第24話

 私はとりあえず一度、部屋の外に出て、扉を閉めた。


「ふぅ……」


 ゆっくりと、ため息を吐き出す。


 今日、そんなに飲んだっけ?


 特別アルコールに強い体質ではないが、酩酊して人に迷惑をかけたり、記憶を無くした経験は今までに一度もない。今日も自分が美味しく感じられる程度にしか飲んでいなかったはずだ。


 最近忙しくて、長いこと晩酌すらしていなかったから……久々の飲酒で酔いが回るのが早かったのか?


『もしもし、山城課長代理』


 頭を抱えていると、スマホの向こうから安倍さんの声が響いてきた。


 今回の飲み会の招待に伴って聞き出した連絡先だが、電話で会話をするのはこれが初めてだ。機械越しだと普段より一層、無機質な声音に聞こえる。


『聞こえていますか』

「あー、はい、聞こえてます」

『では、お部屋の中に入れてほしいのですが』

「入れる……とは?」

『私がそちらにお送りした、式神です』

「しき……?」

『山城課長代理をお守りするためにお送りした者ですので、危害を加えることはありません。ご安心ください』

「いや、そうではなく……」


 式神ってなんだよ。その説明はないのか。いや、聞いても余計頭が痛くなる気がする。私は意を決してもう一度部屋の扉を開けた。


「ひっ」


 窓ガラス越しに、目が会った。これで悲鳴を上げずにいられる人間がいるだろうか。


 真っ白な浴衣を着た、日本人形みたいな超ロングヘアーの色白美少女である。紅の塗ってあるらしいおちょぼ口と、ぱっちりした目が印象的だ。


 それが、無表情に、こっちをガン見している。


 風が吹いたのか、一瞬、黒いさらさらの髪がなびいた。


「あれを、家の中に、入れろと?」

『急いで下さい。山城課長代理の身体に、危険が迫っています』

「いや、あの人を部屋に入れる方が危険を感じるんですけど」

『人ではありません、式神です。お部屋の窓から入ることになった無礼については、お許しください。玄関から入ると、ご家族に事情を説明するのが少々難儀かと思いまして』

「一般人には理解しがたい行為をしているという自覚はあったんですね……」


 この、白い浴衣を着た女子高生のような姿の式神とやらは、家の二階の窓に張り付いている。現在、夜10時。彼女が私以外に見えているのかよくわからないが、万が一、ご近所さまに目撃されたら大ごとだ。中に入れてしまった方がいい。


 私は意を決して、窓に歩み寄った。


 美少女は、遠目には日本人形みたいだと思ったが、近づくと生身の人間のように見えた。肌はみずみずしい細胞の集合で、部屋の光を映している黒い瞳は涙で覆われ潤っている。


 その目がぎょろりと動いて私に焦点を合わせた。


「ひっ……」


 思わず小さく悲鳴をあげて足が止まる。少女は身じろぎひとつしない。それがまた不気味で寒気がする。


 胸に手を当て深呼吸し、もう一度窓に向かって歩きだして、窓を開けた。途端、少女の体がふわり、と動いた。まるでヘリウムガスが入った風船みたいな動きだった。明らかに人間ではない。ゆるい弧を描いて床に着地する。足音は一切しない。


 私は慎重に後ずさり少女と距離を取った。少女の方は私の方に見向きもせず、きょろきょろと辺りを見回している。


「あ、あの、なんか、私の部屋の中を物色してるみたいなんですけど……」

『異常が発生していないか見ているのでしょう。式神はお部屋の中に入れたのですね。窓を早く閉めて下さい。邪気が入るかもしれません』

「あ、はい……」


 慌てて開けっ放しになっていた窓を閉じ、鍵をかける。振り向くと、少女が何か、私の雑貨用の棚に触れていた。


「え、ちょっと、あの子、何やってるんですか!?」

『何をやってるんですか?』

「私に聞かないで下さいよ!」

『私にはそちらの様子が見えないので』

「見えてないんですか!?」


 式神とやらの目を通じて状況が共有されているのかと思っていた。「入れて下さい」という表現を使っていたのもあって、そう思いこんでいたのだが……よくよく考えれば、もしそうだとしたら、安倍さんに私の部屋の中が見られていたかもしれないということで……。それはよくない。


