第33話



 七月も終わる頃、長谷川と虎太郎は新聞部の部室にいた。その格好は二人ともTシャツに短パン、そして頭にタオルを巻きマスクをしているという姿だった。

「……部長……これいつから手付かずなんですか……」

 新聞部の部室の壁一面の棚にある大量の新聞紙の山。二人はそれを片っ端から一部ずつ確認しながらごみ袋に入れるという作業をしていた。

「あ? 少なくとも三年間は」

「よくこんな部屋ですごせてましたよね部長」

「うっせえ。早く手を動かせ」

 エアコンはついているが閉めきった部室で二人は汗だくになりながらほこりにまみれ、時折咳き込んでいた。

 長谷川はあれから二つ上の新聞部の先輩と連絡をとり水沢伊吹と仲が良かった先輩のことを聞き出していた。運よくその先輩の連絡先を教えてもらうことが出来た長谷川は虎太郎とその先輩に会いに行ったのだった。虎太郎を見た先輩はとても喜んでくれていた。いつも虎太郎の話を伊吹から聞かされていたと笑っていた。そして夏休みに確かに茶色の封筒を預かったとも。

『とにかく誰にも見つからないようにこの封筒を部室に置いておいてくれって。中身は何かって聞いたら写真だって言ったんだ。俺はその場で開けてみたよ。バスケ部の連中と撮った写真がたくさん入ってた。なんかノートっぽい物もあったかな。ほら、伊吹の頼みなんて珍しいからさ。その頃から新聞部は特に活動してなかったし、俺も引退してちょうどあの部室の鍵を返さなきゃと思ってたから。……そう、誰もいない時に入って新聞紙の山の中に紛れ込ませておいたよ。……ああ、ごめんよ。取りに行かなきゃとは思ってたんだけどさ、受験勉強とかでバタバタしてるうちにすっかり忘れてたよ。虎太郎くんを見て今思い出した』

 そうして二人は今その茶色の封筒を探しているのだった。新聞を取り出しては中身をめくって何も挟まっていないか確認する。ひたすらに黙々とその作業を続けていた。

「虎太郎、もしノートが見つかったら警察に渡すけど、いいよな?」

 作業しながら長谷川が突然静かな声でそう言った。

「はい、もちろんです」

「いや、伊吹さんは警察に通報せずここに隠した。なにか理由があったはずだろ。わざわざ隠した物を俺たちが警察につき出していいものかどうか。一応弟のお前に聞いておかないとな」

「問題ないです。と言うか、僕にも兄の気持ちはわかりませんから」

 虎太郎は手を止めて長谷川を見た。

「ここに来るまで僕は兄のことを全て知っていたつもりでした。でも僕が知っていたのはほんの少しだけ。兄のことはほとんどわかっていませんでした。当然と言えば当然ですよね。それに」

「ん?」

 長谷川も手を止めて虎太郎を見た。

「部長が言っていたように兄はバスケのためにこうしたのかもしれません。でもまだ今のところは全部僕たちの推測です。実際はまだ自殺なのか殺されたのかもわかっていない。なのでひとつずつ明らかにしていくしかない。そうですよね、部長」

 虎太郎の言葉に長谷川は驚いたような目をしていた。

「なんだ。ちゃんとわかってるじゃねえか」

「ずっと部長といて僕も少しは学びましたから」

「そうか」

 マスクで顔は見えないものの長谷川はまんざらでもない様子だった。

「とにかくノートを見つけて、後はオヤジたち警察に任せるぞ」

「はい」

 作業の手を進めながら虎太郎は考えていた。兄が亡くなるまで、中学校一年生までの自分の世界は兄だけだった。それなりに友達はいたが兄が若葉高校に行くまでは友達といるより兄についてまわっている方が楽しかった。兄が若葉高校に行ってからはバスケばかりしていた。早く兄に追い付こうと必死で練習した。そして兄が亡くなってからは部屋にこもりきりだった。学校では友達と普通に会話していたが遊びに行ったりする気にはなれなかった。そんな自分は兄だけではなく人が何を考え何をやろうとしているのかなんて見ようともしてこなかった。だが今やっと人と関わって親しくしてもらって気づかされた。みんなそれぞれ自分を持っていて何かを頑張っているということに。山田だっておとなしそうに見えてちゃんと自分のやりたいことをやっていて楽しそうだった。クラスメイトの祐吾もコバにゃんも、それに部長も生徒会長もみんなそうだ。みんなやりたいことをやって生き生きとしている。そんな人たちを見ていると今まで自分はいったいどうやって生きてきたのだろうかと情けなくなっていた。今までの自分には何もなかった。兄が全てだった。でもその兄はもういないのだ。

「おっ、あったぞ虎太郎!」

「えっ」

 長谷川は手に厚みのある茶色の封筒を持ってひらひらさせていた。虎太郎は長谷川のもとに駆け寄った。

「開けるぞ」

「はい」

 長谷川は封筒を開け中身をテーブルの上にそっと広げた。

「あっ」

 虎太郎の目に飛び込んできたのはたくさんの兄の写真だった。あのホウライ軒に貼ってあるのと同じ写真もあったし他にも試合中と見られるものや制服姿の写真もあった。どれも写真の中の兄は楽しそうに笑っていた。

「ノートはこれか」

 長谷川は写真に紛れていたノートを三冊手に持っていた。

「虎太郎、悪いがこの写真も一応全部警察に渡すぞ」

「……わかりました」

「後で必ず返してもらうからな」

「はい」

 必死で兄の写真を見ている虎太郎に長谷川が優しくそう言っていた。





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