第12話
「すみません犬飼監督。練習中にお時間取らせてしまって」
第二体育館の脇で長谷川は犬飼監督に頭を下げていた。虎太郎も少し頭を下げてから犬飼監督をじっと見つめていた。想像していたよりも小柄で目線は虎太郎と同じくらいの高さだった。短く刈られた髪の毛でおにぎりのように見えるどこか可愛らしい顔。ぽっちゃりとした優しそうなおじいちゃん。まだ六月の初めだが、体育館の中は蒸し暑いのか何度もタオルで首もとの汗を拭っていた。
「いや、僕も噂を聞いて気になっていてね。一度会ってみたいと思っていたんだよ」
犬飼監督は優しい笑顔で虎太郎を見ていた。
「そうか。君があの水沢の弟か。バスケをやっていると聞いていたけど」
「あ、はい。でも兄がいなくなってからすぐに辞めました」
「そうか。それは残念だったな。若葉高校に来るからよろしくと何度もお願いされていたよ。ははっ」
二人が話している間、長谷川は体育館の中に目を向けていた。練習中のバスケ部の部員たちと安村コーチがこちらを気にしている様子でチラチラと何度も自分たちの方を見ている。この二週間で長谷川は若葉高校で亡くなった二人の生徒の話を学校の七不思議でも話すかのように周りにどんどん広めていった。もちろんその亡くなった生徒の弟が今この学校にいるということも。三年生の間で広まった噂はすぐに全校に飛び火して、たまに虎太郎の姿を見に虎太郎のクラスを覗きに来る生徒も現れるほどになっていた。
「それで、水沢の自殺の原因を調べているって言うのは本当かい」
犬飼監督が寂しそうな顔をしながら長谷川と虎太郎に聞いた。
「はい。どうしても兄が自殺する理由がわからなくて。兄は犬飼監督のことをとてもお慕いしていました。何か心当たりとかあればお聞きしたいです」
「ふむ。あの頃同じことを何度も警察に聞かれたよ。僕が答えられることはただひとつ。水沢は本当によくできた人間だった。真面目で責任感が強くて常に皆を引っ張っていく理想のキャプテンだったよ。嫌味もなく明るくて優しい人気者の彼が自ら命を絶つなんて考えられない。ってね」
その言葉を聞いて虎太郎はほっとしたような気持ちにもなっていた。自分が知っている兄の姿そのままだったのが嬉しかった。
「ただね虎太郎くん。人の気持ちというものは他人にはわからないものなんだ。いくら身近な人間や家族でもね。もしかしたら本当は水沢は何か悩み事があったのかもしれない。もしかしたら何かに苦しんでいたのかもしれない。もしかしたら僕たちが見ていた水沢は頑張って取り繕った表の顔だったのかもしれない。こればっかりはいくら調べてもわからないんじゃないかな。本人に聞くしか、ね」
「……」
「そう、ですよね。お時間取らせてしまってすみませんでした。ありがとうございました」
がっくりと肩を落とした虎太郎を見て長谷川はすぐに犬飼監督にお礼を言っていた。
「お役に立てなくて悪かったね」
「いえ、とんでもないです。虎太郎行くぞ」
「ありがとうございました」
長谷川に急かされ虎太郎もお礼を言ってから犬飼監督に背を向けた。
「そうだ、虎太郎くん。気が変わったらいつでもバスケ部に入るといい。まだバスケを捨てた訳じゃないだろう? その腕の筋肉は鍛えている証拠だ」
長谷川と虎太郎は足を止め顔を見合わせていた。虎太郎は振り返ると犬飼監督にもう一度無言のまま頭を下げた。
「ほんっとに何も収穫ねえよな」
新聞部の部室に戻ってきた長谷川と虎太郎はいつものようにテーブルを挟んで向かい合って座っていた。
「すみません」
「は? なんでお前が謝るんだよ」
「部長を巻き込んでしまって」
「いやいや今さらかよ。あんなに毎日毎日しつこく付きまとっておいて?」
「待つのは得意ですから」
「何だよそれ」
「早く若葉高校に来たかった。早く兄ちゃんとバスケがやりたかった。今はなんとしても兄ちゃんの死の真相が知りたい。僕はずっとずっと我慢してずっとこのチャンスを待ってました」
「そりゃあ歳はどうやっても追い付けないからな」
「部長、僕が納得できるまで付き合ってもらっていいですか」
「なんだよ、俺ははなっからそのつもりだけど? 誰の息子だと思ってんだよ」
「え、いや、部長のお父さんが刑事さんっていうだけですよね」
「はあ? だから俺にだってその血は流れてんだよ。わかんねえことがあったらとことん調べてやるだけさ」
「ふふ、すみません」
「ははっ……ちょっとは元気出たみたいだな」
「……はい」
「大丈夫だって。まだ始まったばっかりだ。いちいち色々気にすんな」
「はい。ありがとうございます」
「本当言うとお前には悪いが俺も実は楽しんでる」
「はあ。悪くはないですけど」
「悪いよ。不謹慎だろ。お前は真剣なのに」
「でも部長も親身になってくれてるし」
「今はな。最初は退屈しのぎだと思ってた」
「そう言えば、部長はどうしてこの新聞部に入ろうと思ったんですか?」
「あ? 俺? 別に、特に理由はなかったかな。やりたいこともなかったし、かと言って何か部活やっといた方が親にも内申書にも格好がつく。文科系いろいろ探したけどイマイチだったしな」
「へえ」
「応援団や吹奏楽部や写真部は忙しいだろ。常にどっかの運動部の試合に駆り出される。新聞部もそうなのかと思ったら違ったんだよ。俺が入る前だから、ちょうど伊吹さんが三年生の時かな。その頃から新聞部は名前だけになって部員もほとんどいなくなったらしい」
「何か、あったんですかね」
「……さあ。なんでだろうな」
長谷川と虎太郎は二人で首をかしげていた。
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