸谷刑事は長谷川と虎太郎に軽く会釈をするとプレハブ小屋に戻っていった。
「虎太郎、行くぞ」
「あ、はい」
ずっと黙って聞いていた虎太郎も歩き出した長谷川の後を追いかけるようにしてついていった。
「本当に何もないですし狭くてすみません」
虎太郎はそう言いながら座っている長谷川の目の前のテーブルにペットボトルのお茶を置いた。
「おう、サンキュー」
屋上を出て新聞部の部室に戻ると長谷川がこれから虎太郎のアパートに行くと言い出したのだ。特に断る理由もなかったため虎太郎は長谷川を若竹コーポの二○一号室へと招いた。
「一応伊吹さんが住んでた場所も見ておかないとな」
「はあ、わざわざありがとうございます」
高校生とはいえ男が二人いるとワンルームの部屋はますます窮屈に感じていた。座るスペースを失った虎太郎は長谷川の隣に座るわけにもいかずベッドの上に座ることにした。
「現場を見てどう思った?」
「えっ、僕ですか?」
「他に誰がいるんだよ」
「あ、いや、びっくりして」
「あの塀を伊吹さんが登ったと思うか?」
「僕は、わざわざ靴を脱いでまで登ったとは思えませんでした。もしそうだとしても何か理由があったはずです」
「自殺以外の?」
「えっ」
「悪い。正直に言うけど自殺しようと考えてる人間は余程何かに悩んでいると思うんだ。そういう時に人は何をするかわかんねえだろ? 無意識のうちにドラマやら何やらで見た自殺する時は靴を脱ぐっていう場面が頭によぎったのかもしれない。自殺を認めたくないお前の気持ちもわかるけどな」
「……はい」
「あらゆる可能性を考えなきゃいけないんだ。悪く思うなよ」
「わかってます、すみません」
「で、お前が言った他の理由だよな。どうしてもあの塀を登らなければならなかった理由があったとする。弟から見てどんな理由なら伊吹さんはあの塀を登る?」
「兄ちゃんだったら……誰かを、何かを助けようとしたとか、何かを見ようとした、とか?」
「誰かを助けようとしていたのならそれが誰で、そいつに何があったのか。ああ、くそっ、そんなのどうやって探せって言うんだよ」
長谷川はうなだれるようにベッドに背中を預けた。
「部長、もしよかったらこれを読んでみてもらえませんか」
虎太郎はベッドから降りて机の上に置いてあったノートパソコンを取り長谷川の前に置いた。
「何だよ」
「兄ちゃんが若葉高校に入ってから亡くなるまでのメールです」
「メール?」
「はい、ほぼ毎日兄ちゃんはメールをくれてました」
そう言いながらパソコンを立ちあげる虎太郎。
「ちょっと待て。じゃあなんだ、その700回以上のメールの内容を読めってことか?」
「はい」
「マジか」
長谷川は半分楽しそうに、半分呆れたようにしながらまたベッドへもたれ掛かっていた。
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