 家を空けている間に母が片づけてくれたのだろうか。部屋は小綺麗にはなっている。が、雑貨類を納めている棚は雑然としていた。


 少女はそこから、何かを手に取った。ビニールの袋のガサガサという音が聞こえる。


「あ、あれは、前に友達がバリ島旅行のお土産にくれたお香……」


 アジア旅行が趣味の友人が、今年のゴールデンウィークの後に、くれたものだ。お洒落な土産は、貰った瞬間は嬉しかったが、お香を焚く習慣が全くなかった私はいつか試してみようと思っているうちに存在すら忘れてしまっていたのだった。


 少女はそれを迷いなく開封した。


「ああっ、ちょっと、勝手に人の物を開封してっ!」

『ふむ、なるほど』


 声を荒らげかけた私と正反対のクールすぎる口調で、安倍さんがなにやら納得している。


『仏事用のお線香がお部屋にあれば拝借するよう指示していたのですが、ちょうどいい代替品があったようですね』

「寝室に線香なんて普通置いてないし、バリ島土産のお香はその代わりになるんですか……」

『煙が出るならなんでも大丈夫です』


 などと会話しているうちに、我が物顔で少女は袋を開け、セットで入っていたミニお香立ての上に紫色の線香のような物をぶっ刺していた。長い間、部屋の隅で埃を被っていた土産物が、こんな展開の末に突如陽の目を見ることになるとは……。


「あの、部屋にライターないので……リビングからチャッカマンでも持ってきましょうか」

『いいえ、お気遣い無用です。そのような自体を考えて、式神にはライターを持参させました』

「式神ってライター使えるんだ……」


 カチッカチッという音がして、エスニックな陶器の置物に刺さったエスニックなお香から煙が立ち上がった。


「お香から煙が出ましたよ」

『煙には邪気を払い空間を浄化する作用があります」

「めっちゃラベンダーの香りなんですけど本当に効果あるんです?」


 友人は恐らく、ストレスで眠りが浅いと愚痴った私を気遣ってこの香りをセレクトしたのだろう。今まで開封すらしてなくて、ごめん、そしてこんなことに使って、すまない……。


『場は整いました』


 私の突っ込みは完全無視で、安倍さんは話を進める。


『山城課長代理、あなたの身に危険が迫っています』

「カラスの糞はもう洗い落としましたが……」

『あれは凶兆です。何者かの負の念が山城課長代理に向けられ、それによって引き寄せられたものです』

「えーっと……つまり、私が、誰かに、恨まれているってことですか?」

『明日、朝日が昇るまでの時間を無事に過ごせるよう、お手伝いいたします』


 身の危険云々より誰に何で恨まれてるのかの方が気になりすぎるが、そもそも本当なのかもわからないし、安倍さんもそれは把握していないのだろう。


「よくわかんないんですけど、危険なのは今夜だけなんですか?」

『今夜この呪詛を跳ね返せば、状況は好転するでしょう』


 安倍さんがそう言うと同時に、私の前に式神の少女が歩み寄ってきた。向かい合って立つと、平均的な成人女性の身長の私より、少し小柄だ。顔立ちは大人っぽいが。


「なんか、式神さんが、こっちに来たんですけど……」

『時間がありません、始めましょう。どこか、楽な体勢がとれる場所に、腰掛けて下さい』

「はあ……」


 ベッドに腰掛けると、式神が着いてきて、私に向けて右手を差し出した。


『通話を続けるとスマートフォンの充電を消費してしまいますので、私はこれで失礼いたします』

「えっ!?」


 唐突にプツリという音と共に通話が切れ、スマホのスピーカーからはツーツー、とむなしい電子音が響いた。

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