若葉を守りし者たちよ

クロノヒョウ

第1話



 若葉高等学校の入学式を終えた後、まだ幼さの残る愛らしい顔をした水沢虎太郎こたろうは両親を見送るために新幹線のホームに立っていた。

「虎太郎、こっちよ」

 すでに新幹線は到着しており今にも泣き出しそうな顔をしている母親とそれを静かに見守る父親の姿が目に入った。虎太郎が駆け寄ると母親はすぐに虎太郎の腕を掴んだ。

「何かあったらすぐに連絡するのよ。ちゃんとご飯を食べること。夜遊びなんかしないで家でおとなしくしてなさいよ。それが条件なんだからね。いい?」

「わかってるって」

 心配しすぎな母親に対して虎太郎は苦笑いを浮かべた。

「とにかく、母さんが心配するから出来るだけ連絡してやってくれ」

 母親の肩を抱きながら父親は申し訳なさそうに言った。

「うん、そうするよ。父さんありがとう。僕のわがまま聞いてくれて」

「ああ、その……いろいろと頼んだぞ虎太郎」

 虎太郎は父親の目を見ながら力強く頷いた。

 発車のアナウンスが入ると二人は後ろ髪を引かれるように何度も振り返りながら新幹線に乗り込んだ。座席に座ると母親は一所懸命に口を動かしている。「元気でね」「ちゃんと食べるのよ」おそらくそんなことを言っているのだろうと思いながら虎太郎は何度も首を縦に振らなければならなかった。ドアが閉まり動き始めると同時に虎太郎は手を振った。そして新幹線が見えなくなるまで見送ってからホームを後にした。


「父さん、母さん、僕、若葉高校に行きたい」

 虎太郎が突然そう言ったのは今から約半年前の十一月も終わろうとする頃だった。仕事から帰ってきてリビングで食事をしている父親の前に立った虎太郎。この二年間ほとんど会話することのなかった虎太郎が口を開いたこととその内容に両親は目を丸くして驚いていた。

「若葉高校ってまさか」

 父親は思わず立ち上がっていた。

「ちょっと虎太郎、本気なの?」

 キッチンで洗い物をしていた母親も慌てて手を止め二人の元へ駆け寄った。

「……本気」

 真っ直ぐに父親を見つめる虎太郎を見て母親はがっくりと肩を落とした。

「なんだかそう言いだすんじゃないかって思ってたのよお母さん。あんたは本当に伊吹いぶきの後ろばっかり付いて回ってたから」

「なあ虎太郎。お前の気持ちはわかった。だがな、行きたいからってすぐに行けるものじゃあないぞ。受験だってあるしな。第一に若葉高校に行くならこの家からは通えない。寮に入るか一人暮らしだ。一人暮らしなんて父さんも母さんも反対だ。それにあそこは確か寮に入れるのは特待生だけだっただろう?」

 中学生になるまでの虎太郎は今と違ってとても明るく活発でよく笑う元気な男の子だった。中学生になって大好きだった五つ年上の兄、伊吹を失ってからの虎太郎は人が変わったように塞ぎこんでしまったのだ。友達と遊ぶこともなくなり学校から帰るとずっと部屋に引きこもるようになった。笑顔なんてもってのほか無表情で両親ともあまり話さなくなった。ただちゃんと学校には行っていたし勉強もしていたようで、成績が良くなったことで両親も虎太郎に対して何も言えなくなっていたのだった。そんな虎太郎が今力強い目で兄と同じ高校に行きたいと言い出した。父親は虎太郎の気持ちを汲んでやりたい反面、兄の伊吹のように虎太郎まで失ってしまうのではないかと不安にもなっていた。

「父さん、兄ちゃんが住んでたアパートがあったでしょ。僕、あそこに住みたい」

「は? 虎太郎あんた……」

「ちょっと待て虎太郎、どういうことだ? まさか……お前が何を考えているのかちゃんと最初から話してくれ。まずはそれからだ」

 母親は父親と顔を見合わせながら虎太郎を椅子に座らせた。そして自分も父親を促しながらその隣に腰を下ろした。

 少しの沈黙の後に虎太郎が口を開いた。

「どうしても知りたいんだ。兄ちゃんに何があったのか。兄ちゃんが何を考えていたのか」

「でもお前それは……」

「父さんだって本当は兄ちゃんが自殺なんてするはずないって思ってるでしょ! 母さんだって!」

「虎太郎……」

「もしも……もしも本当に自殺だったとしても……兄ちゃんが、伊吹が何を思って死んだのか知りたい。だってお葬式もこっちでやったから兄ちゃんを知る人は担任の先生だけだったじゃないか。先生は兄ちゃんが何か悩んでいるようには見えなかったって言ってた。警察の人の調べでも伊吹くんは学校でも明るくて人気者でいじめもなかったって言ってた。そんな兄ちゃんが自殺なんてするはずないじゃないか!」

 そう叫んだ虎太郎はまるでこの二年間ずっと我慢してきた涙を全て出し切るかのように大粒の涙を大量に流し始めた。

「お願い……父さん、母さん。兄ちゃんの気持ちがわからないと僕は納得できないよ。このままここで僕だけ普通に高校に行ったって何も変わらないしそんなの耐えられない。兄ちゃんだってきっと本当のことを知ってほしいって思ってるはずでしょ?」

 気付くと父親も母親もぼろぼろと涙を流していた。虎太郎が言っていることはもっともだと二人とも思っていた。伊吹がいなくなってからしばらく父親は毎週末若葉高校へと足を運んだ。伊吹の友達や同級生にも直接話を聞いた。伊吹については皆揃いも揃って明るくて優しくて頼りになる人気者、そう聞かされた。ただ亡くなる少し前から何か思い詰めたような表情をしているのを見かけた者も何人かいた。結局伊吹は事故ではなく、学校の屋上から飛び降りて自殺した、という結論で警察は調べを終えていた。もちろん父親も母親も納得はしていなかった。真実が知りたいという思いはずっと変わっていない。だがだからといってそれを虎太郎一人に背負わせてもいいのだろうか。まだ子どもの虎太郎に。

「学校には若葉高校を希望してるって言ってある。願書も出した。年が明けて受験すればいい。そのためにちゃんと勉強だってした。あとは父さんと母さんの許可だけなんだ。お願いします」

「虎太郎……あんたそこまでして」

「まったく、一人で勝手に決めやがって」

 そう言いながらも父親はいつまでも子どもだと思っていた虎太郎が少し大人に見えたのが嬉しくも感じていた。知らない間に頼もしくなった息子。兄が大好きで兄の真似ばかりしていた虎太郎がいつの間にこんなに立派に。そう思っていたのは父親だけではなく母親もまた同じように息子の成長を誇りに思って喜んでいる自分がいることに気付いていた。





